2025年5月11日日曜日

お知らせです。

かねてから考えていたことですが、こちらのブログの記事投稿を徐々に減らしていく予定です。

来週から良質そうなホラー映画が何本かリリースされますが、そのうち良かったものは私の本名名義のブログの方に感想を投稿していきます。

方針変更の理由ですが、そもそもこちらのブログは収益が基本的にはありません。広告を申し訳程度に貼っていますが、ほとんど収益がなく、手元には1円も入ってきていません。また、もう一つの理由として、本名名義かペンネームのどちらで営業していくかと言う戦略も今まで考えていましたが、本名名義を盛り上げていくのが自分には有利になると考えてのことです。

20年前であれば、ブログだけで稼いでいた人もいたと思います。ですが今の時代、ブログで稼げる人はほとんどおらず、どちらかというと名前を売る、営業的な側面が強いと思います。

(noteは特殊な営業形態になると思いますが、こちらも正直「お金を払う」ハードルが高い)

こちらのブログには、ゲームとアニメの感想は引き続き投稿していく予定です。


またデザイナーとしてこちらのブログのカスタムが非常に面倒で、レガシーすぎるのでいい加減イライラしていた、と言うのもあります。

本名ではないので自由気ままに書けると言ったメリットもありましたが、今の時代自分自身を売り込んでいかないと意味がないかも、と思った次第です。

私はゴールデンウィーク後になぜか重大決断をしがちなのですが、一番まともな季節にまともな判断が下せるのはいいことだと思っています。GW明けに彼氏に離別宣言したこともあります。


どうか世界中の人々が、レガシーでネガティブな習慣を手放す勇気を、決断する勇気を持てることを祈って。

 

2025年5月6日火曜日

ザ・ホーンティング・オブ・ヒルハウス

私のXには必然的に(?)映画やアマプラやネットフリックスの情報が流れてくるのですが、その中で気になったこの作品「ザ・ホーンティング・オブ・ヒルハウス」をダウンロードして、旅行中も見ることにしました。

最初こそ少しだるかったのですが途中からかなり面白いというか、2話目でかなり「幽霊」「霊障」が本格的になってきて、どうも霊感の強い人が何人かいることがわかってきます。母親が「おばあちゃんと私はセンシティブ(霊感がある)だから、あなたもそうかもしれないわ」というシーンがあります。

家族構成が少し複雑なので、家族構成を覚えておくと楽な気がします。なんか全体的に似てる人も多いので。

母:リブ、オリビア。霊感が強い。
父:ヒュー。全く霊感がなかったのだが、妻が亡くなってからずっと妻が憑いている。なんなら会話もしている。ふわっとした性格だが優しい。
長男:スティーブ。霊感なしと言っているが実はある。作家としてホラー小説を書いているが、そのことで兄弟から非難される。霊感を精神病と思い込んでいて、遺伝しないようにパイプカットしている。
長女:シャーリー。完璧主義。メイクアップアーティストっぽい(遺体に化粧を施すのがメイン?)
次女:テオ。強い能力を持っていて、直接触れたものの感情・残留思念などを読み取れるため、手袋をしている。クールでかっこいい女性。レズビアン。
ルーク:双子の兄。帽子の男の霊に取り憑かれており、薬物中毒になる。
ネリー(ネル):双子の妹。末っ子。「首折れ女」の霊に取り憑かれており、幼少期から寝るとそれに起こされる。一番良い子。

この家族が転売を考えて古いお城のような建物を買い上げて補修を行うのですが、「ここは寒い」「なんか嫌な感じがする」「常にうるさい」と子供たちに言われ、母親が一番先に霊に取り憑かれます。

そして母親は「自殺」。その他の霊障にもほとんどの子供が悩まされ、トラウマを抱えることになります。

その後、時は過ぎて26年後、ネリーが突然自殺をし、家族が葬式に集まることで、真相が徐々に解明されていきます。

時系列は結構入り乱れますが、これにはどうも、「霊には時間が関係ない」ことも示唆されているようです。

ただこのドラマの良かったところは、「幽霊怖いね」とか「なんかに呪われてるから祓っておしまいにしよう」みたいな単純明快な話ではなかったところです。

もしそうだったらバイオハザードとか、ジャンプ漫画みたいな感じで終わらせられたと思います。そっちも悪くはないのですが。私はこのドラマみたいに、人の複雑な感情をリアリスティックに描き、感情面や人間関係に重きを置いた上で、人生の普遍のテーマに挑むといったストーリーがとてもディープで良かったです。

