2023年11月24日金曜日

翔んで埼玉 〜琵琶湖より愛を込めて〜

 私はこのシリーズは1からどハマりしたので2ももちろんすぐに見にいった。

このシリーズは、人と一緒に見た方が良い。それぞれ笑う箇所が少しずつ異なるからだ。

ネタバレを避けて思わず笑ってしまったところは

  • やはり、埼玉にあるタワー
  • 「知らんけど」
  • とび太
  • 奈良に入ったら鹿だらけw

あたりだろうか。

他にもあったかもしれないが、前作のように無意味にマントを翻すような無意味系ギャグがあまり面白くなかった。多分関西のノリが独特すぎるのかもしれない。チャーリーとチョコレート工場のパロディ、正直あんまりおもんないんですよね。なぜならあれは原作もそんなに面白くないからw w551蓬莱のタイツおばちゃんの方がおもろかったかもw

京都人の本音がわからない、はもはやギャグというより、恐怖でしかない。ちなみに私が京都人と喋る時は喧嘩になりそうになるのですが、関西人ってぶつかりそうになると上手くかわしますよね。あのテクニックは好きですw w

大阪人が日本を支配するというのも別に悪ないと思っているので私は滋賀解放戦線が「別に日本が全部大阪になってもええんちゃう?」でちょっと納得してしまった。しかし滋賀のオスカルは許せないようだった。

キャラクタ〜としては藤原紀香さんの神戸市長がやっぱり素晴らしい。神奈川県とためを張れるのはやはり神戸しかあるまいと、はっきり思える。美しいし可愛い。

この映画の残念なところは、「大阪の人が何をやってもなんか半分はギャグにしか聞こえへん」ところである。これはちょっと残念だ。大阪人は口ではでかいことを言うのだが、実をいうとあまりでかいことをしておらず、あんまり怖くもない。

これが京都人が京都がやっぱり首都どすなぁなんて本気で言い始めたらそっちの方がはるかに怖いw

あとハイヒールモモコさんの謎の儀式もちょいと謎のままだった。

ただ、粉物の粉をやばい粉として扱うあたりの発想は素晴らしい。アレは所詮ただの粉なんだけどなw

そしてごめん!私は明石焼きの方が上品で好きやねん、堪忍してや。静岡出身やけんな。(九州弁…???)


それから皆が映画.comで言うてるけど、翔んで埼玉第三弾は九州が舞台に違いないったい。楽しみやんな。

九州は各地でラーメン戦争しとるし、観光地戦争もしとる。温泉戦争は大分が勝つやろ。あそこは地獄やけん。巨人が出るけんね。最後の戦いは、地獄か阿蘇山火口でやるとよか。

長崎は切支丹の国。鹿児島には常にカッカしてる火山がおるし黒豚がうまい。宮崎はハワイか何かと勘違いしとる。熊本は水害を受けやすいが阿蘇山を保有しており、あれが爆発したら結構やばい。大分も福岡も大怪我や。

え?佐賀も悪くないよ。平たくて運転しやすいし、有田と伊万里を持ってるし、嬉野温泉と武雄温泉も持ってる。なのに何が最下位やん?!!

佐賀の人はみんな穏やかとよ!!!

次回「翔んで埼玉〜火の国合戦〜」これは熱い戦いになりそうやんな。実際割と熱い地域やねんし、

宮崎行った時、その辺にバナナなっててマジで驚いたのを忘れないw wもう秋だったw wいや宮崎はマイペースジャングルでよかよ。奄美もジャングルだけど。

私のもと上司に言わせると九州の面白いところは、「すべての県民が自分の県が一番だと思っている」ところで、そういう天然内弁慶なところがギャグにできているといいなと思います。

