2024年4月21日日曜日

エイリアン4は素晴らしきレズビアン映画だと言いたい

先日エイリアンの4部作が全てアマプラで公開された。また、相変わらずエイリアンコヴェナント、プロメテウスも公開されているようだ。見ていないのは「エイリアンVSプレデター」のみ。プレデターがちょっと苦手なので、おそらく見ないと思う(第9地区みたいにギャグにしてくれればいいんだが)。

私は別にレズビアン映画が好きなわけではないのだ。だがエイリアン4は色々な観点から同性愛的なものを汲み取れる。実際何故か最後に男性同士のキスシーンがある(が、おまけか?)。

この回に出てくるリプリーはクローンである。複数のクローンの中の成功実験体であり、意志と記憶、そして素晴らしい能力がある。

リプリーは自分の階級も覚えているが実際はもはや普通の人間ではない。

もう一人のヒロインが私が絶賛してやまない「コール」、ウィノナ・ライダーの全盛期ではないかと思う美しいボーイッシュなアンドロイドだ。

彼女は見た目はボーイッシュな女性だが、彼女も人間ではない。が、意思がある。

この二人のキャラクターは惹かれ合う。そしてなぜ、お互い生きるのかを確認し合う。コールはリプリーを最初は敵視しているが、最終的には味方になる。彼女の実験体としての悲しみに同情したのだ。この時点でアンドロイドよりはおよそ人間らしい。

リプリーは最初に正義感溢れるコールの発言を聞いて心惹かれる。ミステリアスでクールでありながら、彼女を助けると提案するが、最初はコールは信じない。だがリプリーは気づいていた。「人間にしては優しすぎる」と。

エイリアン4の面白さはリプリーの存り方にある。彼女はクローンとはいえ、エイリアンを子宮から産み出した。エイリアンの母になったのである。ここで「孫」にあたるニューボーンエイリアンが、リプリーを母と慕う。不思議なもので、リプリーもニューボーンが孫であることを肌で理解している。そして、母性を示すのだ。

この二人は自分の存在を持て余している。コールは破棄されるはずだったアンドロイド。リプリーは自分が兵器として利用されるクローン。が、コールよりは大人で、その状況をなんとなく受け入れている。

この二人の行く宛のない旅、そして、コールがリプリーを殺すはずだった運命が良い意味で捻じ曲がっていくこと、この切なさが絶妙である。コールはリプリーのトラウマを心配し同情、リプリーはコールの正直な正義感に感心し、放っておけず何かと世話を焼く。

レズビアンは必ずしも肉体関係が必要だと私は思っていない。この映画の監督は、その微妙な人間の心の機微をよく理解されていて、無理のない、奇妙な人間関係の展開を興味深く描写している。

それに何よりも私はこの映画でウィノナ・ライダーの真骨頂を知った。彼女は発声も物腰も少年っぽく、華奢な体つきも女というより男の子っぽさがある。そこにこの正直で純粋な性格をつけたのだから最高に可愛らしい。そして対するリプリーはミステリアスで大人の完璧な女性。人間の形をとりながら自分の子孫であるエイリアンの母を呼ぶ姿には母性を溢れさせてしまう。 男女でも、親子でも、姉妹でもない、不思議な愛がそこには存在していると思う。

2024年4月15日月曜日

Amazon Prime Videoの「フォールアウト」

このドラマは、ゲーム「フォールアウト」の実写化である。

感想の前に、こちらの記事を見てほしい。記憶に新しい人もいるかもしれない。

https://www.gamespark.jp/article/2015/12/22/62669.html

なんと!「Fallout4」にハマりすぎて、仕事と妻を失ったロシア人の男が、ゲーム会社を訴えると言い出したというのである。

そんなに面白いならやってみたいという心境と、

そんなにハマって仕事を失ったらどうしようという心境の間で当時の私は揺れた。

そしてゲームによって仕事を失うのは危険と判断して見送ったのである(笑)。

しかしこのドラマを見て、ついに「買おう」と思ってしまった。つか安いし。

そのくらい、ドラマが面白かった!!日本のアマプラランキングだけ入っていないなんて日本はどうかしている。「日本」という大きなVaultに騙されているのではないか???!!!


