2020年4月26日日曜日

ドラマ「高嶺の花」が結構面白かった

リアタイでは見ていなかったんだけど、
このほどよいドロドロ具合は私の好みである。

石原さとみさんは、「似ているかも芸能人診断」で昔自撮り送ったら似ていると判断された女優さんなんだけど
たぶん似てるのは分厚い唇だけだw
この唇の分厚さは、メイクのネックになる。
これ以上面積を増やしても意味がないから、薄くしてごまかすパターンか、濃い色を中心に入れて外側にむけてぼかす。
コンシーラーで引き締めることもできるが、コンシーラーは使いすぎるとメイクもりもりになってしまうので好きではない。

余談でした。

石原さとみさんが演じる「もも」は気位高いお嬢様で、華道の家元の娘である。

芸術の才能が抜きんでているということで、父親から「恋愛に現を抜かすものではない」と言われているが、彼女も普通の…いや、極端な女性で、恋をするととことんのめりこむ。ストーカーと化して、厳重注意を受けるくらいだ。

彼女はとても恋愛に真面目で一途であるからこそ、男は受け入れてくれないと嘆く。
その名台詞は以下の通り。

「私の愛は素敵なの。素敵なくらいエグいのよ。

だから男は受け止められない。

ぶっ壊れるか、その前に逃げられちゃうの。

それを見て私は寂しくて悲しくて、この人も偽物だったかって絶望しちゃうの。

だったら誰も愛さなきゃいい。好きにならなきゃいい」


これの意味がわかりますか?
私には、わかる。

私はこのドラマが別段大好きではない。
だが、脚本は秀逸であり、
私のパーソナルな恋愛志向には大変似ているものがあった。

愛したくない。愛すれば、必ず裏切られる。

ももはそう思っていると思う。

どんなに愛を注いで尽くしても、最後は男が腐って捨てざるをえなくなる。
それは、私の愛が強すぎるから。
私を理解していないから。
だから、私は、その人を「偽物」と思うしかないの。
 
ワンチャンあるとか、告らせたいとか、そういう軽々しい言葉で、恋愛を成立させるな。
そんなの、犬や猫以下だ。

ももの気持ちは、完全に私とシンクロする箇所があった。

私も、婚活パーティーに行くと、
「プロフィールを偽ったらどうですか」
と言われることがある。

経歴が立派すぎる。仕事が出来すぎる。海外旅行に行ったら英語は全部私に任せてくれれば出国前から帰国まで、手続きは全部ひとりでできてしまう。
男が活躍する場面はほぼゼロだ。
実際は、隣にいるだけで多少狙われにくくはなるのだが。

軽く「高嶺の花」と言えるような存在になってしまった。
もちろん、虫みたいな男は寄ってくるけど、どうせ口説けないことは最初からわかっているのでうっとおしいだけだ。
さしで飲みにいっても、私が強すぎて相手が先につぶれるのは飲む前からわかっている。

ももが好きになった男は、「プーさん」と呼ばれている。もはや本名を忘れた。

とにかくブサイクである。

ブサイクにありがちな、「声はよい」人。
しかも性格も良い。
いいじゃない、それでうまくいけば。と思うが、ももが華道の家元を継がなければという運命にあるため、大変困難な道を歩むことになる。

家元はとにかくサディスト並みに厳しい。

強引に、彼らの間を裂こうとする。
しかも、「芸術家には罪の意識が必要だ」と…

わざわざ、心に、記憶に罪悪感や闇を植え付ける、というのだ。

確かに私もいままでひどい目にあっては、全部を芸術などに注いできた。

でも好きでそうなったわけではない。

私はこの厳しい発言だけは許せなかった。

芸術家だったら結婚や恋愛をしてはならないというのだろうか。そんなのは嘘だ。結婚しても作品をつくる人はたくさんいる。

「もも」も、同じく葛藤する。

そしてドラマの最後に、彼女は非常に男前な決断をする。

さすが石原さとみ氏だ。

彼女は男前な役が多い。

進撃の巨人では男並みに前線で活躍するハンジ。
シンゴジラでは、美人だがけったいで勇猛果敢な次期アメリカ大統領だ。


もしかしたら、分厚い唇以外にも、私は彼女に似ているのかもしれない。

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