ヒーローズ&ヴィランズ
今回新たに「ヒーロー」の概念が登場した。そのヒーローとは、一見アランのようだが(ローズはアランだと信じ込んでランチボックスを置いた)、実はサーガである。
アランは、リターンを書き直すとき、別の登場人物を登場させないと、とてもじゃないが浮上する物語にできなかった。アラン曰く、無からものを創造することはできないそうだ。そこですでにブライトフォールズに来ていたサーガを物語に書き込んだ。ホラー小説のジャンルが変更できなかったので、サーガは過去を改変されてしまい、娘が死んだことにされてしまったのが良くなかったが。(これはリターンのエンディングがきちんと発動すれば元に戻る)
さてそれではヴィランは今回だれだったのか。
これはアランではないかと思っている。正確には、闇を脱出する物語を書けず、ループに囚われ、病んでいく自分自身。そしてスクラッチに憑依される自分。どちらかというと、自分の闇の部分。厳密にいうと自分の分身ではなく、自分の悪い部分だ。
今回明確に「ヴィラン」の言葉が使われたのはエンディングテーマだけだ。だが、この歌をきちんと聞くと、いかにヒーローやヴィランという概念があやふやなものなのか実感できる。アランは自らヴィランになろうだなんて思っていなかったし、サーガは巻き込まれただけだ。生まれつきのヴィランなどいないのである。
そしてゼインにとってのヒーローはアランである。というかこれも、ゼインがアランを「光の戦士として」書いたから、アランはヒーローとなったのだ。だがその存在は不安定で、二面性を持っていたということだ。
オーバーラップ(境界域)
今回新たに登場した概念、「オーバーラップ」。
これらはサーガの考察によると、都市伝説の類は大体闇の世界との境界域に該当するらしい。笑
境界域を実際に出現させるためには、アート(原稿もアートに入る)が必要。それによって儀式が成り立ったと判断されると闇の世界との境界域に入れる。サーガはそこで、ナイチンゲール、マリガン&ソーントン、シンシアと戦う。
闇の世界そのものには入れないらしいのだが、コルドロンレイクに人をぶち込むと簡単に入れるらしい。これは謎だ。
ところでCONTROLでは「スレッショルド」という言葉がしょっちゅう使われていたが、これは「境界値」という意味である。つまり境界域とスレッショルドは大体同じだと思われる。
クリッカー
今回はクリッカーが「天使のランプ」の部品であることが判明した。判明したが、なんでそうなってるのかさっぱりである。
天使のランプはゼインの持ち物のはずだからだ。
この切り離されたライトスイッチは、アート(音楽や原稿)をそばに置いた状態でONにするとそのアートが現実になるという凄い代物であることが今回判明した。前作ではアランのお守り程度で、そのお守りを小説に書き込んだらバーバラを倒せた、という程度のアイテムだったのに。
なおなぜかアンダーソン兄弟はクリッカーの意味を知っており、彼らに言わせると「アンプと同じ。アートの力を増大させる」とのこと。
スクラッチの原稿のエンディングはポンコツだが、それすらもクリッカーで実現できる。
あんま関係ないけどトルコで買ったトルコランプのスイッチがクリッカーみたいな形状なので、見るたびにクリッカーを思いだす。このアイテムは今でも日常に存在するのだ…(だいぶ減ってる気はするけど)
儀式(ritual)
CONTROLにもしょっちゅう出てきた「儀式」。コントロールはSFなのでいまいちわからなかったが、オカルトめいたことをしたかったのだろうか?アランウェイク2では儀式だらけだった。
アランは今回スクラッチに合わせるために、オカルトホラー小説を書いてしまっている。結構内容がグロかった。アランもやっぱり病んでいるのかもしれないが、小説というアートにしてしまうことで、闇の支配から逃れている。
また、執筆中のアランが「あいつに勝つために話を書かなければならないが、ダークであればあるほど、ストーリーはスクラッチを強くしてしまう」と悩んでいる。
今回、全編を通して壁に何度も書かれた「これはお前を導く儀式だ」というポエムからも分かるとおり、イニシエーション自体が儀式なのだと思われる。
ではこの導く儀式とは誰が行ったのか?