ちなみに福岡県は確かに超絶便利ではありますが、旅行が楽しいのは鹿児島県かなと思ってます。海が綺麗な場所が多いし、何しろ屋久島と奄美大島持っているのは大きい。

次点は長崎県。たくさんの美しい島や景観を持っている。唯一の難点は、坂が多すぎるところ。神奈川より多いと思う。

2023年11月20日月曜日

名作!「テルマ&ルイーズ」をやっと見れた

かねてから映画ファンの間で良いと噂されていた「テルマ&ルイーズ」がアマプラにやってきたのでなんとなく観たのだけど、とんでもない良作だったのでぜひ紹介したい。

ノリ的にはグレタ・ガーウィグが喜びそうな、女性向けの作品であり、ことごとくアホな男性が次から次へと登場する。

あらすじとしては、テルマとルイーズという仲の良い中年女二人組みが旅行に行こうとオープンカーで楽しく出発する。途中立ち寄った店で羽目を外したテルマがレイプされそうになったところでルイーズが男を射殺してしまい、逃亡劇が始まる。

最初から爽やかでコミカルな、少しお下品な南部アメリカンコメディなのだが

監督がリドリー・スコットだけあって、世知辛い、ほろ苦い現実が明るい彼女たちの逃亡劇に苦味を加えていて、絶妙である。もはやポエムだ。オープンカーでかっとばしながら男どもに制裁を加えていく姿は実に痛快だ。だが彼女らの爽やかで豪快な逃亡劇は、なんとも言えないエンディングを迎えるのだが、それですら、肯定したくなる。脚本賞が与えられた理由はよくわかる。

ちなみに全編英語で観たのでうまく翻訳はできてないと思いますが、ご容赦ください。

続々と登場する身勝手な男性キャラ解説:

ハーラン:

レイプ未遂シーンでテルマはビンタされても何も言わないが、ビンタをし返すと「俺を殴るな!」とものすごい剣幕でヒートアップし、急いでペニスを挿入しようとする。ちなみにテルマがビンタされた回数は3回。男は1回である。

ハーランはウエイトレスに注意を受けているので、ナンパは日常茶飯事のようだ。

いわゆる俗語でいう「ヤリチン」タイプの男である。

ジミー:

ルイーズの彼氏。「私を愛してる?」の質問に、少し間を置いてから「YEAH」でルイーズが「今の気にしないで」のやり取りは本当に笑える。

しかしこの後、ジミーが追いかけてくるのだ。「愛してはいないが、執着はしている」のである。しかもこの執着がものすごい。かなりの粘着質で、「他に男がいるんだろ!」と勝手に怒り出すが、ルイーズは気が強いのでさっさと去ろうとする。するとおとなしくなる。ジミーはかなりまだ、飼い慣らされている方だが、「ルイーズが他人に取られること」を異様に嫌がっている。

支配欲の強いタイプで、支配することに異様な執着を見せるタイプの男だ。ルイーズは彼を愛しているが、そのような理由で結婚はできないと言い放つ。

だが多くの男は支配欲で結婚を決意するし、そのような恋愛テクニックは公然と出回っている。男性の習性だからである。

ダリル:

テルマの旦那。ルイーズが「ぶた」と呼んでいる。このぶた云々はJDの質問から導き出されるのだが、JDは後述するが頭の回転が速いので、テルマから結婚した年齢や子供がいない理由まですらすらと引き出してしまう。

ダリルは頭の働かないポンコツおじさんで、もはやテルマを愛しているのかも疑問なのだが周りからしたら馬鹿すぎて扱いやすい。だが、旦那としては全く頼りにならず、テルマが逃亡した理由も皆目検討がつかないことだろう。愛想を尽かされているとも言えるが、テルマは一応彼を頼ってはいる。それすらも彼は気づいていない。

自己中お子様タイプの男性。

JD:

若き頃のブラッドピット。まだ売れる前である。この映画で惜しみなくピッチピチの上半身裸を見せて、多くの女性を虜にしたのだろう。この後彼はバカ売れするw

よかったなと思うのはこのJDがクズなところだ。ブラピはやっぱり悪役が似合う。

彼は泥棒で生計を立てており、巧みなトークでストレスが溜まっているテルマを口説き落とす。しかし彼は逃亡資金を盗むのが目的だった。

こいつが面白いのはテルマの旦那さんに会った時の一連の言動である。JDはまあまあ頭がよく悪知恵が働くため、「あんたの奥さんよかったよ」と腰を振る動作をする。ひどい侮辱なのだが、旦那がマジギレするのがどうしても笑えてしまう。

バカVSちょっと頭のいいバカ…。

タイプとしては、「ワルイ男」。

タンクローリードライバー:

