2021年5月29日土曜日

シンエヴァ2回目の感想

今回はだいぶ時が経ったのでネタバレを無難なレベルでぶちこんでいきますのでご注意願います。

今回の視聴の目的は「前回情報量が多すぎて飲み込めなかったディテールなど」を鑑賞するためでした。(イケメンが目当てという説もあります)

 

 

 

全体的に言えると思ったこと

初回もそうでしたが、庵野監督が素直になったのかなあという感覚を受けました。

やはり、親子には和解してほしい。まるで伏線のように、ケンスケが「一度は父親と話しておきなよ、後悔するよ」と言います。が、シンジの父親はアレなので、アスカが皮肉って無理よ~って言うんですよね。

今までどのバージョンでも、ゲンドウときっちり和解している感がなかったので、今回が一番しっくりくるエンディングではないですかね。

そして父親がおかした罪を、息子のシンジが引き継いで世界を治していく。いい感じですよね。

それにしてもアディショナルインパクトとかで出てくる「誰の理想の世界だよこれ」

「変よ」

って言われてたあの光景は、やっぱり変だし、悪夢だし、きもちわるいし、特にいいことはなかったので、やっぱり人類は補完されなくてよかったんじゃないかと思いますww

(前回はもう綾波見たくないとも思いました)

しかし、映像としてディテール細かいのはすごいと思うんですけど、全部の機体の詳細まで覚えられないですね。パンフを見てもどこに出てきたのかよくわからんのもあります。

 

アスカが大人の女になってきているのが素敵

劇中とってもドライな冷たい発言のオンパレードのアスカ嬢ですが、辛酸なめてやさぐれて、あきらめることを覚えた疲れたOLのように見えました。がんばったって評価されないし愛されないのよ。でも仕事しか、私には出来ないし。と、暇な時はゲームを、しかも同じゲームを延々と繰り返す、疲れた操り人形のようになっています。上司からお声がかかるまでは一切仕事らしいこともせず、同居人の手伝いも基本してませんねw 

まるで女を捨てたかのように全裸で部屋の中を歩き回ったりしてますが、実際人間ではないようなので、仕方ないのかもしれませんが、

私の目には、アスカの女らしい部分が時々垣間見えていました。

特に、ケンスケとの絡みで彼女はちょっとした女性らしさを見せるのですが、頑固でプライドの高いプロフェッショナル体質のアスカのこと、ほんとに「ほんのちょっとだけ」で、よく観察しなければ見えてこない。

私が一番女だなあと思ったのはケンスケがビデオカメラを向けた時の反応ですね。「やめてよ」というんですが、その時の声が完全に大人の女性でした。対するケンスケの答えも大人の男性だなあって感じました。もう同級生ではないんですね…。

最後にボロボロのアスカが以前の恋に別れを告げ、ケンスケのもとへ帰るという時、アスカが一番美しく描かれています。シンジがケンスケによろしくと言っているので、シンジがきっとアスカを帰してくれるということなんだと思います。

 

ケンスケがイケメンな理由

ケンスケが異様にイケメンに描かれているのは、もしかしたらアスカのためなのかもしれません。アスカは大変プライドの高い優等生。偽のプライドではなく、彼女の根性と努力によって築き上げられてきた、真の能力に裏付けられている。それが彼女のアイデンティティでした。しかも容姿にも恵まれている。

そんなに自分を頑張って磨き上げてきた彼女を受け止めてあげられる男性は、相当優秀でなければなりません。そう考えると、もうケンスケしか残っていなかったのかも。

シンジとアスカのカップリングが好きな方も結構いると思うけど、私はずーっと「わからん。しっくりこない」と思っていました。シンジの性格だと本来、綾波が一番しっくりはきますよね。私も実体験として、ずっと叱り飛ばさないといけない相手は嫌ですね。時々ならいいんですけど。アスカが、時々シンジにちょっかいだして、好きという設定になってましたが、シンジ的にはずっと振り回されてて幸せには見えませんでした。

アスカの本命は昔は加持さんだったんでしょうなぁ。

すごく不思議なシンクロがあるんですけど、私もTVシリーズでは、加持さん大好きだったんですねw

でも大人になるにつれて、なんだか薄れていきました。というか、「あいつは危険な男だな」と認識するようになりました。経験がそういう風に判断させたのだと思います。それに、加持はなんだかんだ本命はミサトでしょうね。

そして、今回ケンスケに拾われて「なによ、ここ居心地いいじゃないの」と住み着くアスカの気持ちもすごくよくわかる。加持への恋も終わって、シンジはガキのまま。ひっぱたいても何をしても、頑固なシンジはアスカの言葉じゃまるで動かない。レイの言葉なら、動くのに。

でも久しぶりに出会ったケンスケはとてもしっかりしていて、ただのオタクかと思っていた能力は真価を発揮し、復興に大活躍している。頭のいいアスカは「悪くないわね」と思ったに違いない。自分は手伝わないのに、シンジには「手伝ってこい」と命令しますw 

ケンスケというのは不思議なキャラクターで、「脇キャラ」だから、割と傍観しているキャラクターという感じがしていました。でばっているのは友人のトウジで、ケンスケがフォローをいれるといった感じ。しかしその「傍観」や「フォロー」が実は彼の素晴らしい能力の一端を担っていました。つまり他のキャラクターに比べると実は結構大人で達観していたんだと思います。彼は、自分のオタク趣味を邪魔さえされなければ、誰とでもうまくやれたのではないでしょうか。