何が面白かったかというと

ストーリーが面白い。徐々に展開する世界の謎。そしてひきを作るのが非常に上手い。

どっかで見た展開だなと思ったらジョナサン・ノーランが関わっている。ウエストワールドとどこか似ているのだ。グールとエド・ハリスがあまりにも似ている。情け容赦のない賞金稼ぎのグールが、ドカドカ人を殺し、グール故に不死身でありながら時々人を食べなければいけなかったり、薬を飲まないといけなかったりする。

舞台は核戦争で荒廃したアメリカ。そこには無数のシェルター「Vault」が地下に設置されており、お金持ちは地下で暮らし、シェルターに入れなかった人間は「レイダー」荒くれ者として地上でサバイバル生活をしていた。

主人公は「Vault33」の人間。ある日襲撃され、父を攫われる。ここまでの展開でもなんともいえない不気味さが最初からあった。その不気味さは、「ミッドサマー」などアリ・アスター監督の作品によくある、

ここは平和で安全。みんなニコニコしている。私は、うまくいっている。

と思っていたのに、その世界がとんでもない嘘を隠していたことがわかる前兆だ。

人間は見たくないものから目を逸らす傾向にあるのがよくわかるイントロダクションだが、それはあまりにも露骨でもはやコメディであった。

そう、この作品、父を探して地上に出てしまう「ルーシー」がありとあらゆる危険に巻き込まれる割には、どこかコミカルな展開も多い。

良質なSF作品であり、安部公房や星新一が描く「シュールな統制された世界」と非常に共通点が多い。

設定は全ては明かされていない。考えてもくれたまえ。ルーシーのいたVaultは33番なのだ。31の真実は最終話で明かされるが、1〜30までは描かれていない。唯一、ルーシーがうっかり迷い込んでしまった「4」がこれまたシュールな世界である。33とも違う。コミカルだなと思ったのが、「12階ヘは絶対行くな」といわれるのでついつい行ってしまうところなのだ。

これは、最近見る作品に多い。例えば「アランウェイク2」ではサム・レイクが捕まっていて笑、「そこにあるナイフを取ろうと思うなよ!そこにあるナイフで私を刺そうとなんて、思うな!」と言うのである・・・

「押すなよ!絶対に押すなよ!」手法はこの後も出てくる。

ルーシーは、「Vault4」にて安全な世界と思っていたVaultに大いに疑惑を感じ始める。脱出方法もどっか変であった。そして最終話で見事にその理由がわかるのだが。

この世界は放射能でいろんなことがおかしくなっていて、なぜか指を切り落としたのに別の指をくっつけることができたり、そもそも「グール」が生まれる過程も簡単すぎてよくわからない。それに「放射能による症状」を緩和する薬も存在する。また、実験によって生まれたという怪物もなんでそうなったのかよくわからなかった。この怪物が見た目がウルトラマンシリーズよりもコミカルで単純なデザインでそれもどっか笑えるものがあった。

フォールアウトという作品の魅力はその全体的なデザインのレトロかわいい方向性(Vault Boyのデザインは前から気になっていた)や、一見ドシリアスな設定でありながらシリアスになりすぎないシュールな笑いを突っ込んでくるところである。

手品で体が真っ二つになったかと思えば、それがくっつくような、あの謎感がいい。

無論「核を馬鹿にすんなし」という意見もあると思うしその辺は実にアメリカンである。だがおそらくこの作品のメインテーマは反戦や反核ではない。これもアメリカらしいのだが

少し厨二病寄りな、都市伝説のようなストーリーを通して、人に「権力者を疑え」といっているのである。

オッペンハイマーを見た時、核の話よりも人間関係や、政治の話が割と絡むなと思っていたのだが、これはアメリカ人が

核そのものよりも、それを使う人間に気をつけろ

と考えているからではないか?と感じた。

日本は被害を受けたと被害者づらしていればこの手の論争から逃げられるのでちょっと未熟な感じがする。問題は常に、

「核を使う人間」側にあるのだ。


私は今からシーズン2がとっても楽しみだ。

2024年4月7日日曜日

「お嬢さん」をなんとなく見始めて仰天した件

評価が高いと聞いていた「お嬢さん」って映画を見始めて仰天してしまった。 

大どんでん返しの脚本でまず驚かされるが、題材もなかなかのグロさである。

エログロサスペンスで、随所で日本の「春画」が出てくるのだが日本の春画は結構露骨でエログロい。

それを地でいこうとでもいうのか、タコを飼っているらしい(本当に触手プレイをしているかは分からないw)。表向きは「朗読会」と言っているが読まされているのは露骨な性描写のある官能小説。

