2021年5月22日土曜日

ジョーカー(2019)

「ジョーカー」というキャラクターが生まれるまでの物語。ここでは、彼の本名「アーサー」で感想を書きたいと思います。

この映画は、アカデミー賞もノミネートやら主演男優賞やらとっているけど、私的にはそんなに面白いとは思わなかった。というか、割とありきたりなテーマかなぁと。脚本が丁寧だなあという感覚を受けました。

あと会社の人が「鬱映画」っていうからもっとひどいかと思ってたけど、思ったより全然ひどくないので「なんだ手ごたえがないなあ」と思った私はちょっとキテるんですかね………。

今週は天気と体調が最悪でぬかるみの中でかろうじて生きてるみたいな気分だったので、鬱映画とか言われても全然心が揺さぶられなかった。わたくしやばいかもしれませんね。

アーサーの設定:
年齢はおそらく30代くらい?
道化師の仕事をしている
精神病のため薬とカウンセリングが必要
母親におそらく精神的に依存していて、一緒に暮らしている


善と悪、そして承認欲求の概念

誰にも相手にされない(と少々オーバーな被害妄想を持つ)アーサーは、電車で3人の男にからまれる。たまたま、友人から渡されていた銃で、アーサーは咄嗟に2人を殺すが、3人目を殺す時のアーサーは完全に正気であった。

そう、彼は実はいうほど狂ってはいない。

彼は、自分のプライドだったり、アイデンティティを汚す人間に対しては実に正確な反応を示す。

そして、彼はその「殺し」から変わってしまう。まるで、すべてが肯定されたようだった。ニュースでは、彼の殺しが大々的に取り上げられるし、人は彼の真似をして、ピエロの格好を始める。富裕層に対するテロの第一人者、革命のさきがけとして、祭り上げられたのだ。

それまでは、「自分が存在しているのかわからなかった」アーサー。実際に多くの犯罪者が、自分が殺人などの罪をおかしたあと、ニュースを一生懸命観たり、新聞や週刊誌を片っ端から買ってきたりする。

もしかしたら、彼らはまっとうな仕事で成果をあげられないから、承認欲求に飢えて目立ちたかった、というのも理由なのかもしれない。 

殺人は決して、善ではない。しかし、彼が殺した相手は明らかに悪ではあった。こういう時、どっちが善で悪なのか?を問うのは愚問だといつも思っている。善悪というのは、所詮主観にしかよらないところがあるというのを、決して忘れてはいけないと思う。(法律違反は別です)

 

コメディアンという職業の概念

アーサーは「コメディアン」になりたいという。

日本でいうと「お笑い芸人」だけど、アメリカのコメディアンはタキシードを着てディナーショーに出てくるような、フォーマルなものをさすことが多い。全裸でお盆をもって出てくる芸人はまずいない。

そして、アーサーはある日有名な芸人のマレーに取り上げられる。ここで、アーサーをdisるような発言で視聴者の笑いをとっているのだが……

私は、もし本気でお笑い芸人になりたいと思うのであれば、自分を貶めるような笑いでも、笑いがとれればなんぼだと思っている。日本では特にそういう芸人が多い。まあ、正直日本はやりすぎだなあと思うことがすごく多いけれども。

つまりアーサーは、自己評価が高すぎるきらいがあるのだ。

もしアーサーが、もっと謙虚に、「自分の気持ち悪いキャラをウリにしていこう」と思えたなら、事態はもうちょっとよくなっていたかもしれないと私は思う。


絶望を癒すものは何か

アーサーは、被害妄想とも言えるくらい、他人からの承認に飢えている。愛にも飢えている。

だが、この手の男性は、独身女性の私から言うとかなり危険であり、うっかり手を出してはいけないタイプの人間だ。

そして、この手の男性は実は多く世にあふれている。妄想も確かに激しい。多くの性犯罪者は言う、「彼女が喜んでくれると思っていた」と。

ではそんな、孤独で苦しむ人たちにおすすめできる「絶望を癒すもの」とはなんなのか。

私に言わせれば芸術に他ならない。

または、自然。自然も芸術だ。

芸術の種類はなんでもいい、こうやって、孤独に苦しむ人を映画で観て色々共感したり考えるのもいい。

はたまた、何も考えないで、ずうっと、滝を見たりするのもいい。滝はいい。ただ上から水が落ちてくるだけなんだけど、エンドレスですごく驚く。どっからそんなに水が来るのか。しかも、電動ではない。そう、滝なんて、売り上げも、コンバージョンも、マーケティングも、プロモーションも、な~~~んにも関係ない。そういうのを見るといい。

