スタッフロールで流れるビリー・アイリッシュの「What was I made for?」が心に沁みすぎる今日この頃。
すごい映画だった。
思い出すと涙が止まらない。
もしかして。もしかしたら。この映画は。
グレタ・ガーウィグが、更年期に突入してもなお道に迷い続ける、哀れな女の子である私にプレゼントしてくれたメッセージではないのか。
女性の身体の異常という成長
この映画で、バービーは開始早々身体に異常を自覚する。そして、現実の世界へイヤイヤ出発する。(予告編にもある通り、バービーは本当はハイヒールの世界にいたいのだ)
これは40代の私に生じた異変「ひざの痛み」でもあり、11歳の少女だった私に生じた異変、「月経の始まり」でもあるのだ。
女性は生涯、女性であるだけで多数の障害に悩まされる。健康な証拠でも、やはり障害と呼びたくなるほど体調の異変に振り回される。そして鈍感で粗野で頭がお花畑の男性陣には理解されがたい。
11歳で月経が始まり、一番美しい頃はひたすら男性陣にねらわれ取り合いされ続け、どの男がいいやつかなんて判断もつかないほどだった。20代の女性に10代後半から60代の男性が群がるのだから当然である。新宿ALTA前を歩くと、10mで10人くらいに声をかけられる。キャッチセールスが大半だが、彼らは「若い子」にしか声をかけない。
40代で落ち着いたかと思えば、バツイチの男性や残り物みたいな男性に執拗にねらわれ続けた。そして、そこからも逃げたあと更年期障害が始まる。更年期障害が終わった後は、骨粗鬆症との戦い。老いとの本格的な戦いが始まる。そして資金も必要になる。私は独身なのでまず自宅を確保しなければならないかもしれない。
女性としてやっと終われる、と思いたいが、災害時の避難所で60代の女性が性犯罪に遭う時代である。性的に狙われる対象は相対的になっていて、他にいないのであれば70代でも襲われる可能性があるのだ。
私たちはそうやって、バービーには無い、女性が遭遇する厳しい現実に鞭打たれて生きてきた。だから、この映画は泣けるのだ。特にその戦争が終わりつつある更年期の女性は、まだまだそれでも生きなければならないという苦悩を抱えつつ、この映画に救われながらまたも尻を叩かれている気分になる。
「ルース」と言う母親
バービーは、自分の創造主である「ルース」と言う女性に出会う。つまりこの女性が、バービーの母親だ。
バービーには母親がいなかった。強いて言えば「変なバービー」が彼女の行くべき道を示してくれたが、母親ではない。
私はこのルースの存在が羨ましかった。
自分のアイデンティティが危機に陥った時、背中をそっと押してくれる人が母親であって欲しい。この映画では、ルースがその役割を見事に果たしている。
私の母は、月経が始まった時も、それとほぼ同時に世界に絶望を感じて塞ぎ込んでいた時も、何一つ助けてくれなかった。
月経を賛美しろと言うのではない。多くの人は間違えているが、月経には良いも悪いも無いのである。
月経がきた女性に必要なのは、先輩からの励ましである。これから、50歳くらいまで毎月このえげつない月経というのが来る。生理用品の準備を怠るな。生理中なのがバレることよりも、服を汚す方が恐ろしい。そして、異変が生じた時は病院に迷わず行けと、言って欲しかったが、母はそういうことは基本的に言ってくれず、穢らわしいものを見るように、かつ怯えながら生理用品を渡してきた。彼女は、自分が育てた娘が女になるのが恐ろしかったようだ。3人もいるのに、である。私は生理のことは全て本やインターネットなどで学んできた。あの時、学習雑誌が買い与えられていなかったら、私は月経のことを知らないまま血を流していたかもしれない。
もしかしたら、彼女の初潮の時も恐ろしいことがあったのかもしれないが、人生の先輩はそれを正さなければならないのでは無いのか?