おそらく作者は、露骨に性消費される女性を解放したいと思ったのだろう。

そして本作品では徹底的に男性が悪いやつとして描かれているが、どいつもこいつも女を甘く見過ぎである。レイプしようとして毒を盛られたり。「女は力ずくの関係で極上の快楽を感じる」と信じていたり。いやそもそも、自分が騙す側にまわっているつもりで本気で恋をし始めるあたりが男の悪い癖だ。

そして男はしつこい。

「お嬢さん」の秀子は、何度も朗読会をさせられて知っていた。男の浅はかさを。

彼女は男を信用できないし、好きになれないのだろう。

女中としてやってきた「スッキ」に興味をもち、たくみに誘惑し、惚れさせてしまう。それは最初の策略とは異なっていた。だが結局秀子が本気で好きなのはスッキだけなのである。

最初はスッキが主人公のように描かれていたが、それは視聴者側の立場からしたらその方が入りやすいという点は否めない。

だが後半、主人公は秀子に移る。

秀子は運命に翻弄され自宅に監禁されていた「お嬢様」であったが、びっくりするほど賢い女であった。それに彼女は恐るべき方法で最後まで男に身体を許さなかった。男の目の前で裸になったとしても、身体を許さないというのはもはやテクニックのようなものである。

レッド・スパローも似たような話だったかもしれない。

私はこのような強い女たちが、それでもなお美しさとエレガンスを失うことなく、周りのしょうもない露骨なエロばっかり考えている男たちをまるで虫ケラ以下の存在に見せる、そんな物語が大好きだし、私もそうありたいと思う。


ただなんというか全体を通して、この監督ド変態なんだろうなあ、とは思った。

あと韓国人の日本語がわかりにくい。

2024年4月2日火曜日

マルセル 靴を履いた小さな貝

Amazon Prime Videoでは先月から割と面白い映画が配信になっていて、この映画もそのリストに入っていた。

予告編を見てぜひ劇場で観たいと思っていたものの、神奈川県だとやはり上映劇場が少なく、ギブアップした映画である。

自宅の粗末な環境で再生したものの、マルセルの可愛らしさは冒頭から私を虜にした。

これぞストップモーションアニメ映画のベストに入る作品だろう。アカデミー賞ノミネート当然である。

手間暇もそうなんだけど、

  • キャラクターのオリジナリティ:貝に目と足をつけるというデザイン、そしてなんと口もついている
  • 情緒的なストーリー
  • マルセルの性格づけと、声優の秀逸な演技
  • SNSの良い面悪い面の正確な描写 
全方位から見て隙のない作品でありながら、ほんわかとした雰囲気にビターな「少年の成長」を織り交ぜ、それでもなお悲劇の作品ではないところなど、非常に完成度が高い。

老いる者からの励ましの言葉は、誰にでも突き刺さる、普遍的なアドバイスである。

アニメ作品として私が一番に評価したいのはマルセルの声優の技力である。演技もさることながら、声の出し方がすごい。一体どうやっているのか気になった。
キャストは絶対子役の少年に違いないと思って調べて仰天した。なんとコメディアンをしている成人の女性(アラフォー)だというのだ。どうしたらあんなハスキーな男の子ボイスが出せるのだろう。

普段の声をYouTubeで聴いてみたところ、元から声のトーンが高めでハスキーではあった。良いところは、彼女の英語の発音である。教材みたいな喋り方だったw絶対に聞き取れる滑舌の良さ!

ちなみにジミー・キンメルライブで声を披露してくれるのだが、片耳に指を入れないと自分のマルセル声が聴こえないんだそうだ。やっぱ特殊技能だな。

海外の声優は技力がすごいという印象がある。今までで一番驚いたのがロードオブザリングの「ゴラム」であった。私はてっきりアンディ・サーキスの声を加工していると思ったのだが、なんとあれを地声で出しているらしい、、もちろん、演技はしているのだが……

アンディ曰く「家の猫が毛玉を吐き出そうとしている時の声を真似した」そうである。

そういえば、ロバート・パティンソンは「君たちはどう生きるか」で完全に声を変えてアオサギを演じているが、彼はもともと地声の存在感が希薄なので(笑)、たまに映画を見てると「ああ今回は声を変えるのか」なんて思っていた。特に「悪魔はいつもそこに」ではわざとらしいくらい声を変えていた。パティンソン君は声を変えることで役になりきれると思っているらしい。

