2023年2月24日金曜日

「ベネデッタ」観てきました

17世紀イタリアに実在したという、ベネデッタ・カルリーニという修道女のお話です。監督はロボコップを創ったあの御方。

どちらかというとビジュアル重視で観に行ったのですが、私は「ヨーロッパ」「修道院」「宗教史(キリスト教)もの」「ペストの時代」というだけで観たいと思ってしまう派です。 その辺は期待を裏切らず、フランスでつくっただけあって本格的なロケーションや衣装、セットに感動でした。あとやっぱり讃美歌とか宗教音楽が好きなので音楽もよかったです。

ベネデッタは同性愛でいったんは有罪にされた女性ですが、そこはあんまり重要ではないなと私は感じました。レズビアンものが観たい場合はちょっと期待はずれになるかな?本格的にレズが好きならやっぱ「キャロル」ですかね。アトミックブロンドも思いのほかレズビアン色が強かったですね。

それでは何に重きをおいているかというと、よくキリスト教ものにある

「本当に神の奇蹟というものは存在するのか?」「信仰とはなにか?」

というところが大きい疑問になると思います。

キリスト教を礼賛する内容ではありません。

ただ、ベネデッタの信仰心自体は本物ではないかな?と私は思いました。

冒頭から、ベネデッタは同性愛っ気があることが示唆されますが、そのシーンで彼女は奇跡的に事故から救われます。その他にも、ちょっとした奇蹟を起こしたりもします。彼女が視る夢も、内容自体は本当だと思われます。

ただ、その夢の内容から私が感じたことは、

彼女にとって、「キリスト」は推しだったのではないかと…。

言い方はあれなんですけど。

「天使にラブソングを」で、「彼(主)から離れられない」という歌があると思いますが、要は、そういうことだと思うんですよ。修道女は、キリストに恋をする。

そして、ベネデッタは、「キリストの嫁」宣言をします。夢の中で花嫁と呼ばれたと。

ではなぜ同性愛か?

ベネデッタは本当はキリストと交わりたかった。それを示唆するシーンもあります。ですがキリストは故人であり、当時の彼女にとっては単なる推しです。

代わりに、バルトロメアと交わり、オーガズムを知ることで、キリストへの想いを昇華させていたのではないかと…。

そう考えると、バルトロメアのことはあくまで「キリストの代わりに肉体を借りている」人間ということになります。全体的に、ちゃんと愛している感じはしないんですよね。

バルトロメアがかわいそうじゃん、っていわれそうですが、私はあまりそう思いませんでした。そもそも誘惑の仕方からして頭が悪すぎる。修道院でセックスに耽るのはご法度だと彼女でも知っていたはずです。

それにしても拷問シーンは怖かったですね。これは監督さすがだなあと思いました。拷問というのは、拷問をしているシーンが怖いのではありません。

「これからこれを使って拷問をするよ」と道具を見せられている間が一番怖いです。まてまてまて何をするんだそれで。という。そして役者の演技が真に迫りすぎていました…。

しかし、この拷問をきっかけに、ますますベネデッタの黒さが浮き彫りになってくるのです…。

ベネデッタの使命

ベネデッタは、賢く、したたかで、本当に強い意志を持った強い女性だと思いました。

彼女の使命は、キリストの名を借りて、ペシアの人々に勇気をもたらし、統一すること。

そう、彼女は、ある意味女王として、アイコンとして君臨するのが使命なんだと思います。かつて、ジャンヌ・ダルクがそうであったように。

カリスマ性と、リーダーシップがありました。

そう考えると、バルトロメアは邪魔だったのかもしれません。彼女がいなければ、裁判になることはなかったわけですし…。

しかし、彼女がいることにより、そして性的な仲になることにより、ベネデッタの信仰は疑われます。これが、視聴者にものしかかってくるわけで、その疑念が映画の最大のテーマだと思います。ベネデッタは、単なる美しく若い信仰心に燃える奇蹟の修道女ではないということが、だんだんわかってくる。

しかし、彼女が、教会の掟を破って同性愛に手を出したとしても、おそらく、キリストへの想いは本物ではないかと、私にはそう思えました。

 

現代的な解釈をすれば、恋人も愛さず、本音を言わず、職務と使命に燃える徹底的なリーダーシップの在り方を見せられたようにも思います。時には、このくらい強いリーダーシップが必要なのかもしれません。 嘘をついてまで信念を貫きとおすのが、良いことなのかはわかりませんが、少なくとも街の人々はベネデッタを信じていたし、好かれていたのもわかりました。そういう、カリスマ的なリーダーの「光と闇」を的確に描いていると言えます。それが「女性」であることが、いいなあと思いました。

 

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