彼は冒頭から彼女らをつけねらっている、40代くらいの変態おじさん。「そろそろやらせてくれよ」と言わんばかりに「真面目になったか?」みたいな妙な誘い方をするが、舌をべろべろして見せたり、イチモツがどうのと叫んできたりする。

テルマとルイーズはさすがに呆れて彼の車を止めさせ、散々侮辱したことを謝れと謝罪を要求する。だが最後まで彼は謝らないので制裁を受けることに。

究極のセクハラおじさんタイプである。この手の男はもう救いようがない。虫以下である。

刑事「ハル」:

唯一、彼女らを真剣に気にかけている刑事。ルイーズがレイプ被害者だった過去も調べてあるもようだ。彼女らには何か理由があって逃亡しているのだと、チャンスをくれてやりたいと真剣に思っている。

唯一の、「まともな男」である。

その他気になること:

「Girls」 発言

ことあるごとに、特に刑事さんが彼女らを「Girls(女の子)」と呼ぶのが気になった。

当時1991年、まだまだ女性蔑視が強かった頃だからなのだろうが…

可愛がってくれているのはわかる。だが既婚者と、とっくに成人してバリバリ働いている中年女を、「ガールズ」はいかがなものだろうか。これは日本人にも突き刺さる違和感である。

1991年は「羊たちの沈黙」がリリースされた年だが、前にも書いたようにクラリスは数々のセクハラを映画内で受けている。それとも通ずるものがある。

1992年のアカデミー賞はとんでもない猛者ぞろいで、「羊たちの沈黙」「ターミネーター2」と本作品は争う羽目になり、脚本賞しか獲れなかったのだが、敵が悪すぎるww

驚愕のエンディング:

エンディングは驚愕で素晴らしい。多分アメリカではスタンディングオベーションなのに違いない。

全然ハッピーではないと思う。けどそこにいたるあの高揚感と、最後の伝説的なワンカットと、そこから流れる爽快な音楽で、「これこそ真の解放だ!」と締めくくっている。

そう、この映画のテーマは「女性解放」である。数々の、気持ち悪い男たちからの解放なのだ。このテーマが、なんと30年経った今でもとても新鮮に感じる。というか、ほとんど変わっていないのではないだろうか。

エンディングにいたる直前のテルマのセリフがとにかく素晴らしいのだ。あれは伝説的な脚本だと思う。

「Let's keep on going」(このまま続けて最後まで行こうという感じの意味)

と彼女が、言う時、そこにある感情はなんと表現していいのかわからない。テルマは笑ってはいなかった。でも楽しいとずっと言っていた。夫から離れて自由に生きることが、こんなに素晴らしかったのかと、彼女は満喫した結果、「最後までやりぬこう」と言うのだ。

彼女は「女性解放」の爽快感で完全にラリっていた。いまさら止められない。最後までいこう。いけるところまでいこう。

 

もし進撃の巨人にもっと印象的なセリフや納得のいくシーンがあったなら、そこには、

「最後まで行かなきゃならない」「やり遂げなければならない」というセリフがあったのかもしれない。

 

ところで、本作に別のエンディングは考えられなかったのだろうか?

少し考えてみたのだが、無駄だった。テルマはモテるし、最初から色んな男に口説かれまくってるし、失敗しまくってる。ルイーズには粘着質の男がいる。今更、捕まって、刑務所から出所したところでろくな人生は待ってないだろう。

エレンが死をもって解放されたように、彼女らもまた、華々しく散っていくのだろう。だが温度差がすごい。

テルマとルイーズは、「最高の気分で」笑顔で散ったと思う。そこがポエムなのだ。ロックだ。美しいフィクションが、美しいまま、最高の状態で終わっていく。

 

これ以上、映画に何を求めていいのかわからない。



2023年11月18日土曜日

鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎

 私が幼少期最初にハマった二次元男子が鬼太郎だった。彼は最初の推しであり、今でもこういうタイプの男子が好きだと思う。

その鬼太郎のパパの話をやるってんでちょっと見てきた。

どうやら、鬼太郎のパパやママの話は以前からあったらしいが、今回の主役の一人はなんと目玉親父になる前の鬼太郎のパパ。しかもやはり、名前がないw w

鬼太郎のパパは、ずーっと妻を探しているのだが、飄々とした身なりの割に体格がよく、表情はともかくイケメンの類だと思われた。が、実際の主役は水木であり、水木は比較的イケメン扱いである。

