※少々ネタバレしているので、これからご覧になる方はお気をつけください。
この映画はツイッタラーの間で流行っていたようで、そのうち観ようと思っていた映画。
配信サイトなどにあるいかにもダークな感じのあらすじからすると、以下のような内容を推測していた。
一つは、残酷な生贄の儀式。あるある。
もう一つは、乱交パーティーか、性的な怪しい儀式。
洗脳など。
実はほぼ全てが詰まっていて、それはもう狂気の沙汰であった。
ペレに誘われたそのミッドサマーの儀式が行われる村は、見た目は純朴で華やかなナチュラリストたちの村で、昔から受け継がれてきた農業や牧畜、伝統などで自給自足をかなえている北欧の村である。
そういえば、アメリカにもこんな自給自足の村があると聞いた。白人至上主義の村とか。
「閉鎖的な村」と言うのはホラーにしばしば使われる題材である。
ゲームで言うと「SIREN」が非常に有名だが、限界集落のようなところに主人公たちが興味本意で入っていったら、恐ろしい現象が起きて、大体は村人にされて出れなくなるという都市伝説的な話だ。日本で入ったら出れなくなる村の話は他にもあって、他に安部公房の「砂の女」なんかが有名だ。あの小説も嫌な読後感が抜けなかった。
この手のよくある題材を面白いと思わせるには、「なぜ?」と視聴者に疑問を抱かせられるかにかかっていると思う。SIRENは私は怖くてプレイできないけれど、なぜそんなことになったのか?が気になって人のプレイ動画を一通り観て(笑)さらにウイキペディアも読んで、人が考察してるサイトとかも読んだ。とにかく設定が独特で面白いのである。
ミッドサマーの面白いところは、設定がいまだによくわからないのだけど、詳細に描写されているところである。
まずスウェーデン語がわからないので、字幕が出なければ永遠にわからない。ルーン文字を多用するため、知っているか調べでもしないとそれも永遠にわからない。さらには最初から最後まで、意味不明な儀式と謎の衣装が多数登場する。しかもそれがいちいち芸術的である。
何を飲まされているのかわからないし食べ物も何が入っているのか気になってしまう(実際恐ろしいものが入っているシーンはある)。壁に描かれた絵が異様なものを示唆していて、可愛らしい装飾なのに恐怖感しかないし、なぜか全員同じ部屋でついたてもないところで寝ている。そして、恐いのは村人たちの異様な連帯感である。とにかく「幸せそうに笑っている」のは、SIRENとまったく同じだ。
ミッドサマーの村人たちには、ナチュラリストにしては嫌悪感を伴う要素がいくつかあり、彼らが一般人から見たらいわゆる「悪人」と判断されることは明白である。その要素とは、
1)他所から連れてきた男から種をとるために、媚薬などを使って強引に誘う。男性の承諾をきちんと得ないということはレイプである。
2)しかも種を取り終わった男は罪人扱い。使い捨てである。
3)主人公のダニーも薬漬けにして強引に担ぎ上げ、仲間に引き入れる。
4)薬を飲ませるときにそれが神経に作用する麻薬であることを絶対に教えない上に、そんな代物ではないと平気で嘘をつく。嘘をついちゃあ、いけない。
5)せっかく他所から連れてきた人も都合悪くなるとどんどん殺す。
物語の前半で最初の衝撃シーンがあった時は、まだ説明がまかり通るものであったが、それでもその儀式はやはり見た目が悍ましく、他にもやり方あるだろ!と誰もが思うだろうし、映像としてそれをかなり強調していたので、悪意を感じるようには作られていた。
しかしこの映画をただのホラー映画として捉えるのはやはりぬるいと思うので、もっと考察してみたいと思う。
そもそも忘れてはいけないのは、主人公のダニーの抱えている問題である。
冒頭で彼女の抱える問題は明確に提起されており、彼女はパニック障害を抱えている。鬱と少し似ているけれど、鬱側に陥ると取り乱してやたら人に連絡したり、泣いたり喚いたりソワソワしたり走り出したりする感じ。鬱の状態でうずくまっていられないタイプのようだ。体力があるから逃げ出したくなるのだろう。
