2026年3月26日木曜日

ゴールデンカムイ 網走監獄襲撃編 とても良かったのでおすすめです

原作ファンの方がより楽しめますが、何も知らなくてもまあまあ面白いと思います。

しかし冒頭2シーン連続で男どもの裸を鑑賞できるシーンがあり、しかもラッコ鍋だと、全員つけまつげをつけてメイクしているのでちょっと初見の方大丈夫かなと心配になりました。

その道の方は大変満足とお見受けいたします。

キャラクターの再現度がとにかく素晴らしかった。

私の今回イチオシの、🩷門倉部長🩷

和田 聰宏さんがこんなにハマると思わなかったですね。目つきや立ち居振る舞いから完全に門倉でした。

陽動作戦が胡散臭いのに、本人が毒にも薬にもならないのほほんとした性格のため、誰も門倉を疑わない。

しかも門倉の懐の深さで、部下のちょっとした不正も見逃してあげてるから、部下たちもまさか門倉がスパイだとは思わず懐いてしまっている。

抜け目ないのに優しくて(適当とも言う)、偉そうにしない門倉さんが大好きです🩷しかも強運。

アニメ版も相変わらずのほほんとしてますな・・・弾丸をハエって言ったり。

実写になったことで、「この人実在するぞ!!!!!」みたいな気分になってさらに好きになった。

個人的には一番結婚したいタイプです🩷(金カムではあと、杉元と岩息舞治が好き)

宇佐美が本物だった

対して宇佐美、最後まで門倉の宿敵となりましたが、性格的にも真逆で、スパイであることもすぐにばれます。(にしても、スパイとスパイが一緒に働いて犬堂を騙していたとはw)

実は一番苦手なのは宇佐美です。鶴見と似ているが、鶴見に盲目的に忠誠を誓っているが故にさらに手に負えない狂人。

特殊なコンタクトをつけてるそうですが、黒目が小さくてリアルでした。あとフェイスラインが本当に漫画と同じで。綺麗なお顔なんですよね・・・でも本当に人の殺し方が残酷で・・

あと喋り方と声が完全にイメージ通りで、もしかしたらこの人をモデルに宇佐美を描いたのでは?というくらい似ていました。怖い。

鶴見が仕上がってた

鶴見がマジで本物になってしまった。特に囚人が解放されて襲ってきた時の、すごい笑顔でガンガン人を殺していく時の玉木さんの顔。もう原型がなかった。

あれは鶴見である。(声もだいぶ仕上がってきた)

土方も仕上がってた

長髪で殺陣をやって似合う人ナンバーワンではないだろうか、、舘さんのスタイルもいいし、あの短めの黒コートとブーツがくそかっこいいのに刀の斬りつけ方もかっこいいですね。

あと、声だけでみんなが振り返るシーンで、かなり中田譲治さんに近づいてるなあと思いました。アニメと融合しそうな外見、素晴らしい。

鯉登少尉と夏太郎がとても可愛かった

この二人は原作より可愛いので、ファンが増えそうな気がした。特に夏太郎、ただの可愛いイケメンやし。この辺はアイドル枠。

あと、鯉登少尉のアクションがすごくいいね。この人も刀だし、かなり大体に真正面から跳んで斬りかかるのですごい派手で映える。

簡単に死にそうな戦い方だけど、猿吠えが怖くてみんな身を引きそうな気がするwモス。

月島

独特の冷気を出していた。特に銃弾支えてるシーンがとてもシュール。個人的にフードが可愛いと思っている。

ゲンジロちゃん

前より濃くなってますよね・・・・・・・????

都丹 庵士

違和感よ来い。ちょいイケメン寄り。

犬堂

どの辺が北村一輝なのか。もはや原型がなかったw


あと尾形も、二階堂も、よくぞここまで再現したなあと・・元々できそうな人を集めてるのはわかるんだが。親を殺しておいて平然とアシリパと話してるあのサイコな感じは尾形だなあ。顔が綺麗なのに、全然感情がないというか・・

家永の人、すごい美人なんだけど、羊たちの沈黙のハンニバルの真似を頑張ってやってくれててなんか笑ったww絶対違う(似てない)けど頑張ってるのが笑える。

実写でいいのは、やっぱり爆発とか、暴動が起きたり、人がもみくちゃになるシーンなどがリアルだったね・・特にこのシリーズは気合入ってるなと思います!

