2024年4月21日日曜日

エイリアン4は素晴らしきレズビアン映画だと言いたい

先日エイリアンの4部作が全てアマプラで公開された。また、相変わらずエイリアンコヴェナント、プロメテウスも公開されているようだ。見ていないのは「エイリアンVSプレデター」のみ。プレデターがちょっと苦手なので、おそらく見ないと思う(第9地区みたいにギャグにしてくれればいいんだが)。

私は別にレズビアン映画が好きなわけではないのだ。だがエイリアン4は色々な観点から同性愛的なものを汲み取れる。実際何故か最後に男性同士のキスシーンがある(が、おまけか?)。

この回に出てくるリプリーはクローンである。複数のクローンの中の成功実験体であり、意志と記憶、そして素晴らしい能力がある。

リプリーは自分の階級も覚えているが実際はもはや普通の人間ではない。

もう一人のヒロインが私が絶賛してやまない「コール」、ウィノナ・ライダーの全盛期ではないかと思う美しいボーイッシュなアンドロイドだ。

彼女は見た目はボーイッシュな女性だが、彼女も人間ではない。が、意思がある。

この二人のキャラクターは惹かれ合う。そしてなぜ、お互い生きるのかを確認し合う。コールはリプリーを最初は敵視しているが、最終的には味方になる。彼女の実験体としての悲しみに同情したのだ。この時点でアンドロイドよりはおよそ人間らしい。

リプリーは最初に正義感溢れるコールの発言を聞いて心惹かれる。ミステリアスでクールでありながら、彼女を助けると提案するが、最初はコールは信じない。だがリプリーは気づいていた。「人間にしては優しすぎる」と。

エイリアン4の面白さはリプリーの存り方にある。彼女はクローンとはいえ、エイリアンを子宮から産み出した。エイリアンの母になったのである。ここで「孫」にあたるニューボーンエイリアンが、リプリーを母と慕う。不思議なもので、リプリーもニューボーンが孫であることを肌で理解している。そして、母性を示すのだ。

この二人は自分の存在を持て余している。コールは破棄されるはずだったアンドロイド。リプリーは自分が兵器として利用されるクローン。が、コールよりは大人で、その状況をなんとなく受け入れている。

この二人の行く宛のない旅、そして、コールがリプリーを殺すはずだった運命が良い意味で捻じ曲がっていくこと、この切なさが絶妙である。コールはリプリーのトラウマを心配し同情、リプリーはコールの正直な正義感に感心し、放っておけず何かと世話を焼く。

レズビアンは必ずしも肉体関係が必要だと私は思っていない。この映画の監督は、その微妙な人間の心の機微をよく理解されていて、無理のない、奇妙な人間関係の展開を興味深く描写している。

それに何よりも私はこの映画でウィノナ・ライダーの真骨頂を知った。彼女は発声も物腰も少年っぽく、華奢な体つきも女というより男の子っぽさがある。そこにこの正直で純粋な性格をつけたのだから最高に可愛らしい。そして対するリプリーはミステリアスで大人の完璧な女性。人間の形をとりながら自分の子孫であるエイリアンの母を呼ぶ姿には母性を溢れさせてしまう。 男女でも、親子でも、姉妹でもない、不思議な愛がそこには存在していると思う。

2024年4月15日月曜日

Amazon Prime Videoの「フォールアウト」

このドラマは、ゲーム「フォールアウト」の実写化である。

感想の前に、こちらの記事を見てほしい。記憶に新しい人もいるかもしれない。

https://www.gamespark.jp/article/2015/12/22/62669.html

なんと!「Fallout4」にハマりすぎて、仕事と妻を失ったロシア人の男が、ゲーム会社を訴えると言い出したというのである。

そんなに面白いならやってみたいという心境と、

そんなにハマって仕事を失ったらどうしようという心境の間で当時の私は揺れた。

そしてゲームによって仕事を失うのは危険と判断して見送ったのである(笑)。

しかしこのドラマを見て、ついに「買おう」と思ってしまった。つか安いし。

そのくらい、ドラマが面白かった!!日本のアマプラランキングだけ入っていないなんて日本はどうかしている。「日本」という大きなVaultに騙されているのではないか???!!!


何が面白かったかというと

ストーリーが面白い。徐々に展開する世界の謎。そしてひきを作るのが非常に上手い。

どっかで見た展開だなと思ったらジョナサン・ノーランが関わっている。ウエストワールドとどこか似ているのだ。グールとエド・ハリスがあまりにも似ている。情け容赦のない賞金稼ぎのグールが、ドカドカ人を殺し、グール故に不死身でありながら時々人を食べなければいけなかったり、薬を飲まないといけなかったりする。

舞台は核戦争で荒廃したアメリカ。そこには無数のシェルター「Vault」が地下に設置されており、お金持ちは地下で暮らし、シェルターに入れなかった人間は「レイダー」荒くれ者として地上でサバイバル生活をしていた。

主人公は「Vault33」の人間。ある日襲撃され、父を攫われる。ここまでの展開でもなんともいえない不気味さが最初からあった。その不気味さは、「ミッドサマー」などアリ・アスター監督の作品によくある、

ここは平和で安全。みんなニコニコしている。私は、うまくいっている。

と思っていたのに、その世界がとんでもない嘘を隠していたことがわかる前兆だ。

人間は見たくないものから目を逸らす傾向にあるのがよくわかるイントロダクションだが、それはあまりにも露骨でもはやコメディであった。

そう、この作品、父を探して地上に出てしまう「ルーシー」がありとあらゆる危険に巻き込まれる割には、どこかコミカルな展開も多い。

良質なSF作品であり、安部公房や星新一が描く「シュールな統制された世界」と非常に共通点が多い。

設定は全ては明かされていない。考えてもくれたまえ。ルーシーのいたVaultは33番なのだ。31の真実は最終話で明かされるが、1〜30までは描かれていない。唯一、ルーシーがうっかり迷い込んでしまった「4」がこれまたシュールな世界である。33とも違う。コミカルだなと思ったのが、「12階ヘは絶対行くな」といわれるのでついつい行ってしまうところなのだ。

これは、最近見る作品に多い。例えば「アランウェイク2」ではサム・レイクが捕まっていて笑、「そこにあるナイフを取ろうと思うなよ!そこにあるナイフで私を刺そうとなんて、思うな!」と言うのである・・・

