2023年10月29日日曜日

キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン

戦争の帰還兵であるアーネスト(ディカプリオ)は、叔父のビル(ウイリアム・ヘイル 演:ロバートデニーロ)のところに仕事を探して尋ねてくる。独身のアーネストは、 石油が噴き出したことで大金持ちになっていたアメリカ先住民のオーセージ族の嫁を娶ることを勧められる。

序盤は少々頑固で非常に賢いオーセージ族の「モリー」を口説き落とすところまで。

アーネストはふらふらとした性格で軸を持たないため、叔父のいう通りに動いてしまう。叔父は、オーセージ族の金を狙っていたので、殺人計画を次から次へと実行するのだが、それをアーネストにやらせるようになる。これが中盤。

終盤は国の捜査が入ることで、罪が暴かれ、どう裁かれるかを丁寧に描いている。

3時間26分 という、私も多分初体験の長さだが、意外と集中力が途切れることがなかった。

原作はこちら(ぜひ読んでみたい)

原作では特にアーネストが主人公にはなっていないようだ。ここに、本作の真意がある。

この映画では、アーネストの意志の弱さと愚かさ、強欲さをメインに描写し、そこからどう彼が変化していくかをストーリーの軸に据えているのである。

もしただのサスペンスであれば、捜査から始めて刑事ドラマみたいにしても十分面白かったかもしれないが、ずぶずぶと犯罪、しかも殺人に手を染めていく主人公を追っていくほうが、確かに面白い。また、

このテーマは、現代人に強い批判を投げかけているのである。

確かにお金は大事かもしれん。

だけど、人の命に代えられるものだろうか?

叔父は、先住民の身体を示して「こいつは幾らだ」とドルで価値を示す。

自分たちに遺産が流れ込むように、じわじわと妻の親族を殺していくふたりであったが、その度に妻のモリーは悲しみ、泣き叫ぶ。そのたびにアーネストは自分が恐ろしいことをしていると気づいていく。

モリーは夫が気づいて自分の道を正してくれることをずっと期待し、待ち続けていた。私からするとはよ離婚せよって感じである。しかし彼女は最後の最後まで待ち続けていた。自分が殺される可能性が非常に高い緊張と不安の中でである。

この状況は、殺人でなくても、現代にも通じるところが大変たくさんある。

まず男性の持つ「権力者に頭が上がらない」悪い癖と、優柔不断で軸のない人間が非常に増えていること。女性のほうが芯があり、まさに「バービー」状態であること。

上司の言う通りに卑怯なモラルの無い仕事をしてしまっていないだろうか。その背後で泣いている人間はいないだろうか。子供が犠牲になっていないか。

そして一番大事なこと。

自分を汚していないか?本当に罪を冒したかったのか?刑事が彼に問いかける。

「こんなはずじゃなかった、と思っていないか?」

素晴らしい映画だ。そしてスコセッシにしては救いのある内容ではないだろうか。

語り口調はゆっくりだが、何しろ殺人の数がものすごい。叔父にとって邪魔な人間はありとあらゆる方法で誰かに殺されてしまう。そのなかにアーネストがいるのが驚きだった。

それからこの「叔父」の性格が凄かった。

彼は「フリーメイソン」だと語る。そしてフリーメイソンの一員として、アーネストが失敗するとお尻ぺんぺんの刑を行うのだが、これが無茶苦茶痛そうである。

もしやフリーメイソンを批判しているのだろうか?

私はその辺も気になった。フリーメイソンとは結局どういう連中なのだろうか。確かにお金を稼ぐのは上手そうだが、本当にこんなにモラルのない連中なのだろうか。そして結局国家には勝てないのか?

単純な批判なのかもしれないが、アメリカの都市伝説も気になるところが結構あるなと思った。

ちなみにKKKの表現はタランティーノのほうが面白かったですが、笑っていいのか悩む内容ではありましたね…。

ディカプリオの演技について

ディカプリオの演技については映画.comで特集が組まれるくらいだが、確かにすごい。彼のアップだけのカット、彼だけを映しているカットが何回も出てくるが、隙のない演技力で、セリフより表情が細かく、目が離せない。

私が気に入っているのは最後に嫁に嘘がバレて「もうダメだ、失った」という顔である。また、意志が弱すぎてどもる時の芝居がナチュラルすぎて驚いた。どもる芝居は下手な役者が多いので。

特に後半になるにつれてどんどん追い詰められるディカプリオの演技は素晴らしい。これは確かにアカデミー賞とれるかもしれないし、円熟した役者の完成形を見た。

内容的にも、「人種差別」「アメリカ歴史の汚点」「現代にも通じる人間が犯しがちな意志の無さからくる罪」「拝金主義からくるモラルの問題」「女性の強さ」など、色々な方向から評価できる映画だと思う。

 

 

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