まあぶっちゃけドライというか、結構クールで情緒も外には出さないし、ニコニコしているけれど、それは「俺はあんまり関係ないし」と思ってるからではないかと。私は一回目はケンスケ結構サイコパスなところあるんでは?と思っていたのですが、そのくらいのメンタリティがないとニアサーとか、未曽有の危機というやつに立ち向かえなかったのでは?そういう意味では、めっちゃ強い男ですよね。

同じくドライで優秀なアスカがやさぐれて行き場を失っているのをみて、最低限の手伝いとして居場所の提供や、食料の確保などをした。全裸で歩き回るアスカを見ると、一瞬止まるけど何も言わずにバスタオルを投げてよこす。普通の男性だったら「おいおい裸かよ!」とか言いそうなシーンでもケンスケは冷静。彼の理数系の頭の中では「これは良い状態ではない」と判断したんだと思います。 

なんとなくだけど、アスカほどドライで優秀で言いたいことをズバッと言える女性とは、理数系の頭をしているケンスケは相性がよさそうな感じがしました。違いは感情の起伏だと思うけど、ケンスケが諭したら言うこと聞いちゃいそうな気がします。感情的に叱られるのはアスカには合わないでしょうからね。

 

トウジとヒカリのカップル

実はこのふたりが私は苦手なのですが、あくまでも、日本人の古きよき夫婦像を描いたのだと思います。

私は自分に配偶者ができても「夫」なんて呼びたくないなあと強く思いますが、それも含めて、ヒカリのセリフ群には多大な違和感と時代錯誤を感じました。これはもう、天然記念物ものの夫婦ですね。今時これをやれと言われたらフェミニストたちや女性の自立を叫ぶ団体とかからバッシングを受けるのでは…。わざとやっているような感じさえしました。

自分がアスカとケンスケのカップルに異様に心惹かれる(理想像)ために、トウジの夫婦は真逆に感じ、対比になっているのでは?と思いました。

特にアディショナルインパクトが始まって、封印柱のところにインパクトの影響がぶつかってきた時の反応の違いがすごい。

ヒカリは旦那に守られながら目を背けています。「女は守られるもの」を体現するかのように。

そして、ケンスケは封印柱の近くでビデオカメラを構えています。やはりケンスケのメンタリティはサイコ並みに強い!私はこの時、「戦場ジャーナリストかあんたは」って思いました。ケンスケは独身だし、自分のことなんかどうでもよくて、世界のことわりに多大な興味をもっている研究者体質。そこが彼の強みであり、トウジたちとの大きな違いですね。


例の新キャライケメン少年の件

2回目も、すっげイケメンだと思ったし、やっぱり、大人っぽいなあと思った。内山さんの声の所為かもしれないけど、少年って感じじゃないですよね。18歳くらいに見えますね。シンジと隣で写真撮っても、頭半分くらい背が高いし。

写真だけだと母親に似てるけど、動いたりしゃべったりしてるとすごく父親に似てるなwと思いました。あの馴れ馴れしさは父親に酷似……。

パンフレット買ったんですけど、山寺さんがスピンオフが欲しい!と言っていたけど、私は、この少年のスピンオフが見たい!wエヴァとかほぼ出てこないやつ…。

この少年の登場で、なぜか安心して最後が見守れるというのがあります。というのは、未来に希望を託さずにいなくなるには、あまりにもその親御さんたちが惜しいキャラだったからね。 

それにしても登場シーンが短すぎる!もうちょっと観たいのでやっぱりスピンオフが欲しいw

 

2021年5月28日金曜日

HK 変態仮面 を今更観ました

先日CoDで変態仮面っぽい悪役を串刺しにするイベントがあって、変態仮面のことを思い出した私。

GYAO!は、実はGYAOしかやってないアニメとかあるんですよね。なので、一週間に一度は見る羽目になるんですけど、そこで堂々と変態仮面が配信されていました。でもよく見たらアマプラにもありましたwwwしかも続編がある、らしい………

この映画の感想は、変態についての言及、および性的な意見が含まれますので、不快に感じる方は読まないでください。また、ネタバレを少々含みます。

それにしても福田監督、冒頭からマーベルのパクリをやっててさすがとしか言いようがない。ギリギリっすね…。

 

男性という生き物はつくづくかわいそうだなと感じる映画

私は、前に彼氏がいたときも、驚きの連続であった。男性というのは本当にかわいそうな生き物だなと会うたびに思ったくらいである。

股間についている「アレ」がまず一番かわいそうだなと思う。劇中で狂介は、机を高く設定している。勘のいいひとはすぐにわかることだが、実にかわいそうだ。正直、笑えない。女性は欲情したところで表向きに何か見えるものはほぼ無いけれど、男性は人によっては、机を高く設定したり、外からわからないような服を着なければならない。