「押すなよ!絶対に押すなよ!」手法はこの後も出てくる。

ルーシーは、「Vault4」にて安全な世界と思っていたVaultに大いに疑惑を感じ始める。脱出方法もどっか変であった。そして最終話で見事にその理由がわかるのだが。

この世界は放射能でいろんなことがおかしくなっていて、なぜか指を切り落としたのに別の指をくっつけることができたり、そもそも「グール」が生まれる過程も簡単すぎてよくわからない。それに「放射能による症状」を緩和する薬も存在する。また、実験によって生まれたという怪物もなんでそうなったのかよくわからなかった。この怪物が見た目がウルトラマンシリーズよりもコミカルで単純なデザインでそれもどっか笑えるものがあった。

フォールアウトという作品の魅力はその全体的なデザインのレトロかわいい方向性(Vault Boyのデザインは前から気になっていた)や、一見ドシリアスな設定でありながらシリアスになりすぎないシュールな笑いを突っ込んでくるところである。

手品で体が真っ二つになったかと思えば、それがくっつくような、あの謎感がいい。

無論「核を馬鹿にすんなし」という意見もあると思うしその辺は実にアメリカンである。だがおそらくこの作品のメインテーマは反戦や反核ではない。これもアメリカらしいのだが

少し厨二病寄りな、都市伝説のようなストーリーを通して、人に「権力者を疑え」といっているのである。

オッペンハイマーを見た時、核の話よりも人間関係や、政治の話が割と絡むなと思っていたのだが、これはアメリカ人が

核そのものよりも、それを使う人間に気をつけろ

と考えているからではないか?と感じた。

日本は被害を受けたと被害者づらしていればこの手の論争から逃げられるのでちょっと未熟な感じがする。問題は常に、

「核を使う人間」側にあるのだ。


私は今からシーズン2がとっても楽しみだ。

2024年4月7日日曜日

「お嬢さん」をなんとなく見始めて仰天した件

評価が高いと聞いていた「お嬢さん」って映画を見始めて仰天してしまった。 

大どんでん返しの脚本でまず驚かされるが、題材もなかなかのグロさである。

エログロサスペンスで、随所で日本の「春画」が出てくるのだが日本の春画は結構露骨でエログロい。

それを地でいこうとでもいうのか、タコを飼っているらしい(本当に触手プレイをしているかは分からないw)。表向きは「朗読会」と言っているが読まされているのは露骨な性描写のある官能小説。

おそらく作者は、露骨に性消費される女性を解放したいと思ったのだろう。

そして本作品では徹底的に男性が悪いやつとして描かれているが、どいつもこいつも女を甘く見過ぎである。レイプしようとして毒を盛られたり。「女は力ずくの関係で極上の快楽を感じる」と信じていたり。いやそもそも、自分が騙す側にまわっているつもりで本気で恋をし始めるあたりが男の悪い癖だ。

そして男はしつこい。

「お嬢さん」の秀子は、何度も朗読会をさせられて知っていた。男の浅はかさを。

彼女は男を信用できないし、好きになれないのだろう。

女中としてやってきた「スッキ」に興味をもち、たくみに誘惑し、惚れさせてしまう。それは最初の策略とは異なっていた。だが結局秀子が本気で好きなのはスッキだけなのである。

最初はスッキが主人公のように描かれていたが、それは視聴者側の立場からしたらその方が入りやすいという点は否めない。

だが後半、主人公は秀子に移る。

秀子は運命に翻弄され自宅に監禁されていた「お嬢様」であったが、びっくりするほど賢い女であった。それに彼女は恐るべき方法で最後まで男に身体を許さなかった。男の目の前で裸になったとしても、身体を許さないというのはもはやテクニックのようなものである。

レッド・スパローも似たような話だったかもしれない。

私はこのような強い女たちが、それでもなお美しさとエレガンスを失うことなく、周りのしょうもない露骨なエロばっかり考えている男たちをまるで虫ケラ以下の存在に見せる、そんな物語が大好きだし、私もそうありたいと思う。


ただなんというか全体を通して、この監督ド変態なんだろうなあ、とは思った。

あと韓国人の日本語がわかりにくい。

2024年4月2日火曜日

マルセル 靴を履いた小さな貝

Amazon Prime Videoでは先月から割と面白い映画が配信になっていて、この映画もそのリストに入っていた。

予告編を見てぜひ劇場で観たいと思っていたものの、神奈川県だとやはり上映劇場が少なく、ギブアップした映画である。

自宅の粗末な環境で再生したものの、マルセルの可愛らしさは冒頭から私を虜にした。

これぞストップモーションアニメ映画のベストに入る作品だろう。アカデミー賞ノミネート当然である。

手間暇もそうなんだけど、

  • キャラクターのオリジナリティ:貝に目と足をつけるというデザイン、そしてなんと口もついている
  • 情緒的なストーリー
  • マルセルの性格づけと、声優の秀逸な演技
  • SNSの良い面悪い面の正確な描写 
全方位から見て隙のない作品でありながら、ほんわかとした雰囲気にビターな「少年の成長」を織り交ぜ、それでもなお悲劇の作品ではないところなど、非常に完成度が高い。

老いる者からの励ましの言葉は、誰にでも突き刺さる、普遍的なアドバイスである。

アニメ作品として私が一番に評価したいのはマルセルの声優の技力である。演技もさることながら、声の出し方がすごい。一体どうやっているのか気になった。
キャストは絶対子役の少年に違いないと思って調べて仰天した。なんとコメディアンをしている成人の女性(アラフォー)だというのだ。どうしたらあんなハスキーな男の子ボイスが出せるのだろう。

普段の声をYouTubeで聴いてみたところ、元から声のトーンが高めでハスキーではあった。良いところは、彼女の英語の発音である。教材みたいな喋り方だったw絶対に聞き取れる滑舌の良さ!

