鬱映画として有名な本作を改めて見てみたが(以前頭に入ってこなくて挫折した)、鬱映画ではあるのだが、悲劇好きな私にもあまり響かなかった。
救いがないのもそうなんだが、まるで、ひねりがない。
とにかく堕ちていくだけ、周りに、好きなだけ、搾取されて殺されるだけの話だ。
なんかもうちょっと、「私は貝になりたい」くらいのひねりが欲しかった。まあ、あれもおそらくハッピーエンドではないだろうなと思ってたが。
ダンサーインザダークって、善人が、全く救われない。金を奪った男はなんと警察官だし、最後の最後に殺せと言ってきて、殺人をそそのかす。恐ろしい男だ。しかも、原因は妻とのすれ違いであり、見栄から金がないことを相談できなかった。
しかも主人公を好きなジェフは、主人公が秘密にしていた本当のお金のありかを「善意のつもりで」突き止めてしまい、ビルの妻が主人公の計画を「善意のつもりで」ひっくり返そうとする。
では主人公はなぜ、金のありかを黙っていたのか?
おそらく、息子の手術をおじゃんにされかねないとわかっていたからだろう。
だから私はこの作品で一番のテーマは、
「放っておいて欲しかった」
ではないかな?と思っている。
なぜか慎ましく生きているところに、他人が強引に割って入ってきて、被害をもたらすことが、私の人生でも多かった。幼稚園に行けば、他人が私の絵に何かを描きたして絵を台無しにしていった。汚されたのだ。よくなるわけがない。
ビルが、主人公の家に入ってきて相談をしなければ、主人公は助かったと思う。
ただ、問題はそこで口惜しいですな、で終わらせるべきではないところだ。
何にも解決していない。ビルの妻は泣きながら主人公の死刑を見送るだけ。偽善者極まりない。そもそもその妻が、浪費をせず、きちんと夫とお金の話をしていれば。この人も相当身勝手である。
この話でも男は本当に役に立たないやつばかりだ。けど、他に何か手はなかったのか、一通り、「バカな人間ども」が「まともな善人」を搾取して殺し、のうのうと生きていくというだけの話で、もうちょっと何か深みが欲しいなと思うところである。
ビョークの演技は随所で非常に素晴らしく、彼女の演技と歌声で成り立っているような映画だ。歌っているのもほとんどビョークだけ。ララランドよりミュージカル要素が少なく感じる。ミュージカル映画としても中途半端で、覚えにくい歌だなと思った(ララランドは、好きではないが歌は覚えやすかった)。
監督がセクハラをしていて(しかもビョークに)、Wikipediaを見たら、鬱病を何度も患っており、精神的にかなり不安定な人間であることがわかった。画面全体が揺れており(なぜかミュージカルパートになると安定する)、ちょっと頭のおかしい人が撮ったこともよく伝わってくる。
それならそれで、「12MONKEYS」みたいなのが観たかったかな。あれは私、大好きなのです。なんというか、「病んでいる」のを絶対隠そうとしないのと、ヒロインが精神科医師なのがバランス取れててよかった。
鬱は芸術につながりやすいし、芸術で発散するべきだが、そこには客観性が必要になってくる。自分が病んでいることを、どこか冷静に観察しなければならない。例えば、セルマは貧乏なのに歌やミュージカルが好きで、市民の舞台の練習をしている。だから、時々ミュージカルという芸術に逃げて上の空になる。なんと、裁判中でも歌に逃げるのである。彼女が歌っている時だけ、画面のぐらつきが安定するところにも、もしかしたら主人公の情緒の不安定さが現れているのかもしれない。そこがもっと活かされていれば、何か違うものを感じたかもしれない。高く評価されているから、私がちゃんと受け止めきれていないのかもしれないが。
言っちゃなんだけど、こうやって善人があっさり騙されて殺されるのって、あまりにも現実的すぎるんですよね。きっと私は芸術に逃げを求めているんだと思います。それは、パンズラビリンスの時も同じことを思いました。