ある日、転校してきたとってもかわいい女の子愛子ちゃんに、狂介は一目ぼれしてしまうが、その子が隣に座っているのだ。学校や会社ってのは本当にえげつない場所だ。特に日本はひどい。アメリカなら、しょっちゅう教室を移動するので大学と同じなのだが、日本ってのはなにかとずっと知らない異性の隣に座らされるので、すごくエロい国だと思う。私は小学生の時から、隣に座る男子にセクハラされてたし。着物は「エロい」と海外の人に言われているが、もともとすごくスケベな国民性なのだろう。たしかに、帯をほどいたら勝手に全部ほどけちゃうんだから、着物はすごくスケベだ。

狂介は、SMクラブで女王様をしているお母さんと、そのお母さんに縛られてドМに目覚めた父親の子供である。なので変態の遺伝子が濃厚だという設定だ。実のところどうなんだろうな?男性は基本的に変態だし。

しかし、基本的に「変態的な行動」をいきなり意中の女性に示しても、きもい!と嫌われるだけである。つまりは本能を理性でぐっと抑えてコントロールしていく必要がある。男性がもし真剣に誰かと付き合うのであれば、絶対に越えなければならないハードルなのである。

 

変態について考えさせられる映画

劇中には他の変態や変態じゃない人たちが出てくるけど、その中でも強力なキャラクターがいる。それが戸渡先生である。

彼は、変態仮面に言い放つ。「俺のほうが変態度は上だ。というかお前そんなに変態じゃないから」

理由としては、戸渡先生は、上記で書いたような純粋な、本能的変態度を抑制する行動に出ることでさらにエクスタシーを得られる変態であるから。つまりよくも悪くもストイックで大人なのだが……。

でもこれも言い換えれば、多くの大人の男性のあるべき姿なのではないだろうか?

大人になったらさすがにデスクを高くするわけにもいかない。我慢の連続である。 

しかし、戸渡先生は放置プレイが好きだとか、ぱんつは表を裏にして被るべきだとか、やっぱり言ってることが変態なのだ。

変態仮面とは男性が変態を隠さない姿にほかならず、変態を前面に押し出した結果とてつもないパワーを引き出し、それを戦闘能力に変えるヒーローなのである。だけど、せっかく抑制していたところを解き放っても、やはり特にかっこいい姿ではない。ましてや、実写だし。


変態と、性と愛の違い、そして、それらに共通するものについて考えさせられる映画 

狂介は、意中の女性が隣にいるがために、机を高くしてアレが立っているところを隠さねばならない。しかし、デートはしたい。何かと理由をつけてヒロインとデートしようとするが、もともと変態の気があるために、「僕はテーブルの下にいるから踏みつけてでもいいから一緒にいたい」みたいなことをサラッと言ってしまい、毎回ヒロインに

「それって、変態じゃない」

と怒られるのである。

狂介の愛は本物なのだが、例のハードルが上手く越えられない。高校生ならではの青春である。とはいうものの、男性にとって「性欲」と「愛」は混ざった状態で喚起されるものらしい。私の元カレも、最後までどっちなのかいまいちわからなかったし、きっと最後まで混同したままなのではないだろうか。それか、もはや性欲が無くなった時の態度でわかるのかもしれない。

狂介の愛は、愛子ちゃんを守りたいという気持ちによって証明されているが、どうしても、変態的なエクスタシーが無ければ、ヒーローに変身できず、パンティーがなければ、どうしても強くなれないのだ!!!

つまり、この作品の最終的に行きつくところは、ここなのだ。

狂介という男子にとっては、愛情と性欲が同時にバランスよく喚起されなければ、真の強さは得られない。もしかしたら、これが、男性の本質なのかもしれないと、私は映画を観ながら思ったのだった。

そして当然…、彼が一番に愛している女性、愛子ちゃんのパンティーが一番強力な変身アイテムとなる。

このドラマ。おわかりだろうか。最初は、誰のパンティーでもよかった。その行為は残念ながら性犯罪者と一緒だ。だって、毎回新体操部の更衣室に潜り込んで、誰のだかわからないパンティーを盗んでいたのである。客観的に見たら最悪の男性だ。それに普通に下着が無くなっていたら困る。

だけど、最後に認識するのは、やはり最愛の女性のパンティーが必要だということだった。それによって、彼は最強になった。絶妙に、「性と愛」が合体した瞬間である。愛子は「恥ずかしい」と言いながらパンティーを渡す。だけど、女性側としては、「ああ、この人どうやら本気らしい。この人なら、本気で私を愛し、守ってくれるのだろう」と判断し、それが嬉しいと思うのなら、潔くパンティーを渡すべきだと、私は思った。そこでやっと、ただの変態だった男は、両想いの恋人と、なれるのだ。

これは変態的な、愛の物語。しかし、ある意味、非常に真理をついていると、私は思いますよ。

まあぶっちゃけビジュアル的に相当気持ち悪いですけど、鈴木亮平くんの鍛え上げたボディーのおかげで、気持ち悪さは半減していました。マジで全方位綺麗な体をしているし、姿勢やポーズも綺麗です。

ですが、どうしても!戸渡先生が気持ち悪かった。亮平くんはちゃんと体毛を剃ったか脱毛しているのに、戸渡先生は毛がボーボーだし筋肉も最小限しかないし、マジで気持ち悪かった。彼はヴィランなので引き立て役なのかもしれませんが、気持ち悪いのに半裸というのは、身体張ってますよね…。