ちなみにジミー・キンメルライブで声を披露してくれるのだが、片耳に指を入れないと自分のマルセル声が聴こえないんだそうだ。やっぱ特殊技能だな。

海外の声優は技力がすごいという印象がある。今までで一番驚いたのがロードオブザリングの「ゴラム」であった。私はてっきりアンディ・サーキスの声を加工していると思ったのだが、なんとあれを地声で出しているらしい、、もちろん、演技はしているのだが……

アンディ曰く「家の猫が毛玉を吐き出そうとしている時の声を真似した」そうである。

そういえば、ロバート・パティンソンは「君たちはどう生きるか」で完全に声を変えてアオサギを演じているが、彼はもともと地声の存在感が希薄なので(笑)、たまに映画を見てると「ああ今回は声を変えるのか」なんて思っていた。特に「悪魔はいつもそこに」ではわざとらしいくらい声を変えていた。パティンソン君は声を変えることで役になりきれると思っているらしい。

声や滑舌はもっと重要視されていいと思っている。なぜなら、邦画で字幕がないとき、滑舌の悪い役者がいると何を言ってるか理解できないことがあるからだ。字幕というのは案外便利なツールなのだが、本来は字幕がなくても理解できないといけないし、字幕は映像制作側から見たら無いのが前提である(ただしエルフ語などは除く)。ちなみに日本の実写俳優だとやっぱり堺雅人さんの滑舌は綺麗。すごい特訓しているそうだ。

ところでオッペンハイマーを観た後「私は貝になりたい」をなんとなく観てみたのだけど(悪趣味)、あれに出演している米兵は異様に発音が綺麗で、なんなら日本人より聞き取りやすいのでは?と思った。無論相手が日本人だからわざとやってるのかもしれんが。

あの映画は、英語に字幕をあまりつけないという意図的な演出により、英語を理解する視聴者が「あ、今絞首刑って言った」と理解した数秒後に遅れて日本語に通訳され、中居くんが絶望するという、なんともいえない独特の味わい方がある。

2024年4月1日月曜日

「オッペンハイマー」の個人的な解釈

今回はクリストファー・ノーランにしてはファンタジー色が全くなく、IMAXで観る必要性は確かに薄かった。個人的には音響の素晴らしさが特徴的だと思うので、映画館で観る必要はあると思う。

物理学以外の点でも難解で字幕を追うのに必死、字幕なしで理解できそうなのは妻のキティのセリフくらいである。


この映画は、ただオッペンハイマーの栄光と盛衰を描いたものだと思う。半生。オッペンハイマーの内面を描いているため、自伝のような感じで。

物語としては、過去を回想していく形にはなるが、ケンブリッジの留学時代は短い。せいぜいホームシックだったことと、数学が苦手(意外だが、サイエンス好きとしては共感するものがあった)、実験が苦手なこと、なのだが、ここで重要な人物と出会い、物理への道が拓ける。

物理学に自信をつけたオッペンハイマーは帰国後大人気教授となるが、共産党に傾いているのが後日仇になる。(が、ここはオッピーのせいではないと思う)

ドイツが核分裂を発見したことで、オッピーの周りはすぐにそれを実験し確証する。この時点でオッピーの頭には「爆弾になる」とわかっていた。

あれよあれよと進んでしまう核爆弾の構築。「ロスアラモス」はオッピーの提案で20億ドルをもかけて街を作り、街全体を実験・開発場とした。これはアステロイド・シティの元ネタらしい。

この時代は流れが早く、7月に実験が成功したら8月に日本に爆弾を落とすともう決まっていた。ヒトラーが自殺した後、アメリカは早く日本も降伏させたいと思っていたのである。(無論ロシアに対して優位性を持ちたいのだと思うが)

この「日本に落とす会議」は重要な会議である。私に言わせればこの時代の日本は世界の悪役であった。ヒトラーが自殺したらもう日本の敗北は目に見えていただろうし、様々な口頭も含めた戦争の記録を見ても、日本は悲惨な状況を国民に強いていたのだ。

日本がしつこく「負けず嫌い」を通してくるであろうことを米国は理解していたので、マット・デイモン演じるグローブスが「2回落とす」とこの時点で言っている。

しかし周りは「日本に警告を出すべきではないか」と2回くらい言っているし、倫理観はしっかりあったと思う。(ストローズのWikiに「栃木の日光に警告を一個落としては?」という提案がある)

戦争映画によくあることだが、特に米国の場合「一般人(兵士も科学者も)と政府のお偉いさんや軍のトップ」との対比が描かれることが多い。つまり戦争をお偉いさんが利益重視で操作しているのを批判するパターンである。

広島に原爆が落とされた日、オッペンハイマーは大絶賛を受けるが、この時の彼の心理描写はぜひ映像で観てほしい。秀逸だ。

セリフだけ聴いていたら全日本国民とドイツ国民が激怒しそうな内容なのだが、彼の心は裏腹だった。

私はこの感覚を知っている。この感覚のせいで心療内科に通ったりして、結局治らず脱サラしたのだから。

ノーランはこの感覚を知っている人だと確信した。私だけではないのだ。


終盤というか、最初から連なるイベントとして、「オッペンハイマーがロシアのスパイかどうか」を問い詰める聴聞会がある。裁判ではないのだが、オッピーが水爆の開発に反対したのが表向きの理由で、最前線から外そうという動きが出ていたのだ。

だがこれを裏で操っていたのがロバート・ダウニー・Jr.演じるストローズである。

こいつが一番の曲者だった。

曲者なのだが、なんとも人間らしい。彼は科学者ではない。科学者に馬鹿にされるのが耐えられず、恨みを晴らそうとした人物である。

気をつけた方がいいのは、これは現実でも起きうることだということだ。この話はノンフィクションである。

どんな人間だって小馬鹿にされたら恨むだろう。ましてや、絶大な力を持った人間は相手を馬鹿になどしてはいけない。彼らが勝てないとわかっていたら、なおさら丁重に扱わないと、痛い目を見る。

オッペンハイマーはエンジニアのようなものだ。

私は日々エンジニアとお仕事をしているが、傲慢な人間を嫌というほど見てきて、相手にしてきて、本当にこの業界を辞めようと思ったこともあった。

だが、デザイナーにも傲慢な人間が多い。デザイナーの場合なぜか実装ができなかったり、大したものを作れない人間に限って肩書きだけで偉そうにする人間が多い。おそらく、できないから大きく見せなければと思っているのだと思う。

映画を通して、オッペンハイマーが傲慢だと思うシーンは少なかったが、実際の行動を羅列するとまあまあ傲慢な方だと思われる。何しろ女癖が結構悪い。この時点で私の中では絶対関わりたくない男リストに入れられてしまう。

先日見たナポレオンより、傲慢さは薄めに描かれている。これはノーラン監督の意図で、「傲慢に見えるかどうか」を観客に委ねているのではないかと思う。

だが、きつく尋問された理由は私に言わせればストローズを小馬鹿にしたのが原因である。もしストローズと仲が良かったら?おそらく、庇ってくれたに違いない。なぜならオッペンハイマーは共産党の一員ではない、彼は白だからだ。もちろんスパイでもない。


