アイ・フィール・プリティ
という映画がある。このタイトルは今度スピルバーグがリメイクする「ウエストサイドストーリー」の中で歌われる歌と同じタイトルだ。
ぶっちゃけ関係ないけど。
基本のテーマは「ルッキズム」からの解放、外見へのバイアスなどの問題にかなりストレートで露骨に斬りこんだ作品だが、一方で全体をコメディに仕上げている。
もちろんだ。ルッキズムなんかを真剣にとらえたら多くの人は不機嫌になってしまうだろう。誰だってコンプレックスはある。
しかし、外見の話以外にも面白いテーマがいくつか仕込まれていて、そこは感心するべきだと思った。
主人公のレネーはやたらと露骨に外見で差別される。まあ、アメリカの学校にいたときはローティーンだったしあの時期は外見でスクールカーストが決まっていたといっても過言ではない。それからなぜかジュニアハイスクールに入ると突然みんな化粧をし始めてパーマをかけ、美しいストレートヘアーを当時は細かいパーマにしてしまうのが流行していた。
なので、あの露骨な外見差別には、私も慣れているというか、「そんなもん」なのである、まあ日本だと、ちょっとあれはないかなと思うけど。
でもレネーは確かに太っているけど、顔は綺麗なんですよね…そこがあまり説得力ないんですが。
変化は、彼女が頭を打っただけでなぜか自分が超美人(体型的に)に変わったと思い込むところから始まる。
つまり「彼女の中では」ルッキズムから解放された状態。自己肯定感は爆上がりして、受付の仕事に応募し、ウキウキしながら出かけ、自分をアピールする。
自信と仕事に対するモチベーションの関連性
面接で、自分の外見に自信を持ったレネーはちょっと過剰な自慢も披露するが、「もしかしたら受付の仕事の次はモデルになるかもしれないって思ってるでしょ?でも私はここの受付の仕事がしたいの。ここにいるべきだと、みんなに思わせたい」など、会社の看板になることの重要性や意欲をハキハキと主張する。
上司の女性は少し自分に自信がなくて、彼女の自信と愛社精神に頼りがいを感じて採用。太ったままではあるものの、レネーはお客様の要望を簡単に見抜いて喜ばせたり、豊富な知識で相手をほめたたえたりする、頭の回転は早いし、リスペクトや愛の精神があった。
つまり、実のところ外見はあまり関係なかったのである。(ぶっちゃけ明るい性格だし美人な方だけど)
自信と恋愛の関連性
彼女の外見は変わっていないにも関わらず自分がモテるに違いないと信じているレネーは、勘違いから男をデートに誘い(誘われるものだと思っていたのでw)「怖い」と言いながらもついてくる男とだんだん仲良くなっていく。
彼は、レネーの過剰な自信を最初は怖いと思っていたが、面白い上に自信からくる前向きなパワーに惹かれていく。しかも、バーでのふるまいから他人にも大絶賛される。
つまり、ここでも外見は関係なかったのである。
ホモソーシャルからの解放
この男、イーサンは度々「男社会は苦手」と口にする。どちらかというと女性のような優し気で頼りなさげな冴えない雰囲気のイーサン。筋肉もないし姿勢も悪い。
彼はどうもホモソーシャルが苦手なようだ。
私もホモソーシャルな世界は本当に苦手だ。九州はまだその傾向が強くて、とにかく喫煙者が多い。喫煙所で友達をつくるからだと思う。男性社員は入社時は吸わなくても、いつの間にか喫煙者に変貌していてガッカリすることがある。タバコのにおいはオフィスに戻ってもすぐに消えないからだ。キャバクラに行くのは構わないが、特に行きたがっていない部下の男性社員も連れていくところを見るとなんとなくげんなりする。
イーサンは「ズンバ」というジムのプログラムにハマっているが、確かにあれは女性のユーザーが多いので、レネーに「女っぽい」と言われる。けど、別に否定しているわけではない。それがイーサンの個性であり、誰もズンバは女だけなんてことは言っていない。ヨガもそうだ。
それに私は男くさいエクササイズ、ボクササイズもやったことあるしボディパンプも何度も参加しているけど、特にボクササイズはなんか勘違いした男性がちらほらいる。自分は戦える!男らしい!とかなんか思ってそうな人。謎に自己演出している人。
この手の人は実際に変質者が出たら一発殴れるのか、懐疑的である。
まあそれよりかわいそうなのはホモソーシャル世界に職場で振り回される男性陣である。私も「男性は粗野で苦手」という男性に遭ったことがある。このかわいそうな人たちにも、この映画では救いの手を差し伸べている。
それからもっとぶっちゃけるとホモソーシャルにどっぷり浸かってる男性はモテないので、ズンバやヨガや編み物にハマっている男性は安心していただいて大丈夫です。
外見が良い女性の悩みにも斬りこむ
上司のエイブリーは美しいしお金持ちだが、声にコンプレックスがある。かわいくて日本なら確実にモテる感じの声なのだが、確かにレネーの太い身体から出る力強くて元気のいい声に比べると、ちょっと頭が悪そうというか、企業の看板としては、威厳に欠ける。彼女はレネーの力を借りてプレゼンを上手く進めたいと思っていた。
また、ジムで出会った抜群のプロポーションの美人は、ジムのロッカールームで泣いていた。彼女は頭が悪いから振られた、というのだ。
つまり、外見がよくてもどうにもならないこともある。
また、私の経験上、ルックスが良さがかえって足をひっぱり、本領発揮できないことがある。外見が良いと性格を評価する前に頭の悪そうな男性が虫のように引き寄せられ、夢中になって追い回すので、まともな男性と交際するチャンスを逃しがちである。また、仕事の面接でも女性としての価値で測られがちだ。外見の良い女性は、身をおく環境をよく考えたほうがいい。
外見が良いと思い込んでいるうちは、まだルッキズムの魔の手中にある。レネーはまた頭を打って、思い込み(幻覚)が消えてしまい、また自信を喪失してしまう。コメディ映画なので派手に自信を失う。
エイブリーも、イーサンも、友人も、彼女の外見の話なんか一度もしていないのに。
しかしご都合主義なのか、彼女のいささか傲慢ともとれる自慢や自信をスルーして、良いところを見てくれていた彼らは、思い切って戻ってきたレネーをまた歓迎するのであった。
自信の裏付けとはなんだろうか?
私は、外見以外で彼女の良さを認めてくれる人たち、それが本来の自信だったのでは?と思う。
つまり、愛されていることを実感し、それに感謝することだ。
あのまま突っ走っていたら、もしかしたらレネーは友人や恋人を失っていたかもしれない。実際別の男に迫られたりもしていた。
映画としては、寸止めでいったん我に返ったとたん、自信を失うことで彼女は救われたが、自信をつけることの素晴らしさとともに、周りも自分も冷静に見るバランスが必要なのだと思う。
とまあ堅苦しい感じに書いたけど、あんまり真面目に見るというよりは、外見でうんぬんかんぬん言われてショックだった時とかに観ると元気出ると思います!
いまだに無神経な発言する人は、たくさんいますからね。
0 件のコメント:
コメントを投稿