家族がそれぞれ別のものを見て、兄弟や親に信じてもらえないのも悲しいですし、そちらで精神を病むこともある。「信じられるはずだった」親や兄弟が信じてくれないという悲しさ。

また終盤で親と管理人が「子供をこれから厳しい世界に送り出すのがとても怖いから、家で保護しなければならない」と言った考え方を持ち出してきますが、これが逆効果であることも示唆されます。

私も東京に実家があるにもかかわらず25歳で家を出ました。決して、住みやすいとは思っていませんでした。家が守ってくれるわけではないことを、私もずっと自覚していたのかもしれません。なのでわかる気がしました。

この家族は決してものすごい仲が良いわけでもないのですが、一緒に酷い経験をしているので半分仕方なく面倒を見たり気にしているところがあり、そこもリアリティがあるなと思いました。

下手な、「家族大好き至上主義」ではなくて良かったです。

また、なぜ自殺に追い込まれるのかもしっかり描写していて、伏線張って回収していくところも良かったです。

多くの人がそうだと思いますが、「首折れ女」の正体には本当にビビりました。あの回が一番怖かったですね。衝撃的なエンディングを迎え、呆然としているところに無音のスタッフロールが流れてめっちゃ怖かったですw

映像もとても暗いですが、幽霊の表現は上手いなと思いました。音もなく近づいてきたり、突然街中に霊が見えたりとか。

2025年4月26日土曜日

「異端者の家」今のところ今年ナンバーワンです!!

公式が画像使ってくれと言っているので

今年の映画はなかなか良いラインアップが来ているものの、「これだ!」と言う映画はまだ出会っていなかったのですがこの「異端者の家」は、今のところトップランクに躍り出た感じですね。予告編では宗教勧誘をいじめるヒューグラントと言う構図しか分かりませんが、もっともっと奥が深いストーリーでした。

あまり期待していなかったものの、映画館に足を運んだ理由は、やはりA24には今後もぜひ頑張ってオリジナル作品をどんどこ出して欲しいという期待があったのと、ある程度のクオリティを期待できると思ったから。

A24の特徴としては、やはり残酷な映画が多いという側面がありますが、今回もそうではあったのですが、私に言わせればA24にしては残酷シーンはかなり控えめでした。まあ、血は出ますけどね。

ロジカルなレスバトルが知的好奇心を刺激する!


モルモン教は積極的な宗教勧誘が特徴です。

この映画では若き信徒の二人の女性が、リクエストがあった家に勧誘に出向きます。リクエストされて行ったものの、不快な質問を浴びせられ、女性がいなければ家に入れないと言っているのに一向に「妻」が出てこない家で、怪しいおじさん「Mr.Reed」と知識やロジックのバトルを始めます…!

明らかに嘘をついているミスターリード。信仰を揺るがすロジックと、それの穴を突くシスターバーンズ。どこまでが嘘で、どこからが本当か。謎解きに近い会話の応酬を楽しめます。セリフ量が多いので目が離せません。それから、ヒューグラントの細かいリアクションからも目が離せませんので、注意。さらにいうといちいちアイテムや伏線とかも要注目です。

特にブルーベリーパイにはまいりました。というか、パイってホラー映画に使うとただひたすら怖いですよね…


ホラー映画としてもテンポが非常に良い

最初こそ、不快な質問ややけに詳しい宗教の知識など、焦らした応酬がありますが、割とテンポよく、女性の二人も逃げ道を探したり、咄嗟の言い訳を考えたりと、応酬にも緊迫感が乗ってきます。

また、ヒューグラントのセリフ量が多く、畳み掛けるように信仰をゆらがしてくるので、飽きるということはありませんでした。

しかもこの家、奥に行くほど何かあるのです。これは、クワイエットプレイスというよりは、「ドントブリーズ」みがありました。


ホラー脱出ゲームのような、次の部屋に何があるかわからない怖さ


結局映画を見ていても家の構成はわかりませんでした(笑)が、ドアが次々に現れ、ノブが違ったり、隙間が空いてたかと思うと実はどっちからでも同じところに行けたりと、訳がわからない怖さがあり、なのにドアの向こうに何があるか知りたいという好奇心。ちょうど良いバランスで引き込まれます。特にバーンズが左の扉を開けて一回閉めたのが面白かったですw