オッペンハイマーは自分のキャリアのために原爆を作ったのだと思う。あの時代、あれを止められる人はいなかっただろう。だが、彼ははっきりと後悔している。

トルーマンは「日本人は原爆作った人を恨まないよ」って妙にはっきりと言っていた。 

だが、私はこれも日常的に起きうることだと思っている。

例えば、私が前に辞めた会社では、流行りのキャラクターを使った子供向けのアプリを作ることになって、私はデザインをとても頑張った。だが、エンジニアのやる気は半分以下だった。その技術が扱える人が辞めてしまって聞く人がいなかったらしい。

トルーマンはいわばその会社の「ディレクター」である。彼女は、私に言わせればサイコパスの気があって、アプリにバグがあっても平然としていた。一応エンジニアには声をかけるのだが、誰も直してなどくれなかった。(そのエンジニアも独身女性の私の前でスキルをアピールする傲慢さがあった)

トルーマンなディレクターの使命は「アプリの制作費をクライアントからゲットすること」である。

バグのないプロダクトを納品することではないらしい。

私はあの時も、そしてその前も、オッペンハイマーのような気分になった。仕事でやったことだ。私はきっと給料のためにこれを作っている。

だが、どうだろう。そのアプリのレビューには悲惨なコメントが並んでいた。「子供が喜んで使いたがるのでバグを直してもらえませんか」と。

オッペンハイマーの偉業は、老人になってから評価された。だが私にはきっとそんな日は来ないだろう。それがサラリーマンだ。会社に勤めていたらそんなものなのだ。世の中にはこんな話が溢れ返っている。


それを悪いとも、良いとも言わず、淡々と描く良い映画だった。

ただそこにある「絶望」の感情は非常によく描写がされていた。

2024年3月28日木曜日

ドゥニ・ヴィルヌーヴの「メッセージ」

この映画はサムネイルで少し損をしている。

見た目がチープなSF映画に見えなくも無いからだ。もうちょっとストイックさをビジュアルに出せれば良いのだが(もしかしたら宇宙人を出した方が良かったのかもしれない)。構図が安っぽい問題がある。

内容は非常に真面目で良質なSFだった。

インターステラーなどと似ている。時間を操るシナリオだ。厳密にいうと操るのではなく、俯瞰するといった方が正しいだろうか。

私は物理学は全然できないのだけど、クリストファーノーランのおかげもあって、また宇宙や天文学が好きだった幼少期もあってなんとなくこのような抽象的なSF事象を理解できる。

感覚的にだ。

この「なんとなく感覚的にわかる」のがこの映画では特に大事になるのでは無いだろうか。

インターステラーの終盤で、主人公が過去に容易にアクセスできる場面がある。5次元、だっただろうか。

私たちは立体的に言えば3次元で、時間軸を含めると4次元に生きていると言えると思う。4次元で時間軸のある我々は、「肉体が存在し、心臓が動いている間」は現実空間に生きていられる。そこから見た「二次元」には時間軸が存在しない。あたかも存在するかのように、描かれてはいるが、画像である。

また一次元なるものも存在するが、仮にこれが文字だとして、それらも体感するのに時間は消費するが、一次元自体に時間軸は存在しないと言えるだろう。(時間そのものだけを捉えれば一次元とも言えるが)

という、ざっくりな仮定のもとで話を進めると。

5次元に存在する生物(知覚者)は、4次元を時間軸もろとも俯瞰することができるのでは?とインターステラーは言いたいのかなと私は思った。

さて、この「メッセージ」では地球に降り立った宇宙人の言語が難解で、主人公の女性はあらゆる手段でこれを解読していく。見た目的にはAdobe Illustratorで書いた適当なインクの輪に見える。なぜベクトルデータで説明しているかというと、彼女が分析する時に、アンカーポイントが多数見えたからだ。それに伝達手段に使える記号であるならば、確かにベクトルデータに変換できるはずである。

この宇宙人は、どうも未来が見えるらしいのだが、見えるというか知覚しているという感じらしい。そして、私の解釈では、宇宙人が主人公に与えた「武器」は未来を見る能力である。彼女は何度も謎のフラッシュバックを見て、それがだんだん頻繁になってくる。未来の自分の子供を見ているのだ。

この「だんだんわかってくる」感覚を表現するのが、ドゥニ・ヴィルヌーヴは非常にうまいと思った。DUNEもそうだけど、無理のないように話を丁寧に進めるのがうまい。(DUNE2は少し終盤は詰め込みを感じたが)

映画は物理学を学ぶためのものではない。

この感覚的に宇宙人を理解していく感じ、を映像を通して体験できるのが映画の素晴らしいところだ。

E.T .と出会い、最初は怖いなと思い、だんだん仲良くなっていって、最後はお別れする時に号泣する、そういう感覚を共有できるのが映画の良いところである。

人の考察も見てみたのだが、「未来がわかっているのになぜその通りにする」かなんてことは私はどうでも良いと思った。

この映画で感動的なのは、未来からの「メッセージ」を彼女が受け取って、必死で実行する(これがクライマックス)ところで、そこで彼女は地球の平和を守り抜くのである。

宇宙人がきたことで、地球の住民は混乱する。戦争が目前に迫りつつあった。

言語学者のルイーズは、焦る人類を前に「丁寧にメッセージを解読したい」と言い続ける。

ここにこの映画の素晴らしいテーマがある。未来などぶっちゃけSF設定としては良いのだが、大事ではない。ここで大事なのは、「相手の言っていることを理解しようとする姿勢」である。そしてその姿勢が地球を破滅から救ったのだ。

多くのSF映画は盛り上げるためにここで戦争を始めてしまうかもしれない。

だから、私はあの中国軍の代表が「ありがとう」と言い始めた時震えるほどに感動したのだ。

そして、ルイーズが辛抱強く解読を続け、リスクを冒して中国軍の上将に電話をかけ、未来がどんなものであろうとも、突き進む一連の流れがとても美しいと思った。学問と科学が平和を導いたのである。そして、ルイーズの良心が。宇宙人もそれを見越して彼女に能力を与えたのではないかと思う。

SFは暗く恐ろしい破滅の物語も多いが、「メッセージ」は前向きでありながら、未来を知ってしまう切なさも含んでいる良質的なSFである。

そして、最後のあたりのシーンは、それを慰めるものではない。彼女は、「今を」生きることをそれでもなお楽しむのである。「今、ここにある温もり」を大事にしようと、伝えているのである。 

