配信にない映画で有名なものの一つに「バタフライ・エフェクト」がある。
先日台湾行きの飛行機内の映画ラインアップがなかなか素晴らしかったのだが、その中にこの映画が鎮座していた。
成田から台湾は3時間くらいしか時間がない。帰りは2時間ちょっとである。1本ギリギリ見られる感じであった。
しかも日本語字幕はなし。吹き替えもなし。台湾行きなのであっても繁体字である。
雑音の多い飛行機の中で、必死で英語のヒアリングをしたが、英語がたとえわからなくても、何が起きているかはわかるかもしれない。
それでも序盤は主人公エヴァンの記憶がポンポン飛ぶので理解するのが難しかった。
エヴァンは少年期に、何度も記憶がブラックアウトし、突然「結果」に飛んでしまう。気づくととんでもないことになっており、母親にも「何があったの、言いなさい!」と問い詰められ、「本当にわからないんだ」と彼は泣く。そこで観客も「演出として飛ばされたわけではなく、エヴァンは時々ブラックアウトするんだ」とわかる。
この後7年後に話が飛ぶ。
エヴァンはアシュトン・カッチャー演じるイケメンに成長していた。
記憶のブラックアウトが病気だと思っていた彼は、すっかりブラックアウトが治って楽しそうに生きていたが、過去の記憶がないせいでケイリーを傷つけ、死に追いやってしまうのだった。そこからようやく彼は問題意識を持ち、過去に飛ぶ能力を手にいれる。
脚本が素晴らしかったけど、私は「7年間無責任に記憶を放置していた」のがいいのか悪いのか、それだけは気になった。
しかもケイリーと別れて引っ越すとき、彼はわざわざスケッチブックに「I'll come back for you」と書いて見せている。
必ず戻ってくると。
実際、ケイリーが死んでから戻ることにしたわけだが、ちょっと遅くないだろうか。
まあそれはいいとしよう。エヴァンは自分が病気だと思っていたのだから、仕方ないのかもしれない。
問題は、過去を変える能力を持ちながら、全然上手くいかないところなのだ。
エヴァンはこう見えて優しい青年だった。
ケイリーだけを救うことができなかったので(個人的には、ケイリーさえ救えればと思うのだが、結局他人の嫉妬に巻き込まれて酷い目に遭う)全員を救おうとすると自分がさらに酷い目に遭う。
ショッキングな展開が連続し、同じ能力を持っていたと思われる父が精神病院に入っていた理由がなんとなくわかってくる。
脚本は時系列なのに、ちゃんとわかるように展開していくのが素晴らしかった。
よくあるSF映画で、素晴らしい能力を手に入れたのに結局現実をほとんど変えることができなかった、というのはあるある。しかも大体のSFは最後バッドエンディングが多い。
教訓とも言える。だがエヴァンが本当に賢いなと思ったのは、エンディングである。要は欲をかきすぎると失敗するということである。アメリカ人は欲が強いが、本来はSFとはそういうものなのだ。過度な技術や能力を手に入れて自分を壊していく話が多い。
エヴァンは最後にとあることを諦めるのだが、なんとも切ないエンディングだった。
だが私はこれを現実に当てはめるとものすごい腹落ちするのである。
男女逆に考えたとき、私には度々、しつこく付きまとう男が現れる。
だが私は一回失敗しているし、彼らの狙いも知っている。残念だが、どんなに強く求められても自分の気持ちが動かない時は彼らに期待してはいけないのだ。男性は本能が強い。あとも先も彼らは考えていないし、大体「どうにかなるさ」と思っている。それ自体はいいのだが、「どうにもならない」と女性が思っている時は絶対に同意してはならない。
男性からの熱烈な好意は、お菓子をもらったくらいの気分で受け取るようにしている。彼らは私の一時的なファンなのである。今の私が好きでも60代になれば興味をなくすかもしれない。
エヴァンはケリーと両思いだったのに、どうしてもうまくいかなかった。神のいたずらなのかもしれないが、これは私の人生ではしょっちゅう起きることだ。私が好きになった男性がいても、無理やり付き合ったら本性が正反対だったり、優しかった人格が捻じ曲がったり、会社ぐるみで強引に邪魔されたりと信じられないドラマが次々と起こる。もし運命があるとするならば、それはとても残酷なものだと私は感じている。
私に運命を感じている男性というのは複数いた。彼らはその時だけは私をランキングトップに据えてプライズのように執拗に狙ってくる。だが生きている女性に隙はない、隙があるのは恋をしている男性の方である。だから男性による女性の殺害が起きるのである。殺さないと手に入らないからだ。
現実は小説より奇なりというが、私の人生に起こったことを脚色すれば簡単にバタフライエフェクトくらいにはなるかもしれない。
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