2022年12月16日金曜日

リリーのすべて

確か叶恭子さんが好きな映画のひとつに挙げていたと思います。

前から興味はあったのですが、わくわくアクション映画ではないので、観るのが遅れましたw

とても美しい映画で、衣装や主人公たちの自宅のセットも絵画のようで、特にエディ・レッドメインが女性のように見えたり、少年のように見えたり、時折狂気の人に見えたり、死にそうになったり、完全な中性キャラになったりと、非常に存在感が大きい。

エディ・レッドメインといえばファンタビですが、ファンタビなんて彼のほんの一部でしかないのですね。アカデミー賞受賞俳優の真価を見たなと思いました。本当にね、芝居が上手すぎて、こちらでも「今リリーなのか、アイナーなのかわからない」「本当に別人格に支配されているように見える」と騙されまくるすごい演技です。

筋書は、エディが演じる「アイナー」がトランスジェンダーで、自分の中の女性性に目覚めていき、「リリー」という別人格を形成し、それに乗っとられつつも、妻を愛し続けるという苦悩にさいなまれるというお話になります。 

これも、エディの演技力がなければ伝わらない話で。

自分の姿を鏡で見るシーンが多く、鏡の前でメイクをぬぐい、ウイッグを外して男の自分を見て。服を脱いで美しい肌の、細い体を眺め、どこまで女性に迫れるか確認。悲しいのが、いつも股間のペニスのところまで来ると苦悩が激しくなり、どうにかしてそれの存在を忘れようと、消去しようとする姿が痛々しい。

どうしても女になりたい彼は(というか、トランスジェンダーの男性は、「自分は女だ」と自覚しているので、肉体が男性なのがどうしても許せないらしい)、月に1回鼻血と下腹部の痛みを発症する。これ私はすぐに意味が分かって恐れおののきました。

彼は、自ら「月経」を発症しているのです。

女になりたいがあまり、いや自分は女だから、月経が鼻から出るのでしょう。

史実の「リリー」は、男に惚れて子供を産みたいと願い、子宮移植まで行ったそうですが、映画のリリーは異なります。

ですが、この中途半端さが少しひっかかりました。

 

私はこの映画を観ながらずっと「りゅうちぇる氏」のことを思い出していました。

彼は恋愛対象は女性でありながら、性自認は女性。みんながひっかかっているのは、子供がいるのに「離婚した」ということだと思います。でも同居している。同居して、子供の面倒をみているなら、まあいいかなと思うのですが、

 まあ、やっぱり我儘な印象は受けますね。

トランスジェンダーの人を批判したいわけではないのです。

夫の性自認が女性であることを、「途中から知らされる妻」の苦しみが気になりました。

要は…一度男として結婚したからには、できるだけ、最後まで、男を貫いてほしかったといいますか…。

未婚の人はいいんです。私も未婚だし、未婚のオカマさんたちが私は大好きだし。

でも、最初に「男として」結婚してしまったら、それはひとつの誓約だし、相手を幸せにする義務はやはりあると思うんですよね。その義務を放棄し、妻を苦しめて泣くシーンがあるのですが、どうも微妙に同情できないというか。

 

最後まで見捨てない妻も素晴らしいと思うのですが、手放しで感動はできませんでした。

 

エディ・レッドメインがどんどん美しくなり、女性っぷりに磨きがかかり、最後らへんは完全に女性に混ざって、百貨店店員をやってるのが凄いと思ったし、とにかく彼はかわいくて、そして美しいと思いました。

でも感動の物語というよりは、トランスジェンダーがもたらす悲劇を淡々と描き、悲壮感がありそうで、それを押し付ける作風ではなく、なかなか難しい問題だけどどう思うよ、って投げてくるドライな感じ。悪くないと思います。

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