2024年10月20日日曜日

ジョーカー フォリ・ア・ドゥ

【少しネタバレあります】 


非常に評価が低く米国では最悪と言われている本作ですが見てきました。

37,39って初めて見たかもなw

ちなみに私はジョーカー自体は「嫌い」なので、あまりにも普通というか当然の報いじゃないの?ってドライに思っちゃいました。そういう映画です。目新しいものがない。

前作のジョーカーは評価されすぎましたね。私はあの時も「ジョーカーに同情してる人の気持ちがイマイチわからん」と思ってました。

社会的弱者だから人を殺して良いわけがない。

今回「女性と関係があまりなく、童貞だっただろう」と裁判で言われていてブチギれていましたが、つまり「社会的弱者」「弱者男性」に向けたキャラクターなんだと思うんですが、だからといってやっぱり、人を殺してはいかんのですよ。だから京王線で真似するような人が出てくる。そこは殺さないでどこまで頑張れるかですよ。殺す以外でも戦う方法があるのだから。特に男性はどうしても女性に比べると、弱者であるにもかかわらず結局暴力で発散しようとする人が多い。

どこが弱いんだよ、って思うわけ。

ただ、今回のこの映画に関しては、

「ハーレイ」をどう捉えるかが少し疑問でした。

今まで弱者男性であり童貞でありモテなかったアーサーが、ジョーカーになることで(?)ハーレイにみそめられたというか、ハーレイには魅力的に見えたのでしょうね。彼女の方から気に入って声をかけたわけですが、ジョーカーは社会的には裁かれる立場にあるわけです。

さてこの映画、いつもの如く派手に立ち回ってジョーカーが逃げ切れればよかったのにそうは描かれていません。

そこは、解釈が難しいなと思いました。

単純に、ジョーカーはやっぱり悪いやつだから。なのか、

ジョーカーは次へ次へと受け継がれるものだから、なのか。

数々の悪評がXに溢れる中、「ジョーカーは受け継がれていく」と書いている人がいてそっちが正解ではないかな?と感じました。

なぜかというと、

  • ジョーカーがハーレイを妊娠させる。そしてジョーカーは「後継ができた」と結論を出している。
  • ラストのあたりで、アーサーが逃げる中、ジョーカーのメイクをしたファンが追い縋ってくる。つまり民衆の中ではジョーカーは生きている。
  • そして最大のヒントは一番最後だと思います。明らかに、後ろの人はナイフで口を大きくしていますね。彼が、次のジョーカーでしょう。
前作でジョーカーは「伝染し」、今回も蔓延している。アーサーは有罪で終わる。けどジョーカーは民衆の中で生きる。

前作のブルース・ウェインとの年齢差もXで指摘されていましたが、おそらくブルースが大きくなったあたりで、また派手なジョーカーが出てくるのでしょう。
ハーレイがまるでただのツールのように扱われているような気がして、全然恋愛描写も共感できませんでしたが、神話のようなものだと思えばまあわかる気もします。
ただ、マーゴット・ロビーのハーレイとは全く違っていて、魅力は感じませんでした。
ミュージカル部分が蛇足なんですよね。すっごい中途半端だし。
しかも、惜しいのが、ホアキン・フェニックスも歌が上手いのですよ。とても優秀な役者なんだなと今回も思いました。演技も相変わらず上手いし。
だけどレディ・ガガを出すからミュージカルにするという安易な発想で、すっごい中途半端なミュージカル映画にしてるし、しかも最後らへんとかじゃあ他のミュージカルみたいに歌って終わるんかと思ったら歌わないし、他の有名な歌のパクリが多いし、
これ、きっと内部でも揉めながら作ったんだろうな〜、
って感じる作品です。
なんというか、「ジョーカー」というコンテンツの限界を感じました。


0 件のコメント:

コメントを投稿