2021年5月22日土曜日

ホプキンスさんの「ファーザー」観てきました

83歳にして二度目のアカデミー賞を受賞したホプキンス先生主演の映画を早速観てきましたよ。

それにしても設定が残酷すぎて、個人的には心配しました。

だって主人公の名前がアンソニー。役者本人と同じ名前。

確か劇中の誕生日も、実際のホプキンスさんの誕生日なんですよね。

ひどいよ、80代の役者にこんな酷な役柄。しかも、認知症がどんどんひどくなるという内容ですよ。ホプキンスさんに「アンソニー」と話しかけながら展開する様は、あまりにも皮肉すぎました。

なんとなく「アメリカ人がつくる映画じゃない」感満載でしたけど、案の定イギリスとフランスの共同制作でしたね。非常にシビアでネガティブな内容ですが、淡々と描かれていくという感じが。

老いに対して、ノマドランドはどちらかというとポジティブで良い側面を描き、少々ファンタジーでしたが、ファーザーはリアルすぎると言わざるを得ない。

しかし、ホプキンスさんをずーっと見てきましたけど、かなりのタフガイという印象です。英国の役者ってほんとスキルが高くて、ギリギリ寿命まで芝居を続けるんだろうなっていう印象を受けます。プロ意識がすごいというか。 あと、この人は役柄では老いぼれを演じることもあるんですが、ものすごい利発で頭の回転も滑舌も速いので、騙されてはいけません…w


この映画のおもしろいところ(?)注目すべきところは、なんと認知症や老いが老人本人の視点で展開するところなんです。これはすごいと思いました。

なにしろ最初から記憶がごたごたしてるので、時系列がポンポン飛びます。これが認知症の人間の頭の中なのか。大混乱です。ホプキンスさんの芝居もその混乱っぷりをよく表わしているなと思いました。

アカデミー主演男優賞ということですが、あまりにもホプキンスさんの芝居のレベルが高くて、むしろそっちだけで全部理解できるという感じです。なんならセリフもいらないのではないかという感じ。実際に、娘に失望したり、見放されたと感じた時の絶望感など、セリフが無い時などもありました。ホプキンスさんの泣く寸前で止める芝居とか凄すぎました。

あと、これは自分の親がボケはじめた時にも覚悟して心にとめておきたいと思うのですが、人間は記憶があいまいでも感情は非常にはっきりとあらわれたりします。感覚が鈍っているわけじゃないんですね…。粗雑に扱われればちゃんと傷つくし、怒ります。彼らは決して、人間を捨てたわけではありません。

私は、祖母でそれを経験したので、いかに介護が「精神的に」大変なのかを、ほんのちょっとの間でしたが観察して、理解したと思います。

まあ、詳しく書くとまた私の家最悪じゃんとかなっちゃうので省略しますけど、認知症の人と暮らすのってとても、ストレスがたまるようですね。周りが悪魔みたいになっちゃって、映画と同じく、ただボケてきただけの老人本人は、自分が悪いだなんて思っていません。今まで通り、この家に住むんだ!と誰もが主張するし、施設には行きたがらないですね。

私が見てた感じだと、いくらなんでもおばあちゃんがかわいそうかな、っていう印象は受けました。そしてやはり同じく、彼女は施設に入れられました。

それからも時々会いにいったんだけど、私は、彼女が自分の旦那が何年も前に亡くなったのを忘れていても、いいんじゃないかなと思いました。嫌な思い出なんか、忘れればいいじゃないですか。最後くらいね。

この映画のいいところは、うちの親よりは、娘さんが優しいかなと思ったところですかね。もちろん彼女はすごく消耗していくのですが、関係は比較的良好で、同居する旦那が嫌がってもちゃんとかばっていますもんね。それから、アンソニーが娘が消耗しているのに気づいて優しい言葉をかけたり、肩を優しく触ったりするシーンは愛を感じました。

あと、ラストは投げやりというか、ひどいなあと思いましたけど、その反面、アンソニーの感情はクライマックスに達します。ホプキンスさんのお芝居もラストが一番凄かったです。

もう、自分が死ぬんだ、とわかっている時の芝居ですね。ドクタースリープを思い出しました。死ぬのが怖い。まだ心の準備ができていないんだ。果たして、自分が死ぬ時に本当にそう思うだろうか?あまり、生きることに対する幸福を感じた記憶がないので、自分にはまだよくわからないのです。でも、あのホプキンスさんを思い出すと、とても泣けるのですよね。

なんというかあまり「いい感じ」のエンディングではないけど、やり切った感があるので、そういう意味では良いエンディングなのかもしれません。感情面に軸を置いて、ひたすら「自分の老いについてどう感じるか」をメインに追っていくひたむきな姿勢を感じました。それに、実際の認知症の現場はもっと汚くてひどいと思うけれど、ホプキンスさんのお芝居はとても上品で趣があり、リアルなのに映像作品として完成していると思います。 

まあでも、人におすすめするかって言ったら絶対勧めませんねぇ、この映画を観る人は、老いの残酷さに果敢にも立ち向かえるタイプ(備えておきたい!という立派な人)の人か、アンソニー・ホプキンスの大ファンかのどちらかじゃないですかね。これは本格的な鬱映画だと思いますよ。 アカデミー賞主演男優の芝居を観察したいという人もいるかもしれませんが、それはもうクリエイティブ職の人たちですよね…(私もそうかw)。