声や滑舌はもっと重要視されていいと思っている。なぜなら、邦画で字幕がないとき、滑舌の悪い役者がいると何を言ってるか理解できないことがあるからだ。字幕というのは案外便利なツールなのだが、本来は字幕がなくても理解できないといけないし、字幕は映像制作側から見たら無いのが前提である(ただしエルフ語などは除く)。ちなみに日本の実写俳優だとやっぱり堺雅人さんの滑舌は綺麗。すごい特訓しているそうだ。

ところでオッペンハイマーを観た後「私は貝になりたい」をなんとなく観てみたのだけど(悪趣味)、あれに出演している米兵は異様に発音が綺麗で、なんなら日本人より聞き取りやすいのでは?と思った。無論相手が日本人だからわざとやってるのかもしれんが。

あの映画は、英語に字幕をあまりつけないという意図的な演出により、英語を理解する視聴者が「あ、今絞首刑って言った」と理解した数秒後に遅れて日本語に通訳され、中居くんが絶望するという、なんともいえない独特の味わい方がある。

2024年4月1日月曜日

「オッペンハイマー」の個人的な解釈

今回はクリストファー・ノーランにしてはファンタジー色が全くなく、IMAXで観る必要性は確かに薄かった。個人的には音響の素晴らしさが特徴的だと思うので、映画館で観る必要はあると思う。

物理学以外の点でも難解で字幕を追うのに必死、字幕なしで理解できそうなのは妻のキティのセリフくらいである。


この映画は、ただオッペンハイマーの栄光と盛衰を描いたものだと思う。半生。オッペンハイマーの内面を描いているため、自伝のような感じで。

物語としては、過去を回想していく形にはなるが、ケンブリッジの留学時代は短い。せいぜいホームシックだったことと、数学が苦手(意外だが、サイエンス好きとしては共感するものがあった)、実験が苦手なこと、なのだが、ここで重要な人物と出会い、物理への道が拓ける。

物理学に自信をつけたオッペンハイマーは帰国後大人気教授となるが、共産党に傾いているのが後日仇になる。(が、ここはオッピーのせいではないと思う)

ドイツが核分裂を発見したことで、オッピーの周りはすぐにそれを実験し確証する。この時点でオッピーの頭には「爆弾になる」とわかっていた。

あれよあれよと進んでしまう核爆弾の構築。「ロスアラモス」はオッピーの提案で20億ドルをもかけて街を作り、街全体を実験・開発場とした。これはアステロイド・シティの元ネタらしい。

この時代は流れが早く、7月に実験が成功したら8月に日本に爆弾を落とすともう決まっていた。ヒトラーが自殺した後、アメリカは早く日本も降伏させたいと思っていたのである。(無論ロシアに対して優位性を持ちたいのだと思うが)

この「日本に落とす会議」は重要な会議である。私に言わせればこの時代の日本は世界の悪役であった。ヒトラーが自殺したらもう日本の敗北は目に見えていただろうし、様々な口頭も含めた戦争の記録を見ても、日本は悲惨な状況を国民に強いていたのだ。

日本がしつこく「負けず嫌い」を通してくるであろうことを米国は理解していたので、マット・デイモン演じるグローブスが「2回落とす」とこの時点で言っている。

しかし周りは「日本に警告を出すべきではないか」と2回くらい言っているし、倫理観はしっかりあったと思う。(ストローズのWikiに「栃木の日光に警告を一個落としては?」という提案がある)

戦争映画によくあることだが、特に米国の場合「一般人(兵士も科学者も)と政府のお偉いさんや軍のトップ」との対比が描かれることが多い。つまり戦争をお偉いさんが利益重視で操作しているのを批判するパターンである。

広島に原爆が落とされた日、オッペンハイマーは大絶賛を受けるが、この時の彼の心理描写はぜひ映像で観てほしい。秀逸だ。

セリフだけ聴いていたら全日本国民とドイツ国民が激怒しそうな内容なのだが、彼の心は裏腹だった。

私はこの感覚を知っている。この感覚のせいで心療内科に通ったりして、結局治らず脱サラしたのだから。

ノーランはこの感覚を知っている人だと確信した。私だけではないのだ。


終盤というか、最初から連なるイベントとして、「オッペンハイマーがロシアのスパイかどうか」を問い詰める聴聞会がある。裁判ではないのだが、オッピーが水爆の開発に反対したのが表向きの理由で、最前線から外そうという動きが出ていたのだ。