2026年3月20日金曜日

ウィキッド 永遠の約束「無限と有限の間に」

ウィキッド ふたりの魔女(パート1)で、エルファバは「私の未来は無限」「私たちは無限」と繰り返す。その無限は「Unlimited」という単語で繰り返し表現され、タイトルではないが、劇中に何度も同じ音で歌われていた。シンシア・エリヴォの低い声が温かに響く単語で、良い歌である。

しかしパート2ではまるで対比のようにエルファバは自分の能力を「有限」だと歌う。「Unlimited」「I'm limited」に変わってしまった。音節が同じため、全く歌が損なわれないのも皮肉である。

無限には「inifinity」とかもあるけど、unlimitedとしておけば、対義語がlimitedになるため、わかりやすいからそうしたのかもしれない。

私はこの歌を最初に聞いたとき、時透無一郎の無は「無限の無である」という概念を思い出していた。

エルファバの未来は無限で、彼女のポテンシャルも能力も無限の力があった。魔力は終わりが見えないほど、優秀だった。エルファバは無限の可能性を夢見てエメラルドシティへ赴き、魔術書「グリムリー」に出会い、即座に能力を開花させる。「Defying Gravity」とは「重力に逆らう」という意味で、彼女はそれを歌いながら空を自由に飛び回る。

エルファバは無限の可能性と未来と能力を持ち、自由な女性としてエメラルドシティから飛び立った。

素晴らしいエンディングのようでありながら、その黒い服装と緑色の肌は、不吉な未来も暗示していた。

しかし私は、まだこの物語に期待していた。その外見から差別されていた女性が、正しく能力を認められて、活躍する日が来るのではないかと。

「オズの魔法使い」を初めて見たのは10歳くらいの時だったと思う。まだ配信サービスなどなく、親が買ってきた英語だけのビデオを見ても、オズが如何にダメな男かがよくわかるようになっていた。なんとも大人が汚い、セコい生き物なのかもよくわかってしまう、少し残酷で現実的な世界観がそこにある。

ウィキッドも舞台は同じなので、基本的には現実が如何に残酷であるかを突きつけてくると同時に、観客にもそれは跳ね返ってくる。

実力以上の地位に縋っていないか?

実力以上に自分をよく見せようとしていないか?

エルファバはおそらく登場人物の中では一番エゴが少なく、まともな判断を下せる人間だ。

そこでエルファバは諦める。自分には世界を変えられない。いや、もし変えるなら、自分が悪い人間として淘汰され、グリンダに「良き人」を演じてもらおうと、エルファバは決断した。賢い、エゴのない決断である。

そこで歌われるのが「私は有限だ」という歌である。

では無限の力、無限の可能性とはなんだったのか?

厳密に定義しよう。おそらく「力」というのは有限である。無一郎が敗北したのと同じだ。能力というのは限界があると私は思っているし、そもそも人間には寿命がある。

しかし「可能性」は無限である。これは科学的に限界を定義しようとしても難しいからである。例えば、ノーラン監督の映画みたいに物理的に時間を逆行するとか、五次元で生きた人間が意志を持ち続けるのはおそらく不可能だと思うが、エルファバの置かれている世界では魔力の「可能性」に限界はないだろう。