話の内容はとても子供には見せられないような、近親相姦や児童虐待など、かなりエグい内容である。無論直接的な表現は避けられていたが。

鬼太郎パパはとてもいい人で、そういったことに怒りも見せつつ、すごいバトルを繰り広げる優秀な幽霊族だった。(どうも彼の一族は強いらしい)

鬼太郎も確かに強いなって印象はあったけど、パパがでっかい妖怪とか掴んで投げ飛ばすのには驚いてしまった。顔がアレなので余計驚く。というかシュールである。

でもやっぱり鬼太郎パパが一番可愛いのは自分の妻を自慢する一連のシーンである。こんなの子供が見ても意味不明かもしれない。

幽霊族の生き残りで孤独だった鬼太郎パパは、膝を抱えて一人で暮らすど隠キャだったが、どういうきっかけか知らんがママと出逢う。それからのパパの人生は薔薇色だった。人間と同じように楽しく遊んでいるシーンがある。シュールだったが可愛かった。

この映画はそんなシュールでかわいい鬼太郎のパパにハマれないとちょっと面白くはないと思う。

私は鬼太郎のパパかなりお気に入りでした。


なおストーリーは大日本帝国が太平洋戦争で負けて経済復興を目指しているあたりの歴史を理解していないとなんじゃそらって感じなのと、「血液銀行」の意味がわかってないとちょっと???な話になっている。

血液銀行というのはかつて日本に存在した、有償で人の血を買う銀行のことです。ただ、あまりにも古すぎるので私も調べるまで知らんかったし、いったいどこの年齢層に向けてるのかわからなかったけど、鬼太郎自体が古い歴史を持つ作品なので、これはこれでありだと思うし、若い子が興味持ってくれてもいいと思う。

昭和30年代っていうと今の80代が若かった頃、って感じになるが。

2023年11月11日土曜日

「進撃の巨人」アニメ最終回にモヤっと来た件をまとめる

進撃の巨人アニメ The Final Seasonが始まった時、私はとても嬉しかった。

まるで軍隊もののような展開。ぶっ壊れてる主人公。ミカサは悲恋で終わる気がしていたが、男なんかに頼らず生きていって欲しいと思っていた。彼女が独立するいいきっかけだったと思っていた。髪の毛をショートにしたのもその決意あってのことだと思っていた。

大体序盤でエレミカをプッシュしていたファンのことも理解しかねていた。エレンのあの性格でうまく行くはずがなかった。エレンがミカサの気持ちからひたすら目を背けてきた理由がFinal Seasonだったはずなのだ。

甘っちょろい恋愛ものからは卒業だ。

そう思って喜んでいたのに、あのエンディングだった。

私のリアクションは全てアルミンと同じだった。

アルミンには始終共感を抱いた。なにしろ「アニが好き」まで同じだった。アニのようにクールで怖くて、強いのに美しい女でいたい。アルミンに追っかけられるような女でいたいと思っていた。

なのでエンディング間際のぬるさはアルミンと同様に驚愕した。

「エレン。君は本当にそれでいいのか?!!」

「自由を求めて戦った結果がこの不自由さなのか?!!」

エレンが自由を求める姿が好きだった。エレンは何にも縛られず、ユミルと世界を巨人から解放する。それだけでよかった。

なのにユミルと来たら。


諫山先生の考え方、思考回路をなぞるしかなかった。

申し訳ないが、私は九州男児に大変な偏見を抱いている。

4年福岡で暮らして、彼らに染み付いている洗脳のような男尊女卑カルチャーを嫌というほど知らされた。男性陣は女性にひどく執着しているがプライドは高く、なかなか自分から口説くことはしない。もし付き合って別れたら、ストーカーと化す。最悪は博多駅前で刺殺するくらい、彼らはドロドロしていた。女性に振られると絶望で気が狂ってしまうようで、付き合おうと思えなかった。彼らは毎日のように自分のプライドを守るために周りをdisっていた。