また、ドゥニ・ヴィルヌーヴといえばビジュアルの美しさだが、宇宙人のデザイン、乗っている乗り物のデザイン、「記号(文字)」のデザインなどどれもスタイリッシュで美しかった。彼は「霧やもや」を使うのが非常に上手いと思っている。絵作りが上手いというか。


ところで原題は「ARRIVAL(来訪)」であるが、邦題「メッセージ」も悪くはない。なぜなら映画全体がメッセージの役割も果たしているし、ルイーズはずっとメッセージを解読しているからだ。

2024年3月18日月曜日

DUNE part2

おそらく圧倒的ビジュアルで攻めてくるに違いない!と確信してIMAXで観てきました。

大満足です。美麗ビジュアルな上に、圧倒的迫力のサウンド設計。私はサンドウォーム大好物なので今回乗るシーンが多く大変楽しめましたwそして今回大規模戦争の描写もあるので、映画館で見ないともったいないです。

1観て予習して正解でした。ぜひ予習してからご覧になってください。

登場人物としては、今回は圧倒的女優陣に満足させられました。

レベッカ・ファーガソン

正式に教母となり、さらに意外な過去が明かされます。

今回も本当に美しい。衣装も素敵だし、スパイスの影響で青くなる瞳がよく似合っていました。彼女元々青なんですけど強調されていました。ミステリアスすぎて裏があるんじゃないかとハラハラします。

ゼンデイヤ

牧歌的で癒し系でした。最後彼女の怒り顔で終わるのがなんか切ない。ジブリ映画にいるタイプ。

フローレンス・ピュー

皇帝の娘ということですが、良心的な女性という印象を抱きました。ドレスがすごいんだわ。あれいくらかかってるんだ。

レア・セドゥ

ハニートラップ仕掛ける(命令で)妖しい美女。またかよ。仕草が上品。行く末が楽しみです。

そしてまさかの、アニャ・テイラー・ジョイ

ポールの予知夢に出てくる女性ですが明らかにあれでした。これまた美女。

美女づくしな上に、全員今をときめく超・実力派女優ばっかり!ギャラがすごそうです。どの人もエゴが強すぎない俳優なのでとても好きです。

ベネ・ゲセリットの存在がすごい

歴史を裏で操るとされている
ベネ・ゲセリットですが、様々な権力者に取り入っては精子を(子種を)ゲットしている模様。だから女しかいないのか?!!怖すぎて逆に好きですw

女が世界を操っているなんて、最高じゃないですか。

監督も意図的に女性を活躍させているそうですが…。素敵です。


男性キャラで圧倒的な存在感を放つのがやはりオースティン・バトラーの
ラウサ・ハルコンネン。元の顔がわからない程に白く塗った上に眉毛の上からパテかなんかを塗って完全スキンヘッドなのですが、クールでかっこいい。

かっこいですがサディストで、めちゃくちゃ人を殺すのです。

しかも最後らへんに、ポールと決闘することになり、とんでもなく緊張するのですが、
私は、このサイコパス野郎の唯一好きなところは、チートで勝とうとしないところです。

そういう意味でもファンがつきそうだなと思いました。彼の叔父は無茶苦茶太ってるのにこの子だけナイスボディだったので。

皇帝もヨボヨボだし、男性キャラが微妙なんすよね。それにしても前から思っているのだが、ポールのキャラクターとしての存在感が女性陣にかき消されている気がする笑

あとフレメル側のスティルガー。ハビエル・バルデムだから見慣れていて親近感がありまくりなのですが、ちょっと緩すぎない?!と思うことがありました。スペイン訛りはわざとらしすぎるというか。


ストーリーが難しい!と言われてもいる本作ですが、後半は特にスピードアップしていたので、救世主と崇められるポールの行く末、チャニとの関係、フェンリングやジェシカが産む子供など、未来がとても楽しみになりました。特に、アニャ・テイラー=ジョイが次回絡んでくるのか?が楽しみなのですが、年齢的にはズレが生じるのでどうなんだろうな。

私はざっくり関係を飲み込めたのでディテールはともかく、比較的わかりやすい話だと思いました。

それにしても簡単に核を使ってしまうし、あれで本当に平和なのか、ちょっと謎ではあります。ポールが言う通り、本当に「緑のパラダイス」はつくれるのでしょうか。次回に期待です。


 

2024年3月13日水曜日

Oscars2024 アカデミー賞の雑感

結構モヤモヤしたので、こちらで発散しようと思います。


私は比較的寛大な人間なので、過剰にセクハラに敏感なことを書いているのは、そのくらい世の中の一部の男性が過剰にしつこかったからです。本来は、ゴールデンカムイレベルの下ネタでも大口開けて爆笑するタイプです。

今回のアカデミー賞は、寛大な私でも違和感がありました。

世の中は、なぜか、エマ・ストーンとジェニファー・ローレンスの態度を責めがちなのですが、私はこれはミスリードではないかと疑っています。 

つまり、今回あの式で行われていたのは、紛れもなく「ホモソーシャル」の弊害ではないかと思っています。

ファンの方には申し訳ありません。私はもともとロバート・ダウニー・Jr.がとても苦手で、アイアンマンのことも「嫌い」と公言していました。単純に、私の好みの問題です。優しそうな人が好きなので、ああいうプライドの高そうな、気の強そうな男性は好みの正反対に位置します。

その人が、受賞式でキー・ホイ・クァンに目も合わせずトロフィーをふんだくり、キーが手を差し伸べようとしても(2回も)握手もせず、すぐに左の役者の方に行きましたね。しかもそれを行う前に手を広げて、壇上の5人をちゃんと見ているんです。

私からは、「5人のメンバーを歓迎すると見せかけて、位置関係を把握。キーは気に入らないので挨拶しなかった」という風に見えました。

もちろんそう見えただけです。

問題は、実際に目も合わせないまま、スピーチを始めてしまったこと。

これはかなり、同人種でも無礼なことだと感じます。

ですが、これをアジア人俳優であるキーに行ったことは、やはり「人種差別」ととられても文句は言えないでしょう。


映画という芸術文化は、世の中に起きている問題を取り上げてメッセージを投げかける役割も持たされています。もちろんその限りではありませんが、私は、スピルバーグの映画で戦争を学んだと言っても過言ではありません。

