2022年3月16日水曜日

ザ・バットマンがなぜバットマンの格好をしなければいけないのかの考察

ノーラン監督のバットマンビギンズを比較対象としてもう一度観てみました。やはりリーヴス監督のを観たあと、同じ素材で違うものを創っていると思うとすいすい頭に入って来ますね。

リーヴス監督はバットマンの「オリジン」を描いておりません。おそらく、皆知ってるから、ということでしょう。私もなんとなく知っていました。ノーラン監督バージョンだとかなり細かめにバットマンに至った経緯を描いています。ちょっと無駄じゃないのみたいなエピソードも入れて。(綺麗に伏線回収されてるので無駄ではないのかもしれないが、なぜ忍者……って思いますw) 

しかし、バットマンとしての任務を片付けて颯爽とタキシードに着替え、自分の誕生日パーティーに登場し、シャンパングラス片手に「株価はいかがですかな?」と言った時はブフォって吹き出しましたね。

パティンソン君ブルースとえらい違いだ。天と地くらいに違う。

ぶっちゃけ。

ノーラン監督のが正解だと思うんですよ。

バットマンってのはもともとちゃんとした大人の男性の娯楽漫画だったんだと思います。なので「金持ちの道楽」という解釈は間違ってないと思います。実際、バットマンのコスチュームや車を用意している時のノーラン監督版ブルースはそれはもう楽しそうです。かなり茶目っ気のある大人の男って感じで。

リーヴス監督はまるで真逆のブルースを描きました。映画全体がパンクロックテイストで、ゴシックホラーなテイストも入れていて、目の周りを真っ黒に塗ったブルースは、完全に中二病。

そう、今回のブルースは父の死を全く乗り越えられないどころか、激しくこじらせ、引きこもりの浮世離れのコミュ障となっています。そんな鬱屈した彼が生み出したのが、「バットマン」という存在だった。

バットマンは、傷ついたまま立ち直れないブルース少年が創り出した別人格。そいつに自分の理想のヒーロー像を投影し、自ら演じているのだと思います。

つまり今作のブルースはほとんど死んでいます。周りは期待しているにも関わらず、当の本人は活躍しようとしない。

碇シンジですらエヴァンゲリオンに乗っていたのに、ブルースは必要な時にだけバットマンコスチュームを着こんで登場する。 もう、ブルースとしては認知されたくないのかもしれません。お葬式のシーンで比較的大きなボストンバッグを片手に持っていたので、あれ?男性ってこういう時クラッチバッグが限界だよね?と思ったのですが、直後に悟りました。

そう、彼は常にバットマンコスチュームを持ち歩いているんです。

変身しなければ饒舌にしゃべれない。普段はアルフレッドに軽口叩いているだけの、駄々っ子なんですよね。

つまり、「バットマンの格好」というのは、もはやブルースが死なないで済むための、セーフティーネットみたいなもの。正体がバレたら自害するんじゃないかと心配になります。

ノーラン監督版の、小奇麗なスーツを着込んで器用に昼間も渡り歩く大富豪ブルースウエインの方が、大人の男性は楽しめるかもしれません。

だからリーヴス監督バージョンは、そんな金持ち観てられっか!と思った人には本当におすすめですよね。私も相当色々こじらせていますし、今回のブルースには異様に感情移入しておりました。彼はとても無口ですが、比較的わかりやすいカメラワークにより、ブルースの視線を追い、彼の感情を体験することができます。

こじらせ大人としては自分をブルースに重ねて、無茶しすぎないでほしいな、これ以上壊れないで最後まで生き残ってほしいな、とハラハラしながらこの未熟なバットマンを愛し、応援していくのだと思います。


もし次回があったとしても、陰キャのままがいいなあ……(笑)

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