2024年3月13日水曜日

Oscars2024 アカデミー賞の雑感

結構モヤモヤしたので、こちらで発散しようと思います。


私は比較的寛大な人間なので、過剰にセクハラに敏感なことを書いているのは、そのくらい世の中の一部の男性が過剰にしつこかったからです。本来は、ゴールデンカムイレベルの下ネタでも大口開けて爆笑するタイプです。

今回のアカデミー賞は、寛大な私でも違和感がありました。

世の中は、なぜか、エマ・ストーンとジェニファー・ローレンスの態度を責めがちなのですが、私はこれはミスリードではないかと疑っています。 

つまり、今回あの式で行われていたのは、紛れもなく「ホモソーシャル」の弊害ではないかと思っています。

ファンの方には申し訳ありません。私はもともとロバート・ダウニー・Jr.がとても苦手で、アイアンマンのことも「嫌い」と公言していました。単純に、私の好みの問題です。優しそうな人が好きなので、ああいうプライドの高そうな、気の強そうな男性は好みの正反対に位置します。

その人が、受賞式でキー・ホイ・クァンに目も合わせずトロフィーをふんだくり、キーが手を差し伸べようとしても(2回も)握手もせず、すぐに左の役者の方に行きましたね。しかもそれを行う前に手を広げて、壇上の5人をちゃんと見ているんです。

私からは、「5人のメンバーを歓迎すると見せかけて、位置関係を把握。キーは気に入らないので挨拶しなかった」という風に見えました。

もちろんそう見えただけです。

問題は、実際に目も合わせないまま、スピーチを始めてしまったこと。

これはかなり、同人種でも無礼なことだと感じます。

ですが、これをアジア人俳優であるキーに行ったことは、やはり「人種差別」ととられても文句は言えないでしょう。


映画という芸術文化は、世の中に起きている問題を取り上げてメッセージを投げかける役割も持たされています。もちろんその限りではありませんが、私は、スピルバーグの映画で戦争を学んだと言っても過言ではありません。

要は、マイノリティを壇上で差別することは、映画制作の姿勢とは全く真逆の態度ということになります。

もしこれがアイアンマンを演じているつもりでも、アイアンマンがレイシストだと私は思いたくないです(まあ嫌いなのですが)。


ミシェル・ヨーは一度受賞しているからか、とても寛大な上に少し誤解を招くが善良な行動を取りました。なのであまり女性陣を責めてほしくないのです。問題は、完全無視したRDJの方です。冒頭で「ホモソーシャル」と言ったのは、この期に及んで「男性優位社会」(男性は差別をしても許される)をあの場で展開してほしくなかった、ということです。しかもメディアがRDJをあまり責めていない上、本人から弁解がないのも、ホモソーシャルの結果ではないでしょうか。

オスカーを手にするくらいの演技力があるなら、せめて最後まで偽善者を演じて欲しかった。カメラの前では。

そう思っています。


個人的なアメリカ生活での経験から言うと、このようなシーンはたくさんありました。私の英語をわざと何度も聞き返し、何度説明しても「わからない」と言ってくるアメリカ人はたくさんいました。本当に知りたいなら理解しようと努力するはずですが、能面で何度も同じことを説明させる思考停止したバカどもです。

でも私はオスカー俳優ではありません。オスカーは、優秀な人たちが受賞する場なのですから、RDJに品性を下げられたことを、自分の過去の経験からも非常に腹立たしく思っております。

0 件のコメント:

コメントを投稿