シャイニングという能力について
便宜上「シャイニング」と呼ばれている能力だが、第六感に近いような能力だと思う。
子供の時、友人の家に行くと、猫が勝手に膝に乗ってきたり、
なんとなく「気の合いそうな人」がわかったり、
言葉が通じない外国人と仲良くなったり、
相手の考えていることがなんとなくわかって、その人の欲しいものを当てたり、
突然脳内に降りてくる物語や景色を絵や小説にする。
霊感のような、あいまいな感覚だ。
だから、ダンのいう通り、気づかない人がたくさんいるし、年を取ると能力が減っていって、鈍感になっていってしまう。
本来「シャイニング」というのは多感で繊細で芸術性のある、素晴らしい能力のことをいい、おそらく子供の時は誰もが少しはもっている能力。だから、「輝き」という美しい名前が与えられている。ドクタースリープという作品は、それを狙う傲慢な連中を「大人たち」ととらえることで、「多感で繊細な子供たちの可能性を大人たちが貪り食って潰している」と読むこともできる。
ダンには死後の世界がわかる
ダンは、さまよいながら生き続けてきたが、冒頭でホスピスで働くことを勧められる。
ダンは死ぬ間際の老人に、「怖い」と訴えられる。
でもなぜか、ダンは死のことをよく知っていた。そういえば、亡くなったはずの人としゃべっているシーンもある。
死は怖いものではない。ただ眠るだけ。そして自分自身はいなくならないという。
ホスピスで働くことを持ち掛けられたときも、「我々はそもそも死にゆく生き物である」と悟りをひらいたようなことをさらっと言う。
シャイニングを喰らう集団は、永遠の命を望んでいる
こいつらがどうやって結成したのかはわからないが、帽子をかぶった女性が儀式を行うと、普通の人間も同じくシャイニングを喰らうことで永遠の命を得ることになる。だけど、シャイニング(生気、スチームと呼ばれている)を喰わなくなったり、銃弾で撃たれて物理的に破壊されると煙のようになって死んでしまう。
ダンは、アブラが誘拐されている最中に、アブラに乗り移って車のドライバーを責め始めるのだが、その時のセリフがダンの考えをよく示している。
「傲慢だな。永遠の命があるから、シートベルトをしないのか」
つまり、ダンは死が悪いものだと思っていないので、死を恐れて他人を喰らう連中を傲慢だと思っているのだ。
つまりドクター・スリープって、生と死の話なんじゃないかと
色々余計なことはたくさん盛り込まれているし、なんにせよあの屋敷の謎はいまいち解けてないんだけれど、最後にアブラが言うセリフとも組み合わせて、結局は
「死は怖いものではない」
「死を恐れるあまり、永遠の命を得ようというのは実に傲慢な話だ」
というのがテーマなんだと思う。
それにしてもダンの人生は能力のために狂わされ、一時的にアルコールに逃げていたとは言え、彼がものすごく謙虚でストイックな精神の持ち主であることは尊敬に値すると思うのだ。
ダンは繊細で、世の中の傲慢な人間たちに、汚れた世界に失望していたのだが、アブラが現れることで、彼女に託そうと決意することで、ストーリーは希望をもって終わっている。つまり、「シャイニング」を生かそうと思うと、相当な強い精神力が必要ということになる。
だけど、ダンのような繊細な人たちが、潰されることなく能力を生かせる社会にしていくというのが、最終的に我々が目指すべき方向だと私は思う。
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