これを進撃の巨人に当てはめてみよう。

つまり、こうだ。諫山先生の(九州男児としての)願望は、自分好みの女性に執拗に想いを寄せられ、最終的には殺される。これが彼の願望なのではないか。

大変歪んだ願望だが、そうとしか思えなかった。

エレンは、ミカサに殺されるまで暴れ続ける、そういうシナリオだ。

だが、エレンは「自分は馬鹿だから」と言っていたが、もし彼が馬鹿じゃなかったらどうなっていたんだろうか。

世の中を戦争に巻き込み、たくさんの犠牲者を出して文字通りフラットにする-それは地理的にも、精神的にもだ-それがエレンの願いだったらしい。

だが、アルミンの頭脳を持っていたらもうちょっとスムーズに、犠牲者を最小限にしてミカサを殺人に向かわせることはできたのではないだろうか?


進撃の巨人は自由を求める物語だと思っていた。

我々は生まれながらにして自由に生きる権利を持っている。その着眼点が素晴らしいと思っていた。

だが実は逆だったのだ。エレンは殺されるまで自由にはなれない。

ユミルはなぜか男性に執着し続けた。これも九州男児の願望ではないだろうか。残念ながら女性はもっと合理的で、九州の女性は離婚を切り出すのが割と早く、シングルマザーが元気に生きている地域だ。

ミカサもずっとエレンに執着し、エレンのために戦い、生きていた。

誰も自由になれない物語だった。

絶望的だ。

もちろん最後には自由にはなったが、代償が大きすぎる。

だが、どうだろう。自由になったミカサは泣いていた。これは裏を返すと、「不自由が楽しかった」ということになる。彼女は不自由を喜んでいたのだ。ユミルもおそらく不自由を理解しながら執着し続けてしまったのだろう。


もちろん100%の自由はきっと存在しない。結局人間は、そこのバランスをとりながら生きていく生き物なのだろう。ただ、好きな男性のために不自由を取ったり、世界を変えてしまう女性という発想がどうにも気持ち悪かった。それを描いたのが九州男児であることにも気持ち悪さを感じた。


そしてエレンの在り方にはかなり疑問を持った。

エレンがすごい好きだから、とかではない。私は性格判断は全てエレンが出てしまう人間なので、何かを犠牲にしながら目標に突っ走る癖はあると思う。だけど、自分の欲しいものまで犠牲にしていいんだろうか。

人は自分の欲しいものを手にいれるために生きるんじゃないんだろうか。

かなり色々モヤモヤしてしまったが、とにかくエレンの在り方が一番モヤっとしてしまった。


総じていうと、スケールの大きな「世直し」物語に見せかけて、一人の色恋沙汰に巻き込まれて多数の死亡者を出すという恐ろしく個人的な、腐敗政治みたいなものを見たなあという感想である。

日本にはそういう物語が多いように思う。昔ゲームで、「ステラデウス」というとてもビジュアルが綺麗なRPGがあったんだけど、内容は国の偉い人が個人的な恋愛沙汰で国を滅ぼすみたいな話で、えらい意気消沈した記憶がある。


2023年11月4日土曜日

アラビアンナイト 3000年の願い

この映画は観たいと思ったものの、あまりにも上映館が少なくてギブアップしたもの。

主人公(ティルダ・スウィントン)は物語を愛して研究している学者で、子供の頃は友人と遊ぶより理想の男子を自分で創り出して遊ぶような子。全く自分と同じでちょっと驚いた。

一度は結婚するものの、おそらく流産か不妊が原因で別れ、全く未練もない。

そんな彼女がイスタンブールのグランドバザール(私もここでトルコランプを買った)で手に入れたトルコの装飾瓶。特に特徴もないこの瓶の蓋を開けようとすると

イドリス・エルバが出てくる。

すごい大きさだ。

画面に入りきらないので最初はかなり笑った。

一通り、ルームサービスを対応して戻ってくると

イドリス・エルバが本来のサイズに戻っていたw

そしてよくある「3つの願いを叶えよう」が始まる。

が、主人公は全然信じてない上に、願いがないとまで言うものだから、イドリスエルバかなり困る。

ここからはイドリス・エルバのジン3000年の歴史が語られるが、実は結構、はっきりと分かれていて、

自分が閉じ込められた理由

とある野心溢れる女性のグルタン

グルタンが理由で閉じ込められたあと見つかるまでの話

貧困ながらものすごく頭のいい女性ゼフィール

の概ね4章である。

この話には少し共通点があり、ジョージミラーらしさに溢れている。

グルタンが原因で閉じ込められたあと、その国(シリアだと思われる)に、二人の王子が生まれていた。その片方は男子を子供に持たないと国が存続しないため、ただ繁殖するためだけの部屋に閉じ込められる。