外部から助けてくれる人物の中にアリスがいる。儀式ポエムの筆跡は「俺のではない」とアランが言っていたので、アリスが書いたのではないかと思う。アリスは実際自分の写真を使ってアランを導いた。
そう考えるとアリスは最強だ。一体何者なのだろうか。
あと考えられるのはゼインや、ドアである。
儀式にもアートの力がありそうだ。だからカルト教団を出現させたのだろうか。
カルト教団
カルト教団はアランの創作とコスケラ兄弟の「闇から街を守りたい」意識が重なりあって出来上がったのだと思われる。どっちが先なのかはわからない。闇の世界は時間軸が存在しないからだ。
taken「支配されしもの」は心臓を抉り出したあと、クリッカーを作動させなければならないので、儀式的な手順となる。それを前作のアランの本「Departure」で読んだコスケラたちは、その通りに行い、実際にうまくいった。そしてそれが恐ろしさを感じさせることを利用して、「樹木の教団」と名乗り、森に入るなと一般人を牽制した。
アランはこの現実の教団を知ってか知らずか、断片的な記憶から「言葉の教団」を作り出した。
この二つの教団「言葉の教団」「樹木の教団」は両方とも同じ仮面をかぶっている。
また、ゼインが作ったとされる「白夜の夜」に出てくるケイシーを生贄に殺す教団も、全く同じ格好をしている。しかもイルモの役者が演じているので完全にかぶっている。
「言葉の教団」は「トーチベアラー」、前作からいるブライトフォールズを闇から守る「松明を持つ者たち」を焼き殺すという恐ろしい手段に出る。アランはなんでこんな凄惨なプロットを思いついたのか。私は、この時「アランはやっぱちょっとスクラッチの片鱗があるんだろうな」と思った。完全に切り離されていないというか。
トーチベアラーはかっこよく訳せないけど、本来は聖火ランナーみたいな意味だ。奇遇にも、私は前作で難易度の高いマップで、次の建物までシャドウが蠢く広場を突っ切るというシーンの時、複数持っていたフレアを一個ずつ点けて掲げながら広場を突っ切った。あれを掲げていれば誰もよって来れないので。当時「聖火ランナー」と自分で呼んでいたが、まさにその通りだった。
スクラッチの正体
スクラッチの正体は「白夜の夜」の歌詞で知ってしまった。「それは多くの名前で呼ばれた。オールドスクラッチ、悪魔」。調べると、オールドスクラッチってのは悪魔の別名なんだそうだ。しかも別名ミスタースクラッチ。
これは私の知識のなさが原因になるが誰がそこまで知ってるかよ。この辺はさすがアメリカ文学専攻のサムレイクの教養の力である。
「ドアを手伝う」アンダーソン兄弟とは?
ドアは、ティムによると「稲妻に打たれていなくなった」。コールドロンレイクの辺りで。彼は、闇に選ばれし人間なのか。
ドアの役割は今回明らかにされなかった。だが何かをしているのは確かだ。ドアはいつも朗らかなので、闇の世界を根底から覆す可能性もあるなと思った。そしてアンダーソン兄弟はまるでそれが当然のように、闇の世界へ入っていったので、驚いた。アンダーソン兄弟は、「ドアを手伝う」と言っている。
ティムを引き入れた理由はなんだろう。ティムは闇の影響を本当に一切受けていない。ランプを持って、少し途方に暮れたようにしていたが、人格が捻じ曲がって支配されたりしないのだ。ティムも実はドアの助手として連れてこられた可能性はないだろうか。
オーシャンビュー・モーテル(ホテル)
CONTROLに現れた、謎のモーテル。3回の法則を実行するとテレポートできる。脱出時も3回電気の紐を引っ張れば良い。この電気のひもだがアランウェイクの方が発想が先っぽい。今作でもオーシャンビューホテルが出てくるのだが全くもってどこにもオーシャンビューがないのだが大丈夫なんだろうかww
それか、多分だけど、本当は海か湖が見えるんだけどアランの創作の中にいるから見えないのかもな〜。
ゼインが買った時は、湖が海のように見えていたんだろうか。
私としては、CONTROLのオーシャンビューモーテルとどう繋がっているのかが興味津々である。
まあとにかく、このオーシャンビューとつく宿泊施設には、何かある。現実ではもう「ヴァルハラ老人ホーム」に変えられてしまったが、闇の底では今でもゼインが住まう。
「湖じゃない。海だ」
このセリフについては多くの憶測がなされてきた。しかもそれを面白がってか、今回もミスター・ドアに「湖じゃない、海だ。って、結局なんなんですか?」などと言わせておもしろおかしく取り上げている。
これへのヒントはおそらく召喚時の歌の中にある。そもそもタイトルが「暗い海の召喚術」である。
これはいろんな取り方があると思うのだが、今回湖は、その周辺の闇を祓った時に干上がる描写が多い。今回はゲームを通してよく街が半分湖に水没していたが、イベントが終わると干上がりいけなかったところに行けるようになる。
考えてもごらんよ。海じゃあるまいし、こんなに何度も水位が変わっていいのか?つまりコルドロンレイクは、海にも湖にも変われるのではないか?
