かねてから映画ファンの間で良いと噂されていた「テルマ&ルイーズ」がアマプラにやってきたのでなんとなく観たのだけど、とんでもない良作だったのでぜひ紹介したい。
ノリ的にはグレタ・ガーウィグが喜びそうな、女性向けの作品であり、ことごとくアホな男性が次から次へと登場する。
あらすじとしては、テルマとルイーズという仲の良い中年女二人組みが旅行に行こうとオープンカーで楽しく出発する。途中立ち寄った店で羽目を外したテルマがレイプされそうになったところでルイーズが男を射殺してしまい、逃亡劇が始まる。
最初から爽やかでコミカルな、少しお下品な南部アメリカンコメディなのだが
監督がリドリー・スコットだけあって、世知辛い、ほろ苦い現実が明るい彼女たちの逃亡劇に苦味を加えていて、絶妙である。もはやポエムだ。オープンカーでかっとばしながら男どもに制裁を加えていく姿は実に痛快だ。だが彼女らの爽やかで豪快な逃亡劇は、なんとも言えないエンディングを迎えるのだが、それですら、肯定したくなる。脚本賞が与えられた理由はよくわかる。
ちなみに全編英語で観たのでうまく翻訳はできてないと思いますが、ご容赦ください。
続々と登場する身勝手な男性キャラ解説:
ハーラン:
レイプ未遂シーンでテルマはビンタされても何も言わないが、ビンタをし返すと「俺を殴るな!」とものすごい剣幕でヒートアップし、急いでペニスを挿入しようとする。ちなみにテルマがビンタされた回数は3回。男は1回である。
ハーランはウエイトレスに注意を受けているので、ナンパは日常茶飯事のようだ。
いわゆる俗語でいう「ヤリチン」タイプの男である。
ジミー:
ルイーズの彼氏。「私を愛してる?」の質問に、少し間を置いてから「YEAH」でルイーズが「今の気にしないで」のやり取りは本当に笑える。
しかしこの後、ジミーが追いかけてくるのだ。「愛してはいないが、執着はしている」のである。しかもこの執着がものすごい。かなりの粘着質で、「他に男がいるんだろ!」と勝手に怒り出すが、ルイーズは気が強いのでさっさと去ろうとする。するとおとなしくなる。ジミーはかなりまだ、飼い慣らされている方だが、「ルイーズが他人に取られること」を異様に嫌がっている。
支配欲の強いタイプで、支配することに異様な執着を見せるタイプの男だ。ルイーズは彼を愛しているが、そのような理由で結婚はできないと言い放つ。
だが多くの男は支配欲で結婚を決意するし、そのような恋愛テクニックは公然と出回っている。男性の習性だからである。
ダリル:
テルマの旦那。ルイーズが「ぶた」と呼んでいる。このぶた云々はJDの質問から導き出されるのだが、JDは後述するが頭の回転が速いので、テルマから結婚した年齢や子供がいない理由まですらすらと引き出してしまう。
ダリルは頭の働かないポンコツおじさんで、もはやテルマを愛しているのかも疑問なのだが周りからしたら馬鹿すぎて扱いやすい。だが、旦那としては全く頼りにならず、テルマが逃亡した理由も皆目検討がつかないことだろう。愛想を尽かされているとも言えるが、テルマは一応彼を頼ってはいる。それすらも彼は気づいていない。
自己中お子様タイプの男性。
JD:
若き頃のブラッドピット。まだ売れる前である。この映画で惜しみなくピッチピチの上半身裸を見せて、多くの女性を虜にしたのだろう。この後彼はバカ売れするw
よかったなと思うのはこのJDがクズなところだ。ブラピはやっぱり悪役が似合う。
彼は泥棒で生計を立てており、巧みなトークでストレスが溜まっているテルマを口説き落とす。しかし彼は逃亡資金を盗むのが目的だった。
こいつが面白いのはテルマの旦那さんに会った時の一連の言動である。JDはまあまあ頭がよく悪知恵が働くため、「あんたの奥さんよかったよ」と腰を振る動作をする。ひどい侮辱なのだが、旦那がマジギレするのがどうしても笑えてしまう。
バカVSちょっと頭のいいバカ…。