だがこれを裏で操っていたのがロバート・ダウニー・Jr.演じるストローズである。

こいつが一番の曲者だった。

曲者なのだが、なんとも人間らしい。彼は科学者ではない。科学者に馬鹿にされるのが耐えられず、恨みを晴らそうとした人物である。

気をつけた方がいいのは、これは現実でも起きうることだということだ。この話はノンフィクションである。

どんな人間だって小馬鹿にされたら恨むだろう。ましてや、絶大な力を持った人間は相手を馬鹿になどしてはいけない。彼らが勝てないとわかっていたら、なおさら丁重に扱わないと、痛い目を見る。

オッペンハイマーはエンジニアのようなものだ。

私は日々エンジニアとお仕事をしているが、傲慢な人間を嫌というほど見てきて、相手にしてきて、本当にこの業界を辞めようと思ったこともあった。

だが、デザイナーにも傲慢な人間が多い。デザイナーの場合なぜか実装ができなかったり、大したものを作れない人間に限って肩書きだけで偉そうにする人間が多い。おそらく、できないから大きく見せなければと思っているのだと思う。

映画を通して、オッペンハイマーが傲慢だと思うシーンは少なかったが、実際の行動を羅列するとまあまあ傲慢な方だと思われる。何しろ女癖が結構悪い。この時点で私の中では絶対関わりたくない男リストに入れられてしまう。

先日見たナポレオンより、傲慢さは薄めに描かれている。これはノーラン監督の意図で、「傲慢に見えるかどうか」を観客に委ねているのではないかと思う。

だが、きつく尋問された理由は私に言わせればストローズを小馬鹿にしたのが原因である。もしストローズと仲が良かったら?おそらく、庇ってくれたに違いない。なぜならオッペンハイマーは共産党の一員ではない、彼は白だからだ。もちろんスパイでもない。


オッペンハイマーは自分のキャリアのために原爆を作ったのだと思う。あの時代、あれを止められる人はいなかっただろう。だが、彼ははっきりと後悔している。

トルーマンは「日本人は原爆作った人を恨まないよ」って妙にはっきりと言っていた。 

だが、私はこれも日常的に起きうることだと思っている。

例えば、私が前に辞めた会社では、流行りのキャラクターを使った子供向けのアプリを作ることになって、私はデザインをとても頑張った。だが、エンジニアのやる気は半分以下だった。その技術が扱える人が辞めてしまって聞く人がいなかったらしい。

トルーマンはいわばその会社の「ディレクター」である。彼女は、私に言わせればサイコパスの気があって、アプリにバグがあっても平然としていた。一応エンジニアには声をかけるのだが、誰も直してなどくれなかった。(そのエンジニアも独身女性の私の前でスキルをアピールする傲慢さがあった)

トルーマンなディレクターの使命は「アプリの制作費をクライアントからゲットすること」である。

バグのないプロダクトを納品することではないらしい。

私はあの時も、そしてその前も、オッペンハイマーのような気分になった。仕事でやったことだ。私はきっと給料のためにこれを作っている。

だが、どうだろう。そのアプリのレビューには悲惨なコメントが並んでいた。「子供が喜んで使いたがるのでバグを直してもらえませんか」と。

オッペンハイマーの偉業は、老人になってから評価された。だが私にはきっとそんな日は来ないだろう。それがサラリーマンだ。会社に勤めていたらそんなものなのだ。世の中にはこんな話が溢れ返っている。


それを悪いとも、良いとも言わず、淡々と描く良い映画だった。

ただそこにある「絶望」の感情は非常によく描写がされていた。

2024年3月28日木曜日

ドゥニ・ヴィルヌーヴの「メッセージ」

この映画はサムネイルで少し損をしている。

見た目がチープなSF映画に見えなくも無いからだ。もうちょっとストイックさをビジュアルに出せれば良いのだが(もしかしたら宇宙人を出した方が良かったのかもしれない)。構図が安っぽい問題がある。