ヒュー・グラントのキャラクターがとんでもない。怖い。


ヒューグラントといえば、ハリウッドではラブコメキングとして一世を風靡したキザなイケメン俳優です。おそらく隣に座っていた中年外国人女性グループは、ヒューグラントのファンだと思います。

私は「Two Weeks Notice」が大好きで、何度見ても爆笑です。しかもこの映画、「ラブコメの女王サンドラ・ブロック」との共演。どっちもめちゃくちゃ笑えるキャラでした。特にライバル女に「遊び」を持ちかけられて「Oh, Pokemon?」ととぼけるヒューがいまだに忘れられません。

今回も玄関のドアを開けるなり、フレンドリーな甘い笑顔と、イケボで陽気な会話。何一つ邪気を感じないのですが……

これが徐々に邪悪さを露呈し、最終的には笑顔でとんでもないことをしでかすサディスティック帝王に変化します。ギャップがものすごい怖いので、ヒューグラントはいいおじさん!と思っている人にはお勧めできません。

逆にこれだけ、笑顔でチャラいからこそ、詐欺師感が説得力あるとも言えます。


ジェンダー問題にも少し絡んでくる、「リードが信じる、ただ唯一の宗教」

リードが信じるという唯一の宗教は、最後に明かされますが、私はこれ、男性の持つ悪い側面をそのまま宗教にしたのでは?と思っています。

リードの過去は明かされていません。

ですが、浅いロジックで若い女性を論破しようとしたり、束縛して帰そうとしなかったり、平気でホイホイ嘘をついたり、サディスティックな行動を起こしたり。

まるで性的なことには興味がないのですが、あのマンスプは典型的な嫌な男の悪い癖ですね。

この作品、最後まで見ると、さらにこのリードが「悪い男」の典型であることがわかってきますのでぜひ見ていただきたい。


シスター・バーンズの勇敢な美人キャラが最高


シスター・バーンズは最初にリードに反論した勇敢なキャラクターです。とにかく美人だしかっこよかった。しかしだからこそ、リードには狙われます。
あと彼女は少し、モルモン教徒らしくないところがあるなと思いました。仕方なく入っているのかな?


連続するどんでん返し


対してシスター・パクストンはよく日本にもいる、「男に合わせて笑顔でご機嫌を取っておけば殺されない」と考えるタイプです。正直だめなんじゃないかなと感じましたが、終盤になって本気を出しますのでお楽しみに…終盤の活躍は、彼女が従順で意志が弱く、臆病だからこそ感情移入もしやすいし、恐怖感が増して大変スリリングです。


ギリギリまで、結末がわからない、秀逸な脚本


私は最後まで、彼女らが生きて帰れるのかさっぱり予測がつきませんでした。A24であれば最悪なエンディングも十分あり得るからです。非常に緻密な脚本で、逃げる逃げない、攻撃するしない、彼女たちの、ある種冷静な知能戦が、勝てそうで勝てない、何かに騙されているという細かいディテールの詰め込みでありながら、筋が通っていてスッキリする内容でした。


そして宗教を扱う作品として、私が感じたことです。

エクソシストのような、対悪魔系ホラー映画は、純粋なキリスト教徒の話になります。キリストを信じているからこそ、悪魔が悪になる訳です。信仰が厚くなければ成り立ちません。

ですが、今回は宗教の根底を揺るがそうという男を、「異端者」としています。

その異端は、決して悪魔を勧めているわけでもなく、悪魔にも取り憑かれていません。

信仰とはなんなのか?終盤でパクストンが唱えることが真実だと思います。奇跡とは決して、傷が癒えるとか、死から蘇ることではないんですよね。

パクストンすら、祈りに効果はないとはっきり言及しています。盲目ではないのです。では信仰とはなんなのか?それは自分の生きる上での信条や選択を信じることだと、私は思っています。リードが言っているような、「キリストをヒーロー扱いすること」ではないと思っていますし、盲目に聖書を信じることでもないと思います。

非常に奥の深い内容で、ロングレッグスのような妙な悪魔論や奇蹟にも頼らず、リアリティやロジックがある、良質な作品でした。

2025年4月10日木曜日

アドレセンス最終話

私は第4話は蛇足だと思うのですが、結果はわかったのでよしとします。

もしかしたら見つからない凶器のエピソードなど、他にも予定していたのかもしれないですよね。

最後にまた父親が泣いていましたが、父親の問題だと言えるのでしょうか。確かに未成年のしたことだから、父親に責任はあると思います。臨床心理士もまず父との関係を聞いてきました。男の子はまず父親の影響を受けるし、彼が小さかったから、特に顕著にそれが出ると思ったのでしょう。実際ほとんどの場合そうだと思います。