タイプとしては、「ワルイ男」。
タンクローリードライバー:
彼は冒頭から彼女らをつけねらっている、40代くらいの変態おじさん。「そろそろやらせてくれよ」と言わんばかりに「真面目になったか?」みたいな妙な誘い方をするが、舌をべろべろして見せたり、イチモツがどうのと叫んできたりする。
テルマとルイーズはさすがに呆れて彼の車を止めさせ、散々侮辱したことを謝れと謝罪を要求する。だが最後まで彼は謝らないので制裁を受けることに。
究極のセクハラおじさんタイプである。この手の男はもう救いようがない。虫以下である。
刑事「ハル」:
唯一、彼女らを真剣に気にかけている刑事。ルイーズがレイプ被害者だった過去も調べてあるもようだ。彼女らには何か理由があって逃亡しているのだと、チャンスをくれてやりたいと真剣に思っている。
唯一の、「まともな男」である。
その他気になること:
「Girls」 発言
ことあるごとに、特に刑事さんが彼女らを「Girls(女の子)」と呼ぶのが気になった。
当時1991年、まだまだ女性蔑視が強かった頃だからなのだろうが…
可愛がってくれているのはわかる。だが既婚者と、とっくに成人してバリバリ働いている中年女を、「ガールズ」はいかがなものだろうか。これは日本人にも突き刺さる違和感である。
1991年は「羊たちの沈黙」がリリースされた年だが、前にも書いたようにクラリスは数々のセクハラを映画内で受けている。それとも通ずるものがある。
1992年のアカデミー賞はとんでもない猛者ぞろいで、「羊たちの沈黙」「ターミネーター2」と本作品は争う羽目になり、脚本賞しか獲れなかったのだが、敵が悪すぎるww
驚愕のエンディング:
エンディングは驚愕で素晴らしい。多分アメリカではスタンディングオベーションなのに違いない。
全然ハッピーではないと思う。けどそこにいたるあの高揚感と、最後の伝説的なワンカットと、そこから流れる爽快な音楽で、「これこそ真の解放だ!」と締めくくっている。
そう、この映画のテーマは「女性解放」である。数々の、気持ち悪い男たちからの解放なのだ。このテーマが、なんと30年経った今でもとても新鮮に感じる。というか、ほとんど変わっていないのではないだろうか。
エンディングにいたる直前のテルマのセリフがとにかく素晴らしいのだ。あれは伝説的な脚本だと思う。
「Let's keep on going」(このまま続けて最後まで行こうという感じの意味)
と彼女が、言う時、そこにある感情はなんと表現していいのかわからない。テルマは笑ってはいなかった。でも楽しいとずっと言っていた。夫から離れて自由に生きることが、こんなに素晴らしかったのかと、彼女は満喫した結果、「最後までやりぬこう」と言うのだ。
彼女は「女性解放」の爽快感で完全にラリっていた。いまさら止められない。最後までいこう。いけるところまでいこう。
もし進撃の巨人にもっと印象的なセリフや納得のいくシーンがあったなら、そこには、
「最後まで行かなきゃならない」「やり遂げなければならない」というセリフがあったのかもしれない。
ところで、本作に別のエンディングは考えられなかったのだろうか?
少し考えてみたのだが、無駄だった。テルマはモテるし、最初から色んな男に口説かれまくってるし、失敗しまくってる。ルイーズには粘着質の男がいる。今更、捕まって、刑務所から出所したところでろくな人生は待ってないだろう。
エレンが死をもって解放されたように、彼女らもまた、華々しく散っていくのだろう。だが温度差がすごい。
テルマとルイーズは、「最高の気分で」笑顔で散ったと思う。そこがポエムなのだ。ロックだ。美しいフィクションが、美しいまま、最高の状態で終わっていく。
これ以上、映画に何を求めていいのかわからない。
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