私はよく「死」について考えるんだけれども、おそらくはそれが自分のライフワークなんじゃないかなと思っていて、死から生を逆算することによって、自分の生き方が決まるんじゃないかなと思っています。

最近「最高の体調」という本を読み終えたばかりなので、これから、本に書いてある実際のワークショップをやって、自分が一番大切にするべき価値観がなんなのか、深堀りしていこうかなと思っているところです。でないと、いつまで生きることにモチベーションが保てるか、自分でもわからないから。

自分の中で最強に足をひっぱり続けているのは「インナーチャイルド」、要は私はアダルトチルドレンに分類されると思うのですが、残念ながら私のインナーチャイルドは相当な頑固者であり、ワークショップがいまいち効きませんでした。なので、別ルートで「最高の体調」に書かれているワークショップをやってみたいと思います。


ジョーカー(2019)

「ジョーカー」というキャラクターが生まれるまでの物語。ここでは、彼の本名「アーサー」で感想を書きたいと思います。

この映画は、アカデミー賞もノミネートやら主演男優賞やらとっているけど、私的にはそんなに面白いとは思わなかった。というか、割とありきたりなテーマかなぁと。脚本が丁寧だなあという感覚を受けました。

あと会社の人が「鬱映画」っていうからもっとひどいかと思ってたけど、思ったより全然ひどくないので「なんだ手ごたえがないなあ」と思った私はちょっとキテるんですかね………。

今週は天気と体調が最悪でぬかるみの中でかろうじて生きてるみたいな気分だったので、鬱映画とか言われても全然心が揺さぶられなかった。わたくしやばいかもしれませんね。

アーサーの設定:
年齢はおそらく30代くらい?
道化師の仕事をしている
精神病のため薬とカウンセリングが必要
母親におそらく精神的に依存していて、一緒に暮らしている


善と悪、そして承認欲求の概念

誰にも相手にされない(と少々オーバーな被害妄想を持つ)アーサーは、電車で3人の男にからまれる。たまたま、友人から渡されていた銃で、アーサーは咄嗟に2人を殺すが、3人目を殺す時のアーサーは完全に正気であった。

そう、彼は実はいうほど狂ってはいない。

彼は、自分のプライドだったり、アイデンティティを汚す人間に対しては実に正確な反応を示す。

そして、彼はその「殺し」から変わってしまう。まるで、すべてが肯定されたようだった。ニュースでは、彼の殺しが大々的に取り上げられるし、人は彼の真似をして、ピエロの格好を始める。富裕層に対するテロの第一人者、革命のさきがけとして、祭り上げられたのだ。

それまでは、「自分が存在しているのかわからなかった」アーサー。実際に多くの犯罪者が、自分が殺人などの罪をおかしたあと、ニュースを一生懸命観たり、新聞や週刊誌を片っ端から買ってきたりする。

もしかしたら、彼らはまっとうな仕事で成果をあげられないから、承認欲求に飢えて目立ちたかった、というのも理由なのかもしれない。 

殺人は決して、善ではない。しかし、彼が殺した相手は明らかに悪ではあった。こういう時、どっちが善で悪なのか?を問うのは愚問だといつも思っている。善悪というのは、所詮主観にしかよらないところがあるというのを、決して忘れてはいけないと思う。(法律違反は別です)

 

コメディアンという職業の概念

アーサーは「コメディアン」になりたいという。

日本でいうと「お笑い芸人」だけど、アメリカのコメディアンはタキシードを着てディナーショーに出てくるような、フォーマルなものをさすことが多い。全裸でお盆をもって出てくる芸人はまずいない。

そして、アーサーはある日有名な芸人のマレーに取り上げられる。ここで、アーサーをdisるような発言で視聴者の笑いをとっているのだが……

私は、もし本気でお笑い芸人になりたいと思うのであれば、自分を貶めるような笑いでも、笑いがとれればなんぼだと思っている。日本では特にそういう芸人が多い。まあ、正直日本はやりすぎだなあと思うことがすごく多いけれども。

つまりアーサーは、自己評価が高すぎるきらいがあるのだ。

もしアーサーが、もっと謙虚に、「自分の気持ち悪いキャラをウリにしていこう」と思えたなら、事態はもうちょっとよくなっていたかもしれないと私は思う。


絶望を癒すものは何か

アーサーは、被害妄想とも言えるくらい、他人からの承認に飢えている。愛にも飢えている。

だが、この手の男性は、独身女性の私から言うとかなり危険であり、うっかり手を出してはいけないタイプの人間だ。

そして、この手の男性は実は多く世にあふれている。妄想も確かに激しい。多くの性犯罪者は言う、「彼女が喜んでくれると思っていた」と。

ではそんな、孤独で苦しむ人たちにおすすめできる「絶望を癒すもの」とはなんなのか。

私に言わせれば芸術に他ならない。

または、自然。自然も芸術だ。

芸術の種類はなんでもいい、こうやって、孤独に苦しむ人を映画で観て色々共感したり考えるのもいい。

はたまた、何も考えないで、ずうっと、滝を見たりするのもいい。滝はいい。ただ上から水が落ちてくるだけなんだけど、エンドレスですごく驚く。どっからそんなに水が来るのか。しかも、電動ではない。そう、滝なんて、売り上げも、コンバージョンも、マーケティングも、プロモーションも、な~~~んにも関係ない。そういうのを見るといい。