要は、マイノリティを壇上で差別することは、映画制作の姿勢とは全く真逆の態度ということになります。

もしこれがアイアンマンを演じているつもりでも、アイアンマンがレイシストだと私は思いたくないです(まあ嫌いなのですが)。


ミシェル・ヨーは一度受賞しているからか、とても寛大な上に少し誤解を招くが善良な行動を取りました。なのであまり女性陣を責めてほしくないのです。問題は、完全無視したRDJの方です。冒頭で「ホモソーシャル」と言ったのは、この期に及んで「男性優位社会」(男性は差別をしても許される)をあの場で展開してほしくなかった、ということです。しかもメディアがRDJをあまり責めていない上、本人から弁解がないのも、ホモソーシャルの結果ではないでしょうか。

オスカーを手にするくらいの演技力があるなら、せめて最後まで偽善者を演じて欲しかった。カメラの前では。

そう思っています。


個人的なアメリカ生活での経験から言うと、このようなシーンはたくさんありました。私の英語をわざと何度も聞き返し、何度説明しても「わからない」と言ってくるアメリカ人はたくさんいました。本当に知りたいなら理解しようと努力するはずですが、能面で何度も同じことを説明させる思考停止したバカどもです。

でも私はオスカー俳優ではありません。オスカーは、優秀な人たちが受賞する場なのですから、RDJに品性を下げられたことを、自分の過去の経験からも非常に腹立たしく思っております。

2024年3月11日月曜日

「レッド・スパロー」非常に面白かったです

いわゆる「普通だった女性をスパイに育てあげる」映画はいくつかありますし、やはり「ニキータ」を超えるものはないなと思うのですが、本作品「レッド・スパロー」はまた一味違った面白さがあります。

主人公はロシア人で、トップバレリーナでしたが、事故で骨折し辞めさせられてしまいます。その後叔父がスパイにリクルーティングするために、自分が骨折した原因を知らされ(これって最初の任務よなw)、犯人たちを怒りに任せてぶっ殺すのですが、その手口が豪快すぎて「つかみはOK」となり、とても引き込まれました。

やはり血の気の多い女には共感しますね。

その後もポーカーフェイスで任務を続けるドミニカですが、ロシア内部にCIAへの内通者がいるとわかり、その正体を知るべくCIAエージェントに近づきます。このあとの展開は割と複雑で、見ている方も「今ドミニカはどちら側なのか?!」とハラハラします。何しろドミニカは、このスパイの世界に引きずり込んで母親を人質にしている「キモ叔父」に一泡吹かせたいので、CIAに協力すると言い出したのです。

ですが見ている方はどこまで本気なのかわからないわけで。

何しろドミニカ、全然笑わないし。

訓練時にも気になったのが、「娼婦としての訓練」を受けているはずなのに、「男の本性は見抜ける」が、男の欲しいものをそのまま提供するほど腐っていないところ。ドミニカは「後ろから襲ってきてバックでやろうとする男」を絶対に許しません。

つまり、彼女が本気で寝る男だけが本当に心を許した相手だということです。そこだけが、ヒントだったなと思います。

話はちゃんと見ていないとしっかり理解できないくらい入り組んでいますが、ラストのどんでん返しが素晴らしかったです。伏線はあるのですが、「ん?」くらいのレベルなので最後にすごい驚きました。

よし!やったぞ!というあの達成感が、主人公とリンクするので、特に苦境を生き抜いた女性だと共感しっぱなしだと思います。

自分を利用してくるキモい叔父さんや、スパローが娼婦の訓練を受けていると聞いて色目を使ってくる男、体の欠点を指摘した途端ぶん殴ってくる男、特に理由もなく後ろから襲いかかってくる同級生。まあ最初の自分の脚を折る原因になったのも男なので、彼女は散々男に振り回されて怒り心頭だったと思うんですよ。

唯一本気で好きになった男がCIAの男で、まともなやつで、最後は立派に勝つエンディングでスッキリしまくりました。

嫌なことがあった時に観たいような映画ですが、拷問シーン、殺害シーンはまあまあグロいので注意です。掃除人がとにかく残忍。それから、娼婦育成時に男娼も同時に育成するのですが、普通に全裸見せてくるので注意です。

この映画は原作小説があるそうで、続編があるので、内容的にも面白そうだなと思いました。原作のおかげでかなり濃厚なストーリーになっており、大変楽しめました。

ちなみに原作のエンディングは違うそうなのですが、映画版の方が(少し無理はあるが)スッキリすると思いました!

2024年3月2日土曜日

ARGYLLE アーガイル、今年一番の映画の座にとりあえず着きましたよw

いやはや、爆笑しっぱなしだった。今年入って一番お気に入りの映画!!「アーガイル」!

何が面白いのか書いていこうと思う。

主人公の女性作家が太り過ぎだし中年

デートもお断りして自宅で一人きりで小説を書き続ける。同居人はネコちゃんのみ。

お母さんとはしょっちゅうビデオ通話してる、一人っ子。

このぽっちゃり女性作家がなぜか電車で銃撃戦に巻き込まれる。この時点で絶対ないわwって思う展開。しかも飛行機すら乗ったことないのに、ガンガン巻き込まれて飛行機ももちろん乗せられる。

このおばちゃんが太っているというのが終盤、かなり効いてくる。何しろワンピースドレスで脚を開いてバトルしまくるのだwスタントマンもムッチムチなのではwもはやプロレスラーである。

ヘンリー・カヴィルがいちいちキメてくる

女性作家の書くスパイ小説では、「アーガイル」というイケメンスパイが主人公。これが彼女の中で妄想を極めて世界有数のイケメン、ヘンリー・カヴィルの顔で出てくる。これがイケメンすぎるのと、いちいち銃撃戦でウインク飛ばしたり、髪の毛撫であげたりして(角刈りなのにな)こっち向いてキメキメしてくるのが笑える。しかしヘンリー・カヴィルである。もうイケメンすぎて、彼だけを観ていたい。もう部屋に彼の顔を貼ってそれだけ観ていたいくらいのイケメンだった。

英国にはイケメンがいすぎだ。

ロバート・パティンソンと共演してくれないだろうか、、、笑

現実世界にいるスパイは冴えないおっさん!

