この映画は序盤はまるでバービーのようだった。
綺麗な街に住む主人公「アリス」は今時まさかの専業主婦で、夫「ジャック」がとても重要な仕事についていて、毎朝彼を笑顔で送り出し、昼間は同じ会社に勤めている男性の奥さんたちと喋ったり、買い物したり、家事をしている。
この時点で違和感満載である。
怖いのは割ると何も出ない卵のシーンである。
だんだん嫌な予感が増してきて、近所の主婦仲間が一人「我々はここにいるべきではない」と叫んだあと、自殺するシーンをアリスは目撃する。が、それもなかったことにされる。
フローレンス・ピューのキャラクターでそんなのを放っておけるはずがない。
彼女はある日、閉塞感を感じてスーパーへのトローリーバスに目的もなく乗っていたが、飛行機が墜落するのを見てしまう。
だが運転手は見ていない。ここは、「見えていない」のか「見たけど否定している」のかでいうと前者らしい。アリスの妄想の可能性もあると私は思う(この映画は、卵も含め謎が多い。アリスがこれは現実ではないと気づき始めているんだと解釈している)。
この時のアリスの「あんたどうしちゃったの?私は助けに行くわ!」が実にフローレンス・ピューである。
(後半で彼女の本当の職業が明かされると納得である。人格は変えられなかった)
アリスは外に出て、真実に気づいてしまうが、結局システム監視者に捉えられ、再洗脳を受けてしまう。
このあと「本当の現実」が映し出されるのだがなかなか恐ろしかった。
ジャックはアリスを「本気で愛している」というのだが。
それは本当に愛だろうか?
私は「夫婦の在り方」についてこの映画で真剣に考えてしまった。
女性に稼がれたらそりゃ立つ瀬もないかもしれない。だがどっちだっていいではないか?男性が専業主夫をやったっていい。育児もやってくれれば非常に助かる。
問題は男性がそれを「幸福」だと思えないところなのである。
勝ちたいとか、優位に立ちたい気持ちはわからんでもない。が、愛している人に負けていただくという欲望はどうなんだろう?それは愛なのだろうか?
これは私も経験あるからいうけど、
いうこと聞いてくれるから愛してくれている は真実ではないし
支配しているから愛せている も真実ではない。
支配と服従は所詮、会社の関係と同じだし、無償労働は奴隷制度に他ならない。
無償労働と施しも大きく異なる。
施しというのは、自分の満足している価値を上回った残りの価値をプレゼントとして誰かにあげることである。ギブの精神は納税や無償労働とは全く違うのだ。
それに今まで見た「昭和の夫婦」って何パターンかあるけど、結構多いのが自分の手に負えない女性を娶って結局支配しきれず、先立たれたりするパターン。
それに少子化を改善するために結婚を奨励するのは筋違いだと思う。
結婚は実にトラブルが多い。トラブルのない夫婦など聞いたことがない。
結婚制度を一部無視して、施設で育てるやり方も私は悪くないと思う。国が手厚くサポートすれば、結婚せずシングルマザーの状態で日中はプロが子供を預かり、女性は働きに出る、でもいいと思うし、なんなら預けっぱなしでも別にいいんじゃないかと思う。
古いしきたりに強く洗脳されているのは男性の方だし、私はそれがとても可哀想だと思うのだ。だって昭和の夫は、自分の稼ぎは全部嫁と子供に吸い取られていたからね。それでも余るから、なんとか楽しめてきたけど、今の時代はそうもいかないだろう。
確かに男性が大人になるにあたって、結婚して子供を持ち、責任を背負って生きる過程は必要かもしれないが、私に言わせれば多くの男性は結婚してもその責任感をちゃんと持っていない。子供のまま大人になり、自炊も満足にできない人が多い。
だから結婚は必ずしも必須の通過儀礼ではないと思う。
だが、多くの男性は恋愛に強い憧れを持っており、その力は乙女ゲームなんて遥かに凌駕している強い本能である。それが彼らの哀れな部分なのだ。
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