ただ、私は最後までジェイミーの心理状態が気になっていました。

おそらく間違いなく刺殺をしていると思われます。でなければ逆にあんなに冷静でいられるはずがありません。むしろあの冷静さは、彼の残虐性を示していると思いました。怒りながら何度か「あの子はビッチだった。そう思うだろ?!」と臨床心理士に問いかけていたからです。 そこには罪の意識や後悔がほとんど感じられませんでした。最初こそ泣いていましたが、「やらかしたことがバレたから」と言うふうにも感じられました。また、隣に父がいたからだと思います。

つまり第3話が何を言いたかったかというと、ジェイミーは「ケイティは殺されて当然だ、僕が悪いんじゃない、けしかけたのは向こうだ」と言いたかったんだと思います。

ですがどんな理論をこねくり回しても、貢いだキャバ嬢が付き合ってくれなくても、お金を貸した配信者がお金返してくれなくても、殺していい理由にはなりません。

殺したい気持ちだけはわかります。私もなんとかしてセクハラ野郎を消したいと思っていました。でも殺すのは絶対にいけない。向こうもなんとかして私を手に入れようと毎日願掛けをしていたと思いますが、縁切り神社に縁切りをお願いしたら私の願いの方が勝ちました。(目には目を、願いには願いを)

殺したいほど憎い相手に対して、法的に問題のない範囲でギャフンと言わせてやる方が遥かに安全で効果的だと私は思っています。


ただ、今回の問題は実はそこではないんだと思っています。発端はインスタグラムでした。これがもし、インスタがない場合どうなっていたでしょうか。

思い返すに、私の時代は直接罵声を浴びせる、聞こえるように陰口を言う、仲間外れにする、といったいじめが主流でした。ですが、どちらかというと日本らしく、男子が女子をランキングすると言うことが堂々と行われていました。

女性はもしかしたらやっぱりすごく強くて、そういったことに耐えられて、報復として殺しなどは考えない。男性は耐えられなくて、怒りを抑えきれず殺してしまう、精神的に弱い種族なのかもしれません。

そして「インセル」にも大変問題があると感じました。

インセルはインターネット上でコミュニティを作ってしまっており、一度はまってしまうとなかなか抜けられないのではと推察します。一度女性嫌悪を自認したら、なかなか次の恋愛にはいけないでしょう。悪循環です。しかも、私のような独身女性がよく言う「もう恋愛めんどくさくて無理」ではないのです。彼らは真剣に女性を憎んでおり、暴力や殺害を推奨し合うコミュニティなのです。

そして多感な10代でこのような思想に染まってしまうと、なかなか考えを変えることができないでしょう。自称インセルの人たちには根本的な治療が必要だと私は考えます。

(ジェイミーは自分がインセルだとは言ってませんが、言われて怒るということは心当たりがあると言うことだと思っています)


つまり発端は別にインスタである必要はなかったわけです。世の中にはXもあるし、フェイスブックもあるわけです。インターネットが一般人に広まってからは、迷惑メール、フィッシング詐欺に常に攻撃を受けていて、私は先日LinkedInで外国人にメールで口説かれましたが、写真を画像検索したら同じ写真で3名いたので「大した詐欺師ですね」と返信したら返事が来なくなってしまいました(つまらん)。LINEグループでいじめられるなんてのも聞いたことあります。

何かの教育が必要だなと感じるのですが、おそらくは「ネットリテラシー」と言う分野になると思います。私が教育実習をしていた時代にはなかった科目になりますね。

まずはインターネットで見たことを一度は疑うこと。

あと何が危険なのかを教える。「インセルって言ってる奴らに関わるな」「あいつらは殺人をする団体で、同じことをしたら一生が台無しになる」と言う教育をすると言うことになります(他にも色々あるけど)。