現実世界のスパイが優秀なんだがマジで冴えない。ブサメンでもないが別にイケメンでもない。ムキムキでもない。優秀なんだけどノリが軽すぎて詐欺師か泥棒みたいであるw

この「小説と現実のギャップ」も笑うところだよな。

アクションがメチャクチャな上に安っぽいBGMがかかる

アクションがめちゃくちゃありえないんだがそれだけでも面白いのに、なぜか毎回しょっぱい80年代の安っぽい音楽がかかってダブルパンチで笑える。

がアクションはかなり頑張ってる!でも殺しすぎ!!!!

個人的にアイススケートアクションが一番笑ったww

ストーリーは少しアランウェイクっぽい深みがある、メタフィクション

作家が書いたストーリーが現実と酷似している。これどっかで聞きましたね?そう、アランウェイクです。

さて今回は「小説家が書いたことが現実になるパターン」なのか?冒頭で言われる通り彼女は予言者なのか??

ストーリー構造も非常によくできています!(私はキングスマンは見始めたらすぐ飽きてしまったのですが、そっちも話が面白いならもう一度見てみようかな?)

私がいいなと思ったのは、フィクションが現実になる場合、このくらいの深い設定が必要だよねっていう裏付けが比較的ちゃんとしていたところです。まあ、実際現実的にありうるかというとかなり疑問ではあるんだけど、強引な展開が笑えて許せてしまいます。

恋愛は蛇足だと感じましたが、愛が勝つなんていうしょっぱいエンディングじゃなくて、すごく良かったと思います。

ロジカルな人間にとって「愛が勝つ」ってのはちょっと現実的じゃないんで。

愛は栄養であり、燃料なんですよね。ロジックにエンジンをかけてくれるのが、愛だと思います。

ちなみに毒親持っている人には、相当爽快な展開もありますのでお楽しみに。企みのある父親のあの役者さんの芝居が最高だったwwww視聴者は彼の正体を知っていて、来た途端に驚愕するんだけど、主人公は「パパ!」って言ってるのでああいう演出はうまいな〜と思いました。

↓この曲聴いてるだけで笑えてくる。キャスト全員出てるやんけ。控えめに笑うヘンリー!!

2024年2月25日日曜日

ALAN WAKE2 ストーリー考察2

ヒーローズ&ヴィランズ

今回新たに「ヒーロー」の概念が登場した。そのヒーローとは、一見アランのようだが(ローズはアランだと信じ込んでランチボックスを置いた)、実はサーガである。

アランは、リターンを書き直すとき、別の登場人物を登場させないと、とてもじゃないが浮上する物語にできなかった。アラン曰く、無からものを創造することはできないそうだ。そこですでにブライトフォールズに来ていたサーガを物語に書き込んだ。ホラー小説のジャンルが変更できなかったので、サーガは過去を改変されてしまい、娘が死んだことにされてしまったのが良くなかったが。(これはリターンのエンディングがきちんと発動すれば元に戻る)

さてそれではヴィランは今回だれだったのか。

これはアランではないかと思っている。正確には、闇を脱出する物語を書けず、ループに囚われ、病んでいく自分自身。そしてスクラッチに憑依される自分。どちらかというと、自分の闇の部分。厳密にいうと自分の分身ではなく、自分の悪い部分だ。

今回明確に「ヴィラン」の言葉が使われたのはエンディングテーマだけだ。だが、この歌をきちんと聞くと、いかにヒーローやヴィランという概念があやふやなものなのか実感できる。アランは自らヴィランになろうだなんて思っていなかったし、サーガは巻き込まれただけだ。生まれつきのヴィランなどいないのである。

そしてゼインにとってのヒーローはアランである。というかこれも、ゼインがアランを「光の戦士として」書いたから、アランはヒーローとなったのだ。だがその存在は不安定で、二面性を持っていたということだ。


オーバーラップ(境界域)

今回新たに登場した概念、「オーバーラップ」。

これらはサーガの考察によると、都市伝説の類は大体闇の世界との境界域に該当するらしい。笑

境界域を実際に出現させるためには、アート(原稿もアートに入る)が必要。それによって儀式が成り立ったと判断されると闇の世界との境界域に入れる。サーガはそこで、ナイチンゲール、マリガン&ソーントン、シンシアと戦う。

闇の世界そのものには入れないらしいのだが、コルドロンレイクに人をぶち込むと簡単に入れるらしい。これは謎だ。

ところでCONTROLでは「スレッショルド」という言葉がしょっちゅう使われていたが、これは「境界値」という意味である。つまり境界域とスレッショルドは大体同じだと思われる。


クリッカー

今回はクリッカーが「天使のランプ」の部品であることが判明した。判明したが、なんでそうなってるのかさっぱりである。

天使のランプはゼインの持ち物のはずだからだ。

この切り離されたライトスイッチは、アート(音楽や原稿)をそばに置いた状態でONにするとそのアートが現実になるという凄い代物であることが今回判明した。前作ではアランのお守り程度で、そのお守りを小説に書き込んだらバーバラを倒せた、という程度のアイテムだったのに。

なおなぜかアンダーソン兄弟はクリッカーの意味を知っており、彼らに言わせると「アンプと同じ。アートの力を増大させる」とのこと。

スクラッチの原稿のエンディングはポンコツだが、それすらもクリッカーで実現できる。

あんま関係ないけどトルコで買ったトルコランプのスイッチがクリッカーみたいな形状なので、見るたびにクリッカーを思いだす。このアイテムは今でも日常に存在するのだ…(だいぶ減ってる気はするけど)


儀式(ritual)

CONTROLにもしょっちゅう出てきた「儀式」。コントロールはSFなのでいまいちわからなかったが、オカルトめいたことをしたかったのだろうか?アランウェイク2では儀式だらけだった。

アランは今回スクラッチに合わせるために、オカルトホラー小説を書いてしまっている。結構内容がグロかった。アランもやっぱり病んでいるのかもしれないが、小説というアートにしてしまうことで、闇の支配から逃れている。

また、執筆中のアランが「あいつに勝つために話を書かなければならないが、ダークであればあるほど、ストーリーはスクラッチを強くしてしまう」と悩んでいる。

今回、全編を通して壁に何度も書かれた「これはお前を導く儀式だ」というポエムからも分かるとおり、イニシエーション自体が儀式なのだと思われる。

ではこの導く儀式とは誰が行ったのか?