海もいい。あれは永遠の謎だ。よせてかえす波は、月の引力によるものだというが、何を言っているのかいまいちわからない(笑)。そういうミステリーを考えていると、絶望とはなんだったか忘れてしまう。

ついでに言うと星空はもっとすごい。星の光が自分の今の網膜に届くまでの時間を調べて驚愕とかしてるうちに、絶望を忘れるだろう。その時間自体が、絶望とも言えるからだ。


承認欲求や、自分のアイデンティティのために成すべきこと

まずは他人にすがることをあきらめることだ。これは私も大変な年月がかかった気がする。特に、親からの愛をあきらめることが、結構大変なんだけど、実は結構ここが重要である。

主人公のアーサーはお母さんと暮らしていて、それ自体は実に美しい話だと思うんだけど、やはり、自立できてないのが精神病に拍車をかけていると感じられる。

そして他人からの承認をあきらめたあと、芸術でのめりこめるものを探そう。

手広くやるよりは、できれば1個~3個くらいに絞って、尖らせたほうが良いと思う。

趣味として始めて、セミプロレベルまでいくのもいいし、趣味を通じた人間関係を広げるのもいいと思う。 趣味というのは不思議なもので、それをやっている他の人が大体同じ性格の人が集まっていて居心地のよいコミュニティになってることが結構ある。

もし、本業にできるのならそれもいいし、できなくても、趣味の腕前が上がってくるとどんどん人生が楽しくなるはずだ。

今、インターネットで承認欲求を振りかざす人はものすごい数存在する。コロナ禍でさらに倍増してしまった。顕著なのがYouTubeで、芸能人が参入しちゃったから、まっかっかのレッドオーシャンとなってしまった。血より赤い海になっていることだろう……。

なので、この時代承認欲求を満たそうとは、まず思わないほうがいい。まずは「あきらめる」テクニックが欲しいんじゃないかなと思う。それから、こうやって文章を書くのはすごくいいことだと思っていて、映画の中でも、カウンセラーが「日記を書きなさい」という。

日記は、おとなしい性格の人は絶対書いたほうがいいと思う。私はインターネットデビューするまでは全部手書きの日記だった。大半は、捨ててしまったけれど。

書くことによって、自分を客観的に見ることができるからだ。そうすると、ジョーカーにならないで済むかもしれない。アーサーも、もしかしたら、詩人やライターの才能があったかもしれないのだ。 


じゃあSNS(インターネット)ってどういう風に使うんだよ的な話

SNSの使い方!これは私はもう結論が出てる。「自分と相性のいい人を見つける」ために使う。ただそれだけ。味方や友人を増やす。

多くの人はなんか勘違いしていて、他人から「いいね」をもらうことでなんかちょっと有名になったような、気分になるらしいけど、有名になるのはね…。私はあんまり、いいことだと思わない。

前に、ツイッターでフォローしてた人がYouTubeで人気が出た時に、案の定セクハラコメント攻撃をかなり受けたらしい。だから、堅実にやったほうがいいんじゃないかなあと思いますね。

まあこの映画のアーサーも含めてですね。ほとんどの人間は自分のことで精いっぱいだと思いますよ。なかなか、他人に認めてもらうのは、大変な時代です。

他人に認められたいのであれば、感謝されることをするしかないんですよね。

 

関係ない余談:

AirPods Proをついに買ってしまいました。Bluetoothノイズキャンセリング付きのAppleのイヤホンなんですけど。

これを、買ったばっかりのところ映画で試してみようとこの映画をiPadで観てる最中差しっぱなしにしてみたのですが。

音響が、かなりよかったです!iPadはもともと、そのままでもセリフ類がとても聞き取りやすいのですが、「爆発音」とか「効果音」はやはりイヤホンがないとダメだったみたいですね。特に低音が広がりがあってとてもよかったので、ホラー映画とかいいかもしれないですね……………(汗)

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