また、差別用語をネットで書かない、他人をネットで攻撃しないと言うリテラシーも必要になってきます。

あとは、女性を憎んだり、女性からの評価を過剰に気にする症候群は、もしかしたらやはり父親が話を聞いてあげるべきなのかもしれません。

13歳なんてまだモテ非モテすら気にしなくていい年齢のはずなのだから。

ジェイミーは頭の良い子と言われていました。しかし最後に謝罪したのは、父に対してだけでした。これから年を重ねるにつれて、罪の重さに驚くと思います。父親ひとりではインターネットを止めることはできない。様々な場所で、教育をしなければならない時代なんだなと思いました。


私がとても運が良かったなと思うのは、たまたまアメリカで受け取っていた父の会社の福利厚生であった日本の学習雑誌が、実に丁寧に性教育を説いてくれていたことでした。少女漫画テイストで描かれていました。あの雑誌がなかったら、私はもっと母親を恨んでいたと思います。


アドレセンス2、3話

2話も3話も重かったですが、例のワンカット手法のおかげで集中して鑑賞することができました。

2話と3話では繰り返し「インスタグラム」が出てきます。まるでインスタグラムが犯罪に加担しているかのようで恐ろしいですね。私はアカウントを持ってるし運用も一応していますが、まるで犯罪に巻き込まれませんw活用できてないとも言いますが。

そして主人公ジェイミーが「インセル」と呼ばれいじめられていたことが判明しますが、インセルってもっと大人たちが使う言葉だと私は思っていました。

13歳そこらの中学生がインセルも何もないだろうと。

しかし第3話の臨床心理士の女性との会話で、相手が女性だからということもあり(女性の年齢はおそらく30代後半〜40代前半くらい)、「僕はゲイじゃない」と繰り返し主張するジェイミー。この辺はやっぱり子供っぽいなと思いました。つかまだ声変わりしてないだろ。

ゲイだからって30代の臨床心理士がバカにしてくることはあり得ないからです。

臨床心理士は根気強く彼のホモソーシャル的主張に付き合いますが、何度も精神的均衡をかき乱されており、その複雑な心理状態には私も共感しました。

でもこのくらいの年齢の男子なんてこんなもんだと思います。私も中学の時の男子たちには呆れ返り、高校は女子校を選びました。あんなケダモノと次の3年も過ごさないといけないなんて拷問だなと思ったからです。私が中学校で一番いい笑顔で写真に写っているのは卒業式です!今でもあの開放感を忘れることができません。一粒も涙は出ませんでした。

ただ、私の時代はそもそもスマホがありませんでした。インターネットもありませんでした。私は大人になってもインスタでフォローしてるのが大半がハリウッドセレブのため、狭いコミュニティでぐちゃぐちゃすることがまずあり得ないので、本当に自由でラッキーだと思います。

今の時代はSNSで簡単に他人と比較できてしまうし、簡単に写真も送れてしまう。果たしてそれは本当に便利なことなのか?盗撮も多発していると聞きます。そしてAIによるフェイク画像やフェイク動画も大量に出回るようになりました。

13歳という年齢で一番きついのが、この時期は私も別の意味で宗教的に信じ込んでいることや、漫画やアニメに対するハマり方が今とは全然違っていました。つまり何かと「過剰に信じ込んだり、入れ込んだりする」傾向があるのがこのローティーンの特徴だと思います。ジェイミーも典型だと思っています。

彼は自分の評価を過度に恐れています。自分のことを醜いとわざわざ告げるのは、臨床心理士の同情をひくため。これは女子がよくやるやつですね。特に日本だと多いので、イギリスでもあるんだ〜と思いました。

この評価を恐れる気持ちは裏返すと「愛されたい!」という欲望です。

そして男性という性は、「女性に愛されたい」欲が強い。これは女性が男性に愛されたいよりも遥かに強い気持ちで、ジェイミーは対談中に何度も衝動的にブチギレます。特に最後はキツかったですね。

彼の心は自分への評価を求める気持ちばかり。臨床心理士が参った顔をして結構長い時間を取って気持ちを落ち着けようとしているのに共感しました。「ケイティーは死んでるのよ。ケイティーは、もう2度と戻ってこないのよ。」と何度も言っているのですがジェイミーは信じられないくらい無関心でした。


「インセル」は白人の異性愛者で激しく女性を嫌悪し、傷つける人たちのことを言うようです。「セックスの権利を主張する」は日本でも結構見るようになりました。最近Xにはこういう人が湧きすぎていて、見ているだけで憂鬱になることがあります。