海もいい。あれは永遠の謎だ。よせてかえす波は、月の引力によるものだというが、何を言っているのかいまいちわからない(笑)。そういうミステリーを考えていると、絶望とはなんだったか忘れてしまう。

ついでに言うと星空はもっとすごい。星の光が自分の今の網膜に届くまでの時間を調べて驚愕とかしてるうちに、絶望を忘れるだろう。その時間自体が、絶望とも言えるからだ。


承認欲求や、自分のアイデンティティのために成すべきこと

まずは他人にすがることをあきらめることだ。これは私も大変な年月がかかった気がする。特に、親からの愛をあきらめることが、結構大変なんだけど、実は結構ここが重要である。

主人公のアーサーはお母さんと暮らしていて、それ自体は実に美しい話だと思うんだけど、やはり、自立できてないのが精神病に拍車をかけていると感じられる。

そして他人からの承認をあきらめたあと、芸術でのめりこめるものを探そう。

手広くやるよりは、できれば1個~3個くらいに絞って、尖らせたほうが良いと思う。

趣味として始めて、セミプロレベルまでいくのもいいし、趣味を通じた人間関係を広げるのもいいと思う。 趣味というのは不思議なもので、それをやっている他の人が大体同じ性格の人が集まっていて居心地のよいコミュニティになってることが結構ある。

もし、本業にできるのならそれもいいし、できなくても、趣味の腕前が上がってくるとどんどん人生が楽しくなるはずだ。

今、インターネットで承認欲求を振りかざす人はものすごい数存在する。コロナ禍でさらに倍増してしまった。顕著なのがYouTubeで、芸能人が参入しちゃったから、まっかっかのレッドオーシャンとなってしまった。血より赤い海になっていることだろう……。

なので、この時代承認欲求を満たそうとは、まず思わないほうがいい。まずは「あきらめる」テクニックが欲しいんじゃないかなと思う。それから、こうやって文章を書くのはすごくいいことだと思っていて、映画の中でも、カウンセラーが「日記を書きなさい」という。

日記は、おとなしい性格の人は絶対書いたほうがいいと思う。私はインターネットデビューするまでは全部手書きの日記だった。大半は、捨ててしまったけれど。

書くことによって、自分を客観的に見ることができるからだ。そうすると、ジョーカーにならないで済むかもしれない。アーサーも、もしかしたら、詩人やライターの才能があったかもしれないのだ。 


じゃあSNS(インターネット)ってどういう風に使うんだよ的な話

SNSの使い方!これは私はもう結論が出てる。「自分と相性のいい人を見つける」ために使う。ただそれだけ。味方や友人を増やす。

多くの人はなんか勘違いしていて、他人から「いいね」をもらうことでなんかちょっと有名になったような、気分になるらしいけど、有名になるのはね…。私はあんまり、いいことだと思わない。

前に、ツイッターでフォローしてた人がYouTubeで人気が出た時に、案の定セクハラコメント攻撃をかなり受けたらしい。だから、堅実にやったほうがいいんじゃないかなあと思いますね。

まあこの映画のアーサーも含めてですね。ほとんどの人間は自分のことで精いっぱいだと思いますよ。なかなか、他人に認めてもらうのは、大変な時代です。

他人に認められたいのであれば、感謝されることをするしかないんですよね。

 

関係ない余談:

AirPods Proをついに買ってしまいました。Bluetoothノイズキャンセリング付きのAppleのイヤホンなんですけど。

これを、買ったばっかりのところ映画で試してみようとこの映画をiPadで観てる最中差しっぱなしにしてみたのですが。

音響が、かなりよかったです!iPadはもともと、そのままでもセリフ類がとても聞き取りやすいのですが、「爆発音」とか「効果音」はやはりイヤホンがないとダメだったみたいですね。特に低音が広がりがあってとてもよかったので、ホラー映画とかいいかもしれないですね……………(汗)

2021年5月17日月曜日

ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY

導入部分でハーレイの悲しい人生が語られるところは多いに同情しました。

父親に売られたとか、教会で育てられたとか。数々の男に振られたけど一発奮起して医学部を卒業し精神科医になり、そして彼女はまた過ちをおかしてしまう。

ジョーカーと恋に落ちることだ。

しかも前回のジャレッド・レトのかっこいいジョーカーは一度も出てこない。いきなり「ジョーカーに振られたわ」で始まる。

そう、いきなり別れたところから始まるのであった…。

まあいろんな、キャラクターとか、話は絡むものの、基本的にはハーレイがジョーカーとの失恋の痛手から立ち直り、「自立するわ!!」という話である。

失恋したから髪を切ってみたわ。

というものの、大して切っていない。

しかも長さが変わっただけで相変わらず。ツインテールである。

服装もメイクも前と同じでやはりおバカで狂気に満ちているし、笑顔も相変わらず気が狂っている。精神科医の知識がありながら、医者をやらないw(まあできないと思いますが)

