それはおおよそ1年前の出来事。
社内で使っているGoogle製のChatに、同僚チームの若い女の子が
「🥺」
この顔文字を時々使うようになった。と言っても、実はPCだとちゃんと表示されないことが多いのだが。
これを「ぴえん」と読むと知ったのはかなり最近だ。コロナ禍のちょっと前くらい。
かつてはぴえんの代わりに私は「(´・ω・`) ショボーン」を多用していた。iPhoneが標準くらいになったのは割と最近だし、かつては絵文字は各携帯会社やメッセンジャーの種類によって違っていたし、今でもSlackの絵文字にぴえんは無い(つくれるけどね)。
それではぴえんとはどう言った心境をあらわすのだろうか?
ぴえんをよく見てみよう。彼(?)は今にも泣きそうに目を潤ませているが、涙はかろうじてこぼれないよう、押し留めている。演技派だ。
英語ではpleading faceと呼ばれているが、直訳すれば「お願いする顔」である。
お願い。何をお願いしているのだろうか。
PIENという個人開発ゲームでは、脚と手と胴体の生えたぴえんがプレーヤーを見つけ次第走って追いかけてくる。
そしてその「お願いする顔」と鉢合わせるとゲームオーバーとなり、やり直しだ。
彼(?)は、そのお願いが叶わないために、ずっとあそこをうろついているのだろうか。
どちらにせよ、あの顔は何かを訴えているとしか思えない。
私はこう思う。ぴえんは、「愛してくれ」と訴えているのではないか?自己顕示欲を満たしたい。この満たされない想い。人は称賛されたいと、褒められたいと、認められたいと常に願っている。だが実はそれの裏には「愛されたい」という強い欲望が眠っている。実は頑張らなくても愛されることはあり得るのだが、その欲望の強さゆえに、人は無視されることをことさら恐れるのである。不安なのだ。自分の存在が、誰にも知られていない気がして。
ぴえんは恐怖と欲の強さでついに肉体を得て、気持ち悪いがキレッキレの踊りも体得した。独自の歌をBGMとして纏ってすらいる。全てはプレーヤーからの愛を獲得するためだ。だが、ぴえんには、その甘えから自立してもらわなければならない。それがPIENのテーマだと私は思う。人生は自己顕示欲との戦いである。他人に認められたいあまりに、自撮りを加工しまくってアップしたりする、ああいう、痛さとの戦いだ。
そう。自撮りなんかしなくてもいい。自立した大人は大体その無意味さを知っているものだ。すごく美人なコスプレーヤーや芸能人でもない限りは。
ぴえんは最終的には成敗されてしまうが、脚の生えてない丸いぴえんはまだまだ床に転がっているのが見える。
愛に飢えた、自己顕示欲の、モンスター化する前の幼体である。
どうか世界のぴえんたちよ。焦らず、自分を受け入れてやってほしい。
そして大人になるんだ。良き大人に。ぴえんだった頃を、蔑むのではなく、認めて受け入れて、懐かしく語れるようになろう。
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