ロボコップがアマプラにやってきた!
私の幼少期は、SFとともに育ったと言っても過言では無いほど、SFが大人気だった。宇宙開発が活発だったからというのもあるかもしれない。
スターウォーズやターミネーター、エイリアン、宇宙の映画が大量に出て、スピルバーグが大活躍し、藤子・F・不二雄の漫画が大流行した時代だった。
その中でも異色の大人向け人気映画がロボコップであると思う。
最初はタイトルからすると、いかにも男の子が喜びそうだなと思っていた。名前があまりにもわかりやすくて、ロボット警官のルックスは、アベンジャーズみたいな、ヒーローものを彷彿とさせる。しかし、初めてこの映画を観た時、私はとても悲しい想いをしたのをよく覚えている。映画の内容は大半は抜け落ちていたのに、とにかくかわいそうだったという感情だけは何年経っても忘れることがなかった。そのくらい、主人公の置かれている状況と、彼の心境がありありと想像できる映像なのだ。特に家でのフラッシュバックは今でも涙が出そうになるくらい、切ない。感情だけがくっきり残るというのはある意味すごい映画だと思う。
マーフィーはとにかくかわいそうな人なのだ。
しかもこれでもかというくらい、この映画ではマーフィーをいじめ抜いている。私のような観客に同情させる目的なのかもしれないが、描かれる悪はとにかく残虐だ。物理攻撃も、精神攻撃も、両方全力である。
しかし私が良質だと思っているSFは大体そういうもので、科学が進んだ結果人間が苦しめられたり、大事なものを失う悲しい展開が待っている。SFは本来教訓めいたものが多いので、悲劇やホラー、サスペンスが多い。ジュラシックパークなんかがすごくわかりやすい。
また、間に挟まれる、進んだ科学をブラックジョークで皮肉る小ネタもなかなか冴えている。核戦争ゲームなんかは特にひどい。
マーフィーは死体になったところをロボコップとして蘇生されたのに、生まれ変わってもひどい目に遭わされる。まったくヒーローっぽさがない。せいぜい子供に少し人気があるくらいだ。あとは大人に振り回され、とにかく悲劇の物語だ。この映画をつくった人は相当露骨に科学や経済、権力を批判したいと見える。 かなりの皮肉が込められていると感じる。
そういう人の気持ちを考えない科学や権力者の残虐性と、それの犠牲になるマーフィーのような人間の気持ちが、対比として鮮やかだ。「人の気持ちを考えたことがありますか?」とひたすら問いかけられているようだ。倫理ってこういうところにあるのかもしれない。
この映画を観て、マーフィーに同情しながらも、もっと人間であることを大事に生きていこうと、利益ばかりを追求して他人を陥れるのは良くないと、「正しく生きる」ことの重要ささえ感じてしまう。マーフィーは決して幸せではないどころか、悲しい過去を持つ男となり、死ぬことも許されなくなってしまったのだ。
そんな壮大なテーマがありながら、ディテールはSFファンが好きそうな丁寧なメカ描写、丁寧な効果音や動き、独特のギミックがあってSFとして観ていて楽しい。ロボコップのデザインが、少しダサめなのが逆にリアルなのだ。実際にロボの警官をつくったらこんな感じになるだろうという、あまりかっこよくないのがリアルなのだ。
また、会社の人が絶賛していたED209のストップモーションはたしかに良かった。CGはどうしても、実際の金属の重さなどが嘘臭くなりがちで、動きがなめらかになりすぎる。コマ撮り特有のカクツキが、逆にメカ感を出している。また、前にも書いたけど昔の映画はCGを使わない代わりに、照明が偽物ではないので、自然に空気に溶け込むというリアリティが望めるのがいいところだと思う。
ED209に関しては、階段が降りられないシーンがとても秀逸だと思った。階段を無理に降りようとして、転がり落ちてじたばたするところなど、撮影大変だったろうなあと想像する。
また言わずもがな、マーフィーの俳優のメカっぽい動きが上手い。この俳優さんのお顔がとても印象に残る。どことなく人間を超越したメカっぽさがあるんだけど、それと同時にいじめられそうな純粋さも感じる。いい俳優さんだなと思う。
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