でもハーレイは、そういうキャラでいてほしい、視聴者は、この狂気にかられた小悪魔(悪魔かもしれない)女子がかわいいから、観たいと思うのだ。

世の中には、「女性の自立」をテーマに掲げたややマジになりすぎな映画もいくつかあるから、この程度ファンキーなほうがいいのかもしれない。

でもまあ、どうかな~。面白いかって言われると、微妙だったかな。

前回の、スーサイドスクワッドは謎の面白さがあった。映画としては、ちょっと破綻してる感じがしたんだけど、というのは、スクワッド のメンバーの説明が、人数が多すぎて雑になっており、どのキャラも魅力的ねとはならなかった。一応覚えてはいるんだけど、心惹かれるのはハーレイクインだけだった。

それに前回の映画の面白かったところは、ハーレイとジョーカーの恋愛(?)だった。そう、ジョーカーが恋愛なんか、できるはずない。そう思うから、逆に面白くて、本当にジョーカーは彼女を愛しているのか、愛せるのかが気になって、色々ディテールを観察するために2回観た。

ジョーカーはもちろん、彼女とつるんで悪事を働くけど、いざ捕まったら助けに来てくれるのだろうか?視聴者側としては、いつあいつに裏切られても、まあ文句は言えないだろと半信半疑である。しかし、ジョーカーはヘリを用意して、まるで結婚式のような服装で彼女を迎えにくるのだ。

その時のハーレイの夢見がちな笑顔は大変印象に残った。

ハーレイは狂気に満ち溢れているのに、時々素に戻ったような言葉を言う。

あんた、本気で誰かを愛したことなんかあるの。

男に尊敬して欲しければ、自分が本気だってことを、見せないとダメなのよ。

ハーレイは、ああ見えて、実は常に真剣なのだ。


前回もそうだったけど、ハーレイを主役にビシッと据えると、やはり物語がすっとまとまってくる感じがする。でも今回も、他のキャラクターがどうにも微妙だった。わざとなのか、ハーレイと真逆の黒い服装や黒い髪で目立たないキャラクターばかり選んでくる。

どうなのかな、これは。

で、目玉といえば、悪役のボスが、なんとユアン・マクレガーであった。

いいのかユアン。こんな映画に出ちゃってwwなんか最後らへんとかちょっと気持ち悪くてユアンっぽかったけど(それはほめているのか?)※ユアンはいまいちかっこよくないのが魅力である

昔、「ムーラン・ルージュ」というユアンとニコールキッドマンのミュージカル映画があったんだけど、それの「Diamond's are a girl's best friend」の歌を今回マーゴットロビーが歌っていて(元ネタはマリリンモンローらしいけど)、なんか懐かしかったですねw多分ユアンも楽しかったのではないでしょうかw

ムーランルージュは独特な映画ですが、ユアンはドクタースリープでちょっとだけ歌ってくれるので観た人はわかると思うけど、声はそんなに大きくもないし、ビブラートもかかってない、ストレートな発声ですが、やはりどこか少年のような面影があって、綺麗な歌声なので、ご興味があれば…。あのユアンは「すごくユアンっぽい」感じがします。


2021年5月16日日曜日

CoD実況まさかの続き

福岡は昨日あたりから完全に梅雨ハザードとなり、湿度75%&気温26℃、ものすごい暑いしイライラするしコロナ禍でカラオケにも行けないし、夕飯は19時までに店に滑り込まないと自炊かコンビニという世界線で、動画編集でもしてないとイライラが収まりませんでした。(なぜ動画つくったら落ち着くんですか??)

レンタルした映画がおもしろくなかったとか、アウトレットにほしいものが売ってなかったとか、そんなところで…。

今回は大いにふざけまくりました。

冒頭からCIAジョーク。(特に面白くない)

まゆげに拷問されてるのにまゆげとケツあごを笑い飛ばし、スプーンで殺人を行い、スキンヘッドの女子軍団で強引に脱獄し、最後はキメッキメのプライスに全部持ってかれるというひどい動画です。

ところで冒頭のハディルのアニキが少しおかしいんじゃないか、危険人物なのでは?と思った人は、

割と合っています

でも、スプーンやドライバーやはさみでヒトを殺すファラも大概ですよねーー。

毎度のことですがスナイパーライフルに異様な執着を示したり、脱獄や脱出になるとテンションあがるのはご愛敬。


モダンウォーフェアは、今回、本当にゲームの音声がでかすぎて、私はボソボソしゃべってるだけなので、あんまりがんばって聴かなくていいと思います(笑)

字幕は多めに入れましたよ★

2021年5月2日日曜日

「ノマドランド」観てきました

私が「ノマド」という不思議な単語を知ったのは、確か4、5年前くらいだったと思います。そのころ私はフリーランスのWEBデザイナーをしていました。

まだコロナウイルスも全く関係ない自由だったあの頃、IT系フリーランスノマドはWi-Fiさえあればどこでも働けるので、それこそ、東南アジアなどの物価の安い国を転々として、Wi-Fiのあるカフェなどを利用して仕事をし、 ツイッターやブログなどでそれを見せびらかしていました(笑)。しかも、ノマド向けの、全世界コワーキングスペースを検索できるWEBサイトなどもありました。