無一郎は「他者のためなら人間は無限の力を出せる」という意味を込められた名前であり、

エルファバの無限の能力は、実はグリンダの協力があれば、良い方向に使われ、国をおさめられたかもしれない。

私は結婚したことがないからわからないけど、多くの作品に繰り返し語られる物語がある。それは人間は、自分の欠陥を補うパートナーが与えられるという神話である。

エルファバのパートナーはフィエロではない。

おそらくグリンダだったのだろう。

同性がだめとか、そういう話ではない。信念が違っていたから、二人は協力して生きることができなかった。

その証拠に、パート1でもパート2でも、エルファバは何度も「私たちは、一緒であれば無限」「勝てない敵などいない」と歌っていて、グリンダは否定していない。

無一郎が敗北した理由の一つに、最初に黒死牟に出会ったとき「一人だったから」という考察を多く見かけたのも、同じような理由ではないかと思った。

エルファバが自分の可能性を初めて「無限」と自覚して喜ぶ時、いささか傲慢さを禁じ得なかったのは、私だけではあるまい。

人間は協力して生きていきなさい。協力すれば、無限の力が得られる。

そういう意味合いが込められている作品なのかもしれない。


それにしても、エルファバだけがいつも割を食うのは何故なんだろうな。私は、フィエロなんか手に入れたところでどうかな、と思ってしまうのであった。恋愛を描くにしても恐ろしく中途半端である。

モヤモヤする割には、問題作と言えるほどの深みも感じていない。原作をちゃんと読んだほうがいいのかもしれないが、ビンタ合戦にあまり感動しなかったので笑、あんまり深く関わりたくない気もする。

ミュージカルというのは概して話が適当なパターンも見かけるけど、そういう作品なのかもしれない。

2026年3月2日月曜日

アマプラでとてつもなかった映画(17)灼熱の魂

中東のキリスト系の厳格な村で育った主人公「ナワル」の数奇な運命の物語。

イランの独裁者ハネメイ師がまるでゲームのように爆撃されて殺されたので、タイムリーな映画かもしれない。

ナワルは掟を破り、イスラムの男と恋に落ち、子供を身籠った。

これ私も似たようなことを本で読んだことがあるが、厳格なイスラムの村だと、女性は普段肌を隠しており、男に見初められ結婚するまでは処女でなければならない。その掟を破ると身内が殺しに来る。映画はまだマシなほうだ。私が読んだ本では、兄が石油を持ってきてぶっかけてきて、火をつけられる。

殺されそうになるナワルをおばあちゃんが救ってくれ、男たちが煮え切らない中、息子が誕生する。堕胎の方向は考えられなかったのだろうか。生まれてはいけない子供が生まれてしまう。だがナワルは愛した男の子供を産んだだけだ。ナワルは息子と引き裂かれ村を追放されるが、息子を生涯愛することを誓う。

そう、何があろうと。


そう誓ってしまったからだろうか。ナワルは何度か酷い目に遭うものの、なんとか生き延びてしまう。死を選ぶことができる局面でも彼女は生きることを選んだ。15年投獄されレイプされ続けても生きることを選んだ。彼女は、息子に再会したかったのだ。

監獄のレイプにより双子が生まれる。双子と暮らすことはできたようだ。映画の冒頭で双子は母親から遺書を受け取る。

実はナワルが死んだ理由は失意からだったと思われる。彼女は長男を遂に見つけてしまう。生まれた直後に目印をつけたからだ。

しかしその正体は恐ろしいものだった。


ナワルの人生は一体なんだったのか?この映画は何が言いたいのか・・色々なことを考えてしまうが、ナワルの幸せは常に愛する男の子供を産んだことだったと思う。実は双子を産む前は腹を潰そうとしていたくらいだったのだ。彼女は遺書に、それでも息子を愛していると明確に綴っていた。産んだ直後に別れたのに。

しかし私はナワルは悪くないと思う。そう思いたい。宗教の違いで好きな人と引き裂かれるような社会であって欲しくない。国の代表が、宗教的な理由で国民を殺すような社会であってほしくない。

宗教問題に関心のある方にはお勧めできると言いたいところだが、イスラム教徒だらけのバスに乗ったらキリスト派に襲われ、自分だけ十字架を示して助かるシーンはなんとも言えず後味が悪かった。あとの人間は結局全員殺されてしまったのだ。目の前で。

宗教の違いで殺されていいはずがない。


どうかイランが元の自由な国に戻りますように。

そしてこれ以上女性が理不尽な目に遭いませんように。



監督はドゥニ・ヴィルヌーヴ、いつも上品な映画を作ってくれてありがとう。だからレイプシーンも見せず、他の囚人は叫び声だけにしてくれたんだね。

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