RDR2本編、終わってしまいました。
あのあと、最後のミッションがあり、そのまま怒涛の展開で最後まで強制イベントでした。かなり長いこと、アーサー君は粘り続けました。
DMC5のVさんを思い出しますが、本当に、もう死ぬ、もう絶対死ぬと、わかっているのに、他人に止められても「まだ行けるぞ!」というアーサー君。彼を突き動かすのは、ダッチとの決着だったのか。それともジョンを逃すためだったのか。その両方が描かれていると思いました。女性陣を守り通して、先に行かせるシーンが一番かっこよかったですね。
私は、ダッチと殺し合いになるのではないかと心配しましたが、結局のところなぜダッチがあんな性格なのか、私なりの結論を得ました。(殺し合ったのは、別の部下で、内通者だったようです。私もあいつは嫌いだった。あまりにも、予期されていた敵でした)
ダッチは、自分の部下たちが派閥に別れるのを見て、非常に困惑し、解せぬ、という顔をしていました。少し怒っているようでした。そしてアーサーと、内通者だと言われる人間両方に銃を向けました。
でも、最後まで、撃ちませんでした。
長いこと、そいつらを眺めていました。
ぶっちゃけある意味マジなサイコパスで、どうでも良くなったのかもしれません。
でも私、思ったんですよ。
この人、中小企業の社長によくいるタイプですね。怖いでしょう。日本にこういう人、たくさんいると思いますよ。
金への執着はなかなかすごい。必ずや、回収しようとする。
部下はあくまでも、駒。病気になったら深追いせず、はいさようなら。
去るものも追わず。ちょっと文句は言いますが、相手にではなく内部の人間に圧力をかけるための愚痴。
自分では絶対に部下を殺さない。バレたら悪評が立ちますからね。
明るい性格だし、とにかく夢を語る。部下はそれを非現実的だと批判するが、受け入れない。
ある意味メンタル強いんですが、メンタル強くないと、やっていけないからだと思います。
アーサーを一回見捨てて、その後ジョンを見失った時、「あいつは死んだよ」って言いながら帰ってきたダッチ。ひょっこりクライマックスで現れてアーサー側についたジョン。その時のジョンは、全くアーサーと同じことを言っていた。
「見殺しにしたな!」と。その時のダッチが、とても純粋な顔で「そうするしかなかったんだ」っていうのが不思議でした。
ギャングのリーダーは普通の人間の感情を持ち合わせていたらやっていけないのかもしれないですね。彼なりの理屈があり、そこからズレたものは全て見捨てるといったロボットのような判断力だと思いました。
フィクションの作品では、よく義賊みたいな集団ってちょっとした、アウトローならではの人情や連帯感があるものだと思っていたので、こちらは新鮮でした。ある意味非常にリアリティのある作品です。
RDR2はRDR1以前の話で、ジョンは1の主人公なので、彼が死ぬはずはないと思っていました。しかもエピローグはジョンがギャングから足を洗い、真っ当な仕事を始める物語です。
しかし、RDR1の結末を知っているファンとしては、あまり手放しで喜べないというか、束の間の楽しい生活を体験するという感じですよね。ジョンは今作もいいやつだったので、楽しいですけれども。
RDRはいつも善人がやられていく物語なんだけど、不思議とそれでも善人であるべきなんだよなあって気分になるのが、いいところだと思います。
アーサーが病気にかかったのは伏線だったのかもしれません。元気であれば、誰かが彼を殺すエンディングにするしかなかったかもしれないので。病気で静かに死んでいく方が、誰のせいにもならないから、良かったのかも。
ダッチが最後に誰も殺そうとしなかったのは、少しはアーサーの真心を感じ取ったからなのかもしれません。それが、贖罪ということなのだと、思いたい。
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