私は物価の高い(というか家賃?)東京を飛び出したいと思っていたので、それにずいぶんあこがれたものです。

この「ノマドランド」という映画に出てくるノマドたちは、60歳前後の高齢者が主です。さまざまな理由から、大した年金も出ないので、日雇いやバイトみたいな仕事で食いつなぎ、住む場所は「トレイラー」大きなキャンピングカーですね。

実際コロナ禍でキャンピングカーが流行っていて、それで各地を転々として暮らしている若者のYouTubeとかも観たことありますが、私物がかなり限られるので、大変なイメージがあります。

でも、私に言わせれば映画全体に悲壮感があるかっていうと、そういう感じではありませんでした。

「自由」という喜びをわかちあって、今までの悲しみをわかちあって、独特のコミュニティが出来ていて、私はむしろ「最後この生き方がいいなあ……」と思いながら観ていました。

最近「FIRE」という単語を知りました。「Financial Independence, Retire Early」の略で、とても簡単に言うと「早期退職」。しかし超大手企業じゃないと早期退職金は出ませんので、コツコツとお金を貯めることにはなるのですが、FIREの場合は早い時期から投資信託で運用を始め、年収の半分くらいを全部投資するという豪快な方針で資金を増やし、なるべく早く雇われるというしばりを卒業して自由になろう!というものです。

ノマドしている登場人物はそれぞれ、自分の過去を語ります。定年まで働いてもボロボロになったころに野に捨てられる。残された時間を無駄にしたくない。そのために、RV車で自由に生きていくことを選んだ。そう、彼らは決して、「仕方なくホームレス」ではないんですよね。そういう「生き方を選んだ」のです。 

この辺は非常にFIREとも共通するところを感じます。同じ会社に8時間以上毎日拘束される毎日は、確かにつらい。だいぶ自由にはなってきましたが、若い時ほど時間は長く感じるし、若い頃はつい無理をしてがんばってしまいますが、がんばっても正直あまり手ごたえは得られない。「会社に搾取されてるなあ」と感じ始める頃にはだいぶガタがきていたりします。私に言わせれば、会社の有休は身体にガタがこないためにあるものなので、最初は勇気がいるかもしれませんが、「有休は使いつくしましょう」w「体調が悪いから休む」と言えばいいだけです。一回休むと、有休を使うこともある人というキャラになれるので…。

「生き方が選べない」と思うと会社に搾取され、給料も上がりにくくなります。ほうっておいても会社に依存し続けてくれるからですね。 なので、「この人いつでも辞めるかもしれない」感は出しておいたほうがいいかもしれないです。

会社の人間関係は煩わしいですが、私みたいな破天荒な人間だと強引に女性同僚とのランチの誘いを断ち切ったり、飲み会に×をつけたり、上司に愛想悪く振舞ったりしますが、まあ、その程度だとクビにはならないです。居心地は悪くなるかもですがw

話を戻すと、主人公のファーンは一種、自暴自棄にも見えないこともないくらい自由で勇敢でフレンドリーで、職場を転々としてもどこでもさっとなじんでしまいます。これは実際にこんなにうまくいくものなのかわかりませんが、結構貧乏な生活だと思いますがかなり楽しそうに生きているので、あまり悲壮感を感じませんでした。

この映画は、「貧乏大変だよ、貧困層はこんなにきつい」という映画ではないんですね。

彼女は結構周りから好かれるので、定着することを勧められたり、もっと南にいけば…などと色々持ち掛けられますが、彼女はこの「ノマド」の生き方を頑なに守り続けます。その辺の理由は、映画でご確認いただければと思います。

ただ、その辺の自由な生き方の美しさは大きく描いているものの、現実を考えたら、彼女はおそらく「定着」を勧められた場所にい続けるべきだったかもしれないし、南に移動するのが普通に考えたら合理的でしょう。実際彼女のいる場所は寒すぎて、貧乏人の発想で言うと確実にあたたかい場所のほうが、光熱費は浮きますね。(だからITノマドは東南アジアが好きなんですねw)

その辺のフィクションだからこその非合理性は映画だからこそ楽しめるのだと思います。貧困層のドキュメンタリーだと思うとちょっと的外れな印象を受けるかもしれません。

彼らは、精神状態は非常に豊かだと思うからです。

現実問題を考えると、病気した時はほんとどうするんだ…って思ったし、そういう感じのシーンもいくつもありましたので。

しかし、個人的には「新しいものを買わずに修理したり、コミュニティで要らないものを交換しあう」生活はすごくエコだし悪くないなと思いました。完全に資本主義の反対を行っているけれど。あと、ファーンが時々アクリルたわしを編んでいるんですが(笑)、私も時々編むのでなんとも言えない共通点を何度か感じました。アメリカではアクリルたわしとは言わないのかもしれないけど、ダスターみたいなアイテムですね。

これを手作りするのはまったく合理性はないのですが、「なにかを作っている実感」を得られるのと、ストレス解消になるのと、あと手作りって「なんか心が豊かになる感じ」がするから。

生き方とか、心の豊かさについて考えるには、非常によい映画だと思います。


あと、
アメリカで困ったときは
Amazonで働けばいいのかな
ってちょっと思いましたw
(ハードだよって言ってる人もいましたけどね、実際どうなんだろう…)