これは、彼女の未熟さから来るものであり、恐ろしいことに彼女はまだバービーのままなのである。
アダルトチルドレンが一番泣くのは、「親からの愛情は一生得ることはない」と悟る時である。そう、一生その時は来ない。自分の方が大人になってしまったからだ。だから、たくさん泣いて、自分を自分で愛さなければならない。そして自分は愛されなかったのに他人を愛さなければならない。死ぬ前に和解しろだなんて、映画のようなことはできない。彼らはそもそも自分が悪いとは思っていないからだ。
人形遊びからの卒業
この映画は奇しくも、バービーがテーマでありながら、人形であり続けることが困難な展開をしている。つまり、人形遊びからの卒業。夢の世界からイヤイヤ叩き起こされるのがプロットである。
私は妹が2人いたので、ずいぶん長い間人形遊びをしていた。もともと現実が嫌いだし、人間が怖いと思っていたので、内向的な人形遊びで空想の「パーフェクト」な世界を「リカちゃん」で構築していた。(皮肉にもアメリカにいたのだが、バービーを買わずにリカちゃんをしつこく使用していた)
ここで面白いのが、妹が先に人形遊びから卒業してしまったのだ。
彼女は、私が作ったパーフェクトなリカちゃんワールドを物理的に破壊して強引に遊びを終わらせるのだ。
私は、妹に付き合ってるつもりだったが、彼女は先に自立してしまった。
ここで、グレタ・ガーウィグについての興味深いツイートを紹介したい。
映画『バービー』(マーゴット・ロビー主演)の脚本の着想は、自分が子供の頃読んだ育児書『『Reviving Ophelia』から得ている、とグレタ・ガーウィグ監督は話す。「母が図書館から借りてきていた。自身に満ち溢れ元気だった思春期の女の子がある日を境に病むのはなぜか」https://t.co/jpCw3UyK6x
— こりま (@korimakorima) May 28, 2023
私も11歳で突然病み始めたので、非常に興味が沸くとともに、グレタ・ガーウィグ監督は自分と似たような女性なのではないか?と思い始めた。
病むには色々な原因がある。月経もその一つに違いない。
月経が来ることで強引に大人にされる我々は、男性からしたら「妊娠可能な女性」として見られるようになり、着飾ったり化粧をするようになる。男性のためではなく、「よりまともな男性を得るために」淑女としてきちんとすることを求められるのだ。
グレタ・ガーウィグ監督は、バービーの強烈なスタイルの良さ(リカちゃん人形の2倍はグラマラスかもしれない)や最初から与えられているキャリアを批判しているのだろう。
あんなものを理想像として置かれたらたまらない。私も子供の時バービーはいらんと思っていた。あまりにもかけ離れているからだ。もちろん夢を見るのは勝手だが、それは女性にとってとてつもなく重荷になることがある。
例えば、恐ろしいことに、私が12歳くらいの時林間学校でダンスパーティーが行われた。アメリカの林間学校である。
全員参加だ。
男性が誘う側になる時は本当に恐ろしかった。男子が一人ずつお気に入りの女の子を無料で選んでいくダンスパーティー。
ルックスで選んでいるに違いなかった。私は、最後から2番目だった。おぞましい、と思った。最後に残ったのは黒人の女の子。完全なる人種差別が行われていた。しかしその前に、美醜で選ばれているに違いなかった。
ディズニーのアニメ映画のように、美しい王子様が踊ってくれませんか?なんて言ってくるのは既に遠い夢。おとぎ話は12歳で無惨にも破壊されてしまった。
つまり、思春期は男性の目を気にしたり、魅力的でなければならないというプレッシャーが突然襲いかかってくるのである。胸も大きくなってくるが、胸の大きい子はそれだけで苦しむ。胸が小さい子は大きい子が理想だと思っているので同じく苦しんでしまうのだ。
つまり、グレタ・ガーウィグが言いたいのはそこなのだ。
美しい?美しくない?胸が小さい?メガネかけてる? キャリアがある、ない?
そんなことはどうでもいいと。
もっと自分を大切にしてくれと。
そんなの、誰も言ってくれなかった。
私はこれからも男性の好奇の目に晒されるだろう。中には皮肉にも、私の英語力やキャリアに恋する変態的な男性もいるのだ。かと思うと、ビキニでビーチを歩けば立ち止まってずっと眺めていたり、ノースリーブから出る私の腕をジロジロと見る人もいる。きっと気持ちいいんだろうな。
でもそんなこと気にしなくていい。あなたはあなたのままでいい。
そう、ルースに言われるたびに、アダルトチルドレンの私は泣くのだろう。
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