内容は非常に真面目で良質なSFだった。

インターステラーなどと似ている。時間を操るシナリオだ。厳密にいうと操るのではなく、俯瞰するといった方が正しいだろうか。

私は物理学は全然できないのだけど、クリストファーノーランのおかげもあって、また宇宙や天文学が好きだった幼少期もあってなんとなくこのような抽象的なSF事象を理解できる。

感覚的にだ。

この「なんとなく感覚的にわかる」のがこの映画では特に大事になるのでは無いだろうか。

インターステラーの終盤で、主人公が過去に容易にアクセスできる場面がある。5次元、だっただろうか。

私たちは立体的に言えば3次元で、時間軸を含めると4次元に生きていると言えると思う。4次元で時間軸のある我々は、「肉体が存在し、心臓が動いている間」は現実空間に生きていられる。そこから見た「二次元」には時間軸が存在しない。あたかも存在するかのように、描かれてはいるが、画像である。

また一次元なるものも存在するが、仮にこれが文字だとして、それらも体感するのに時間は消費するが、一次元自体に時間軸は存在しないと言えるだろう。(時間そのものだけを捉えれば一次元とも言えるが)

という、ざっくりな仮定のもとで話を進めると。

5次元に存在する生物(知覚者)は、4次元を時間軸もろとも俯瞰することができるのでは?とインターステラーは言いたいのかなと私は思った。

さて、この「メッセージ」では地球に降り立った宇宙人の言語が難解で、主人公の女性はあらゆる手段でこれを解読していく。見た目的にはAdobe Illustratorで書いた適当なインクの輪に見える。なぜベクトルデータで説明しているかというと、彼女が分析する時に、アンカーポイントが多数見えたからだ。それに伝達手段に使える記号であるならば、確かにベクトルデータに変換できるはずである。

この宇宙人は、どうも未来が見えるらしいのだが、見えるというか知覚しているという感じらしい。そして、私の解釈では、宇宙人が主人公に与えた「武器」は未来を見る能力である。彼女は何度も謎のフラッシュバックを見て、それがだんだん頻繁になってくる。未来の自分の子供を見ているのだ。

この「だんだんわかってくる」感覚を表現するのが、ドゥニ・ヴィルヌーヴは非常にうまいと思った。DUNEもそうだけど、無理のないように話を丁寧に進めるのがうまい。(DUNE2は少し終盤は詰め込みを感じたが)

映画は物理学を学ぶためのものではない。

この感覚的に宇宙人を理解していく感じ、を映像を通して体験できるのが映画の素晴らしいところだ。

E.T .と出会い、最初は怖いなと思い、だんだん仲良くなっていって、最後はお別れする時に号泣する、そういう感覚を共有できるのが映画の良いところである。

人の考察も見てみたのだが、「未来がわかっているのになぜその通りにする」かなんてことは私はどうでも良いと思った。

この映画で感動的なのは、未来からの「メッセージ」を彼女が受け取って、必死で実行する(これがクライマックス)ところで、そこで彼女は地球の平和を守り抜くのである。

宇宙人がきたことで、地球の住民は混乱する。戦争が目前に迫りつつあった。

言語学者のルイーズは、焦る人類を前に「丁寧にメッセージを解読したい」と言い続ける。

ここにこの映画の素晴らしいテーマがある。未来などぶっちゃけSF設定としては良いのだが、大事ではない。ここで大事なのは、「相手の言っていることを理解しようとする姿勢」である。そしてその姿勢が地球を破滅から救ったのだ。

多くのSF映画は盛り上げるためにここで戦争を始めてしまうかもしれない。

だから、私はあの中国軍の代表が「ありがとう」と言い始めた時震えるほどに感動したのだ。

そして、ルイーズが辛抱強く解読を続け、リスクを冒して中国軍の上将に電話をかけ、未来がどんなものであろうとも、突き進む一連の流れがとても美しいと思った。学問と科学が平和を導いたのである。そして、ルイーズの良心が。宇宙人もそれを見越して彼女に能力を与えたのではないかと思う。

SFは暗く恐ろしい破滅の物語も多いが、「メッセージ」は前向きでありながら、未来を知ってしまう切なさも含んでいる良質的なSFである。

そして、最後のあたりのシーンは、それを慰めるものではない。彼女は、「今を」生きることをそれでもなお楽しむのである。「今、ここにある温もり」を大事にしようと、伝えているのである。 