映画を一通り見終わった後、この恐ろしい儀式に招待したペレに着目して冒頭を見返すと、彼はどうも最初からダニーを村に連れて行きたがっているような素振りが伺える。
彼は、最初からダニーの抱える精神の闇が、あの村に適合するのではないかと推測していたようだ。ペレはいつも達観したような眼差しをたたえているが、彼は家族を失ったダニーに打ち明ける。僕は両親がいないから、あの村で育てられた、のだと。だからペレは村人たちと家族であり、強い絆を結んでいる。
ペレにも、ダニーにも心に大きな穴があり、ダニーはクリスに依存することでそれを埋めようとしていたのだが、クリスは普通の男で、そこまで正直ダニーを愛しきれる自信がなかった。
そこであの村に連れて行かれ、謎の儀式を通しておそらく作為的に、ダニーは「あなたはもう家族よ」と村人たちに絶賛される。
ダニーはその時点では薬漬けだし、のせられているだけだし、文字通り、神輿に担がれ、花で飾られ、一見いい気分のはずだがまだ、そこまで洗脳されきっていない。まだ、クリスに未練があるからである。
だが、最終的にクリスを吹っ切ることで、彼女はラストシーンでやっと微笑むのだが…
これで彼女は幸福になったのかどうか、判断するのはおそらく視聴者の方だろう。ラストシーンを視聴者に託し、そこで考察や推論が飛び交うというのは創造主としては美味しい反応なのではないだろうか。
私は、ダニーはこれで幸福になったと思う。あの村では、何人もの同い年くらいの女性が、彼女の悲しみを分かち合ってくれる。そのシーンはいちいち、凄まじく大袈裟なのだが、一体現代社会で、何人の友人があなたと一緒に号泣してくれるだろうか?
私には、ひとりもいないと言い切れるくらいだ。
ただ、一緒になって泣くと言うのは、決して自立を助けるものではない。
つまり、ダニーは新しい依存先を見つけてしまったのだ。神輿に担がれ大事にされ、泣けば誰かが必ず背中をさすって一緒に泣いてくれる。
映画の中では何度も、たくさんの村人が、彼女に笑顔を向けたり、話しかけたりしてご機嫌をとるシーンが繰り返される。
私はそれを見ながら、こうして定期的に外部から人を招待しては、馴染むかどうかテストしているのだなと推測した。
閉鎖的な村社会のいいところは、村人たちが全員自分のことを知ってくれていること。理解してくれていること(多分)。共感してくれていること。甘やかしてくれること。だからこそ、そこからは逃げることがどんどん困難になっていく。いや、今更逃げてどこへ行こうと言うのだろう。また、あの厳しい競争社会に戻るの?きっとダニーはまた、毎日のように依存先を求めては不安になるたびに発狂するだろう。
彼らは我々の常識から判断すればかなり悪人の類なのだけど、ダニーのような弱い人間にとっては、強固なユートピアを築いていると言わざるを得ない。
そのような組織は日本にもいくらでも存在する。それを極端に描いたのがミッドサマーという映画なのだと思う。昔からよくある題材ではあるものの、それは常に我々に教訓を突きつけてくるのだ、
果たして、自分が今所属している組織、会社、団体などは依存性のあるものなのか?実は悪の側面がないだろうか?自分をスポイルして、自立させないで、引き止めていたりしないだろうか?自分は、そこを出ても一人でやっていけるのか?
私も、今この一瞬でも、それを時々確認しながら、生きるようにしている。
もしかしたら、ダニーか、クリスチャンが、うまいこと、あの村から逃げるのではないか、と劇中は何度も願ったのだが、前述の通り、ダニーのパニック障害は強烈で、ほぼ毎晩睡眠薬を必要としていた。逃げてもバッドエンドかもしれない。
最初から、この映画の結末はわかっていたのかもしれない。それでも、なぜか、彼女が自立してくれればいいのに、と願ってしまう自分を見つけてしまう映画でもあった。 果たして幸福とはなんなのか、考えさせられるお話である。
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