ジェイミーたちが信じている80/20の法則は現実ではあり得ません。自称インセルの人たちが自分はデートしてもらえない、女に振り向いてもらえないと頑なに信じているが故に生まれた法則だと思います。実に偏った思考です。もし本当にトップ20%の男性にしか行かないのであれば、既婚者はもっと少ないし、早々に人類が滅亡している可能性だってあり得るからです。

女性は男性嫌悪でも殺人事件にまで至ることは極めて少ないと思います。私は男性がセクハラさえしてこなければ、攻撃することはまずないので、出社しなくてよくなってからはだいぶ穏やかな日々を過ごしています。会社でセクハラオヤジが出社してこなかった雪の日はとても幸せでした。

ですが男性のインセルは違います。彼らは出社できないことをむしろ怒るでしょう。俺のことを愛せというのが彼らの主張であり、愛されないとわかると非常に攻撃的になります。ドラマもそのまんまでした。私は、ジェイミーがどんなに「僕はまともだ!」と叫んでも、やはり病気だな、、と思うのでした。

この男性の怒りには私も何度か直面しており、命の危険も感じたので遺書を書いたこともあります。実際インセルが一番怖いのは、殺人を犯すところなんですよね。


2025年4月9日水曜日

アドレセンス見始めました

話題作ですが確かにすごいですね、

第一話の引き込み方が凄まじかったです。カメラが離れないので、集中力があまり途切れないんですよね。時間も飛ばないですし。

個人的には、サムネイルからもこの少年の持つ邪悪さみたいなのを感じていたので、おそらく黒だろうなと思っています。

13歳は殺人などできない、とは言い難い。

自分のティーンだった頃を思い出すと、いかに10代の子供が残酷だったか私はよく覚えています。30〜40代のおっさんより邪悪なやつはいました。

ただ、主人公の少年が、なぜ殺すことになったのかは第一話では本人ですらまだ説明していない。彼は「あれは僕じゃないんだ」と説明しますが、多分この話はオカルトじゃないので、悪魔が取り憑いたとかではないと思います。もしそう説明しても、単なる逃げ口上だと思います。しかもカメラにはバッチリ撮られてしまっている。変なところで警戒心が薄いか、カメラに気づかなかったか。最近は防犯カメラも巧妙に隠されてるのかもしれませんが。

「大人には見えない世界」と説明されていますが、すごくわかります。

親に説明しても大体理解されない。

事件が起きてしまうまで、気づかれない。

「怪物」をちょっと思い出しました。


アドレセンスは「思春期」って意味だそうですね

怖いですよね、私、知ってますから。みんなも忘れたふりなんかしないほうがいいと思いますね

2025年3月30日日曜日

やっぱりパティンソンが可愛い「ミッキー17」

久々に見たパティンソン君は一児の父になったにもかかわらず、相変わらず迷子の末っ子王子様オーラが抜けておりませんでした。最高か。

しかも今回SF的な設定でパティンソン君が増えるわけです。画面上には最大2人ですが。

この世界では、人類が別の惑星に移住する宇宙開発のための「エクスペンダブル」つまり消耗品になる人間を募集していました。なりたがる人があまりいなかったのか、主人公のミッキーは消耗品枠で移住計画に参加し、訳あって地球を逃げ出します。

そして過酷な惑星開発の途中で死んだら次のミッキーが「プリント」複製されるというシステムです。

このシステムで、17番目が死んだと思われていたら生き残っていて、18番目がプリントされてしまっていて、そこでマルティプルズという違反が起きてしまいます。

全体的にブラックコメディテイストなので、悲壮感は和らげられていますが、過酷は過酷です。

ロバート・パティンソンは悲惨なキャラが似合いますが(選んでるのか?)、今回倫理観ギリギリを攻めてくるので(倫理的にはアウトなんだが、SFというのは本来そういうもので、映像的にはギリギリということです)、「パティンソンいじめないでよぉ!」と思うタイプの人には向いていません。が、私でも結構胸がギシギシと痛みました。

この映画は好き嫌い、共感できるできないが分かれると思いました。

私は結構共感できた方です。

ミッキー17と18の性格がちがいすぎて面白かったから、というのもある。

どちらもベースは自分自身。記憶は一週間単位のズレしかない。つまり自分の分身みたいなものです。ですが、やはり人間だからなのか、複製するたびに少しずつ性格が異なり、17と18は極端に違いました。