また、ドゥニ・ヴィルヌーヴといえばビジュアルの美しさだが、宇宙人のデザイン、乗っている乗り物のデザイン、「記号(文字)」のデザインなどどれもスタイリッシュで美しかった。彼は「霧やもや」を使うのが非常に上手いと思っている。絵作りが上手いというか。


ところで原題は「ARRIVAL(来訪)」であるが、邦題「メッセージ」も悪くはない。なぜなら映画全体がメッセージの役割も果たしているし、ルイーズはずっとメッセージを解読しているからだ。

2024年3月18日月曜日

DUNE part2

おそらく圧倒的ビジュアルで攻めてくるに違いない!と確信してIMAXで観てきました。

大満足です。美麗ビジュアルな上に、圧倒的迫力のサウンド設計。私はサンドウォーム大好物なので今回乗るシーンが多く大変楽しめましたwそして今回大規模戦争の描写もあるので、映画館で見ないともったいないです。

1観て予習して正解でした。ぜひ予習してからご覧になってください。

登場人物としては、今回は圧倒的女優陣に満足させられました。

レベッカ・ファーガソン

正式に教母となり、さらに意外な過去が明かされます。

今回も本当に美しい。衣装も素敵だし、スパイスの影響で青くなる瞳がよく似合っていました。彼女元々青なんですけど強調されていました。ミステリアスすぎて裏があるんじゃないかとハラハラします。

ゼンデイヤ

牧歌的で癒し系でした。最後彼女の怒り顔で終わるのがなんか切ない。ジブリ映画にいるタイプ。

フローレンス・ピュー

皇帝の娘ということですが、良心的な女性という印象を抱きました。ドレスがすごいんだわ。あれいくらかかってるんだ。

レア・セドゥ

ハニートラップ仕掛ける(命令で)妖しい美女。またかよ。仕草が上品。行く末が楽しみです。

そしてまさかの、アニャ・テイラー・ジョイ

ポールの予知夢に出てくる女性ですが明らかにあれでした。これまた美女。

美女づくしな上に、全員今をときめく超・実力派女優ばっかり!ギャラがすごそうです。どの人もエゴが強すぎない俳優なのでとても好きです。

ベネ・ゲセリットの存在がすごい

歴史を裏で操るとされている
ベネ・ゲセリットですが、様々な権力者に取り入っては精子を(子種を)ゲットしている模様。だから女しかいないのか?!!怖すぎて逆に好きですw

女が世界を操っているなんて、最高じゃないですか。

監督も意図的に女性を活躍させているそうですが…。素敵です。


男性キャラで圧倒的な存在感を放つのがやはりオースティン・バトラーの
ラウサ・ハルコンネン。元の顔がわからない程に白く塗った上に眉毛の上からパテかなんかを塗って完全スキンヘッドなのですが、クールでかっこいい。

かっこいですがサディストで、めちゃくちゃ人を殺すのです。

しかも最後らへんに、ポールと決闘することになり、とんでもなく緊張するのですが、
私は、このサイコパス野郎の唯一好きなところは、チートで勝とうとしないところです。

そういう意味でもファンがつきそうだなと思いました。彼の叔父は無茶苦茶太ってるのにこの子だけナイスボディだったので。

皇帝もヨボヨボだし、男性キャラが微妙なんすよね。それにしても前から思っているのだが、ポールのキャラクターとしての存在感が女性陣にかき消されている気がする笑

あとフレメル側のスティルガー。ハビエル・バルデムだから見慣れていて親近感がありまくりなのですが、ちょっと緩すぎない?!と思うことがありました。スペイン訛りはわざとらしすぎるというか。


ストーリーが難しい!と言われてもいる本作ですが、後半は特にスピードアップしていたので、救世主と崇められるポールの行く末、チャニとの関係、フェンリングやジェシカが産む子供など、未来がとても楽しみになりました。特に、アニャ・テイラー=ジョイが次回絡んでくるのか?が楽しみなのですが、年齢的にはズレが生じるのでどうなんだろうな。

私はざっくり関係を飲み込めたのでディテールはともかく、比較的わかりやすい話だと思いました。

それにしても簡単に核を使ってしまうし、あれで本当に平和なのか、ちょっと謎ではあります。ポールが言う通り、本当に「緑のパラダイス」はつくれるのでしょうか。次回に期待です。