召喚する時には「暗い海」と表現され、波打ち際が嵐の海のように荒れる。海のように干上がることもなくその魔力を使い続けるが、使い切ると干上がって湖に戻る。
そんな解釈もできるかなと思った。
コルドロンレイクは湖だが、闇の世界への入り口である。
つまり、闇の世界は海に例えられている。その表面だけが湖なのだ。
全部が海だと世界に繋がってしまうから。なのだが、湖の下には深い闇の世界が延々と広がっている。どうも登場人物がいうには、深く潜ると外に出られるんだ、とか……
「ループじゃない。螺旋だ」
これはわざわざ説明があったので非常にわかりやすかった。しかもシンボルマークまでがきちんと螺旋になっている。まさか、あのドアの落書きに見えるものが意味があるとはね。
サムレイクがだいぶ優しくなったのか。笑
アランは一発で地上に戻ってこれない。螺旋を描くように、少しずつ現実を改変しながら戻ってくる。記憶は、ループの中で一度リセットされつつも少しずつ蓄積する。
「デジャヴとして」。これは2周目中で原稿でも語られている。
多くの人生のイベントがそうであるように、いきなり人は変われないのである。
しかし毎回同じマップを回るのはやはりきついので、次はループが終了してるといいな。まあ、ギリDLCまでは我慢できるが。
アートの力
今回はアランのライティングだけではなく、アンダーソンの音楽、アリスの写真などがアートとしての力を持つ。あのコスケラ兄弟の微妙なフロートですらアートとして扱われた。闇はアートを糧にする。そしてアートを現実にする。なので闇を制するにはアートが必要ということになる。アートの方が力が強いということだ。
クリエイティブに携わるものとして、アートとはどこからどこまでのことを言うのかが気になった。ひとつ回答として思ったのが、「ただの写真と思いを込めた写真は違う」ということだ。
宗教のようだが、思いを込めた絵、文章、写真、音楽、映像は人にその思いが伝わることによってアートと言えるのではないだろうか。(コスケラ兄弟のフロートはポンコツクオリティかもしれないが、思いが深いのだ!)
アランは最後で「リターン」のエンディングを書き換えてスクラッチに勝利しなければならなかった。しかし、1度目はそれがうまくいかなかった。この物語が、あくまでも「創作が上手くいくか」に重きを置いている証拠である。サム・レイク自体が物語に無理や矛盾がないかを非常に気にするタイプのライターだからだ。
つまりより大掛かりな現実改変を引き起こすためには、よりクオリティの高いアートが必要になるということである。実際イニシエーションでアランが適当なプロットを書くと次へ進めないことがある。リターンの1回目は安易に自分を殺したため、ループしてしまった。
これは壮大なテーマだ。
こんな物語は初めて見たかもしれない。ゲームの世界でこれをやろうというのはとんでもなく、凄い試みのように感じる。しかも、ゲームで頭を捻って考えてくれるユーザー向け限定となるのだ。
サム・レイクが「誰もやっていないことをやるのは大変なことなんだ」と言っていたのは、こういうことなのか。
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