その王子はとにかく太った女が好きだった。この太った、というのが異常な太さだった。マッドマックス怒りのデスロードにいた「乳母」たちとそっくりだった。同じ女優さんかもしれない。彼女らは太りすぎていて全裸でも淫部を隠す必要がなかった。

そして、この物語に絡む女性たちは何かと性行為や出産などに囚われ人生を狂わされるが、それもマッドマックスの囚われの女性たちを思い出す。

繁殖のためだけのハーレムなんかも全く同じだ。

グルタンが妊娠したとき、わざわざ白い服を着て風呂に飛び込み、大きくなった乳房や腹を見せびらかすのも非常にマッドマックスを連想させる。

これはジョージミラーの性的嗜好なのかわからないが、妊娠については比較的認識が正しいと思った。リドリースコットの性行為を連想させる怪物よりは、である。

最初にジンが愛した「シバの女王」が、「女が最も欲しいものを答えよ」というなぞなぞを出すのだが、回答は映画の中で示されていない。

おそらくそれは「自由に生きる」ではないかと、私は感じた。

自由に生きている主人公は、ギリギリまで願いがないのだ。


私の願いはなんだろうか。

真の自由とは、馬鹿馬鹿しい会議などをなるべく短く終わらせることかもしれない。ご存知の通り生産性のない日本人は時間稼ぎで会議を長引かせ、時給を稼ぐやつだっている。そういうくだらないことをやめられたらいいなと思うのが一つ。

もう一つのパターンは、生まれる時代を10〜15年ほど遅らせることだ。学生のときやりたいことがあんなにあったのに、ソフトウェアが手に入らずコンピューターの処理が遅すぎて作れなかったものがある。真のクリエイターならそんなもの関係ないと言われそうだが、意欲はあのとき腐るほどあったのだから、勿体無いことだと思う。

もう一つのパターンは、日本人としてではなく、できればアメリカ人かフランス人として生まれたかった、という根本をひっくり返す願いである。単純に日本が世界的に見てもダメな国という印象が拭えないからだ。もし最初からフランスに生まれていたら、おそらく自我は全く違う方に開花していただろう。日本人はマウントはして来るけど、他人のマウントは許せないことが多い。理由はよくわからないのだが、私はよく足を引っ張られたり潰しにかかられたりするが、年配の人たちに引っ張り上げられてなんとか舞台に立っている感じだ。なぜか同僚や後輩にやっかみを受けやすい。上司には気に入られやすい。

ちなみにやっかみを受けている時に堂々と振る舞っていても、彼らは簡単に一度感じた嫉妬は捨てないので、結局私が退職するまでは嫌味を言い続けたり足を引っ張り続ける。

この負の連鎖が果たして日本という閉鎖的な国でしか起きないことなのかはわからない。でも私は、もっと能力がグローバル目線で評価される舞台に立っていたい、と思うことがよくある。

グローバル目線で見たら私は下の方だが、世界水準で下された評価であるなら納得がいくからだ。

また、おそらく嫉妬で絡んでくる人間はもっともっと底辺の方になるかもしれないが、それがグローバル基準であれば彼らも文句は言わないだろう。日本の狭い社会の狭い会社の狭い部署の中で相手を潰そうとしているだけということに、気づいてくれればいいなと思う。


この映画の感想なんだが、基本的には女性の生き方にフォーカスしている内容だと思う。

主人公は最後まで、幻想の中で、物語の中で生き続けるだろうが、それは悪くないということなんだと思う。

そしてそのテーマはまるで私を表しているようだったので、共感はしやすかった。

人によっては、全く共感はできないかもしれない。特に家族を養っている人などは皆目理解不能かもしれない。