17は元々のミッキーの性格だと思います。おバカで素直でいい人キャラ。言われた通りに労働をこなして殺されるのが契約であれば仕方なく受け入れてきました。

しかし18から性格が豹変します。予告編で、なぜパティンソン君が変なアホ声で喋るのかよくわかりました。18は17に言わせれば「サイコパス」。冷酷冷淡で、表情も声も違うww表情でもどっちか大体わかりますが、喋らせれば一発でどっちかわかります。

この二人が口論するシーン、終盤の会話のやり取りなどもめっちゃ面白かったです。

「なんでお前はそんな扱いされて笑顔で受け入れてんだ!やり返せ!ばか」的な罵られ方をしてしょんぼりする17もめっちゃ可愛いし、全く同じ外見なのに「そういうこと言ってるんじゃねぇよ!」と怒り出す18もめっちゃ面白かったです。言うなれば、自分の別人格と対話しているんだとも言えます。私の脳内会議なんて大体こんなもんです。

ただ、ポン・ジュノ監督が深いなと思ったのは、実は18にはいいところがすごくたくさんあることがどんどん判明していくところなんです。特に終盤の会話でやたら過去の思い出を悔やむ17に「あれはお前のせいじゃないぞ。何度も言ってんだろ」と冷たいけれど17を救うような言葉を投げかける18。真相はどっちなのかわかりませんが、これは

「実は記憶というのは受け取り手によって解釈が違う」

ことを示唆しているのでは?と思いました。

これってとても重要で、ミッキーに兄弟がいない場合(出てきませんが)ミッキーは「あれは自分のせいだ」と思い込んで自分を責め続けると思うのですが
18が出てきたことで、「実は自分の解釈が違っていて、自分を責める必要がない」という考え方が登場する訳です。そこで、17は救われるわけ。

私は妹が2人もいるので、たまに2人に昔の記憶を吹っかけて、どう思うか聞いたりします。子供の時は親とは全く視点が異なるので親だと共感はまず得られないというのがあります。ですが、年齢が近い姉妹に同じ記憶を思い出させると、過去の記憶を正すことができる訳です。もちろん、「あれは最悪だった」という嫌な結論で終わることも多いですが。

ずーっと自分が悪いことをしたから罰を受けているという解釈は、わかるにはわかるのですが、そこを脱却しないと次のステップへ進めないというのはあると思うんです。サイレントヒル2もそういう話なんだと思っています。

17は少々アホですが、素直なので、18の強気な意見や考え方に多少の影響を受け、これからも何かと嫌なことが起きた時、18ならどう思うのか?と考えるようになるでしょう。あれは一見はただの事故で誕生した複製ですが、自分の新しい視点が生まれたと考えることができます。

女性の視点から観る「ミッキー17」

ナーシャがとにかくすごいですよね。

ナーシャはミッキーの恋人ですが、18が現れて増えたとき言い放った言葉が衝撃的でした。

「どっちもミッキーなのでどっちも私のもの!」

なんだそりゃ!って感じです。同じ肉体が2つあって、記憶もほとんど同じで人格だけ違うのに、気持ち悪くねぇのかよって思って、その時、17が麻薬みたいなものを見つけて酔ってるからだろ!ってツッコむのですが、彼女は多分本気で言ってると思います。

なのでナーシャも、これも捻りのある設定で面白かったのですが正直ちょっと頭おかしいところがあるんだけど、言うなれば、重い女、愛が深すぎる女であることが後半はわかってきて、いいなと思いました。

ただ、まあ、私は、双子のどっちかと付き合っててそっくりの奴がもう一人現れても普通に一人目を選び続けるし割と勘がいいので騙されないと思います…w

ある意味、ナーシャもちょっとサイコなところがあって全体的にまともな人を探すのが難しいところが、ポン・ジュノなんじゃないですかね。

雇い主のサイコっぷりも、ある意味アメリカ人の考えるラスボスより狂気感じたし、自称友人のあいつも、、、ものすごいヤバかったですwww

スカっとする復讐劇というよりは、絶望的な状況まで持っていって、なんとかかんとか辛くも解決するという感じだったので、笑えそうで笑えないギリギリなところ攻めてくるなと思いました。ストレスは溜まるので、やっぱその辺がポン・ジュノだなって思います。ブラック企業の闇を暴く社会派ムービーと捉えることもできます。SFとしては少し弱いかな、と感じましたが、SFじゃないとこの設定使いづらいですからね…