外部から助けてくれる人物の中にアリスがいる。儀式ポエムの筆跡は「俺のではない」とアランが言っていたので、アリスが書いたのではないかと思う。アリスは実際自分の写真を使ってアランを導いた。

そう考えるとアリスは最強だ。一体何者なのだろうか。

あと考えられるのはゼインや、ドアである。

儀式にもアートの力がありそうだ。だからカルト教団を出現させたのだろうか。


カルト教団

カルト教団はアランの創作とコスケラ兄弟の「闇から街を守りたい」意識が重なりあって出来上がったのだと思われる。どっちが先なのかはわからない。闇の世界は時間軸が存在しないからだ。

taken「支配されしもの」は心臓を抉り出したあと、クリッカーを作動させなければならないので、儀式的な手順となる。それを前作のアランの本「Departure」で読んだコスケラたちは、その通りに行い、実際にうまくいった。そしてそれが恐ろしさを感じさせることを利用して、「樹木の教団」と名乗り、森に入るなと一般人を牽制した。

アランはこの現実の教団を知ってか知らずか、断片的な記憶から「言葉の教団」を作り出した。

この二つの教団「言葉の教団」「樹木の教団」は両方とも同じ仮面をかぶっている。

また、ゼインが作ったとされる「白夜の夜」に出てくるケイシーを生贄に殺す教団も、全く同じ格好をしている。しかもイルモの役者が演じているので完全にかぶっている。

「言葉の教団」は「トーチベアラー」、前作からいるブライトフォールズを闇から守る「松明を持つ者たち」を焼き殺すという恐ろしい手段に出る。アランはなんでこんな凄惨なプロットを思いついたのか。私は、この時「アランはやっぱちょっとスクラッチの片鱗があるんだろうな」と思った。完全に切り離されていないというか。

トーチベアラーはかっこよく訳せないけど、本来は聖火ランナーみたいな意味だ。奇遇にも、私は前作で難易度の高いマップで、次の建物までシャドウが蠢く広場を突っ切るというシーンの時、複数持っていたフレアを一個ずつ点けて掲げながら広場を突っ切った。あれを掲げていれば誰もよって来れないので。当時「聖火ランナー」と自分で呼んでいたが、まさにその通りだった。


スクラッチの正体

スクラッチの正体は「白夜の夜」の歌詞で知ってしまった。「それは多くの名前で呼ばれた。オールドスクラッチ、悪魔」。調べると、オールドスクラッチってのは悪魔の別名なんだそうだ。しかも別名ミスタースクラッチ。

これは私の知識のなさが原因になるが誰がそこまで知ってるかよ。この辺はさすがアメリカ文学専攻のサムレイクの教養の力である。


「ドアを手伝う」アンダーソン兄弟とは?

ドアは、ティムによると「稲妻に打たれていなくなった」。コールドロンレイクの辺りで。彼は、闇に選ばれし人間なのか。

ドアの役割は今回明らかにされなかった。だが何かをしているのは確かだ。ドアはいつも朗らかなので、闇の世界を根底から覆す可能性もあるなと思った。そしてアンダーソン兄弟はまるでそれが当然のように、闇の世界へ入っていったので、驚いた。アンダーソン兄弟は、「ドアを手伝う」と言っている。

ティムを引き入れた理由はなんだろう。ティムは闇の影響を本当に一切受けていない。ランプを持って、少し途方に暮れたようにしていたが、人格が捻じ曲がって支配されたりしないのだ。ティムも実はドアの助手として連れてこられた可能性はないだろうか。


オーシャンビュー・モーテル(ホテル)

CONTROLに現れた、謎のモーテル。3回の法則を実行するとテレポートできる。脱出時も3回電気の紐を引っ張れば良い。この電気のひもだがアランウェイクの方が発想が先っぽい。今作でもオーシャンビューホテルが出てくるのだが全くもってどこにもオーシャンビューがないのだが大丈夫なんだろうかww

それか、多分だけど、本当は海か湖が見えるんだけどアランの創作の中にいるから見えないのかもな〜。

ゼインが買った時は、湖が海のように見えていたんだろうか。

私としては、CONTROLのオーシャンビューモーテルとどう繋がっているのかが興味津々である。

まあとにかく、このオーシャンビューとつく宿泊施設には、何かある。現実ではもう「ヴァルハラ老人ホーム」に変えられてしまったが、闇の底では今でもゼインが住まう。


「湖じゃない。海だ」

このセリフについては多くの憶測がなされてきた。しかもそれを面白がってか、今回もミスター・ドアに「湖じゃない、海だ。って、結局なんなんですか?」などと言わせておもしろおかしく取り上げている。

これへのヒントはおそらく召喚時の歌の中にある。そもそもタイトルが「暗い海の召喚術」である。

これはいろんな取り方があると思うのだが、今回湖は、その周辺の闇を祓った時に干上がる描写が多い。今回はゲームを通してよく街が半分湖に水没していたが、イベントが終わると干上がりいけなかったところに行けるようになる。

考えてもごらんよ。海じゃあるまいし、こんなに何度も水位が変わっていいのか?つまりコルドロンレイクは、海にも湖にも変われるのではないか?

召喚する時には「暗い海」と表現され、波打ち際が嵐の海のように荒れる。海のように干上がることもなくその魔力を使い続けるが、使い切ると干上がって湖に戻る。

そんな解釈もできるかなと思った。

コルドロンレイクは湖だが、闇の世界への入り口である。

つまり、闇の世界は海に例えられている。その表面だけが湖なのだ。

全部が海だと世界に繋がってしまうから。なのだが、湖の下には深い闇の世界が延々と広がっている。どうも登場人物がいうには、深く潜ると外に出られるんだ、とか……


「ループじゃない。螺旋だ」

これはわざわざ説明があったので非常にわかりやすかった。しかもシンボルマークまでがきちんと螺旋になっている。まさか、あのドアの落書きに見えるものが意味があるとはね。

サムレイクがだいぶ優しくなったのか。笑

アランは一発で地上に戻ってこれない。螺旋を描くように、少しずつ現実を改変しながら戻ってくる。記憶は、ループの中で一度リセットされつつも少しずつ蓄積する。

「デジャヴとして」。これは2周目中で原稿でも語られている。

多くの人生のイベントがそうであるように、いきなり人は変われないのである。

しかし毎回同じマップを回るのはやはりきついので、次はループが終了してるといいな。まあ、ギリDLCまでは我慢できるが。


アートの力

今回はアランのライティングだけではなく、アンダーソンの音楽、アリスの写真などがアートとしての力を持つ。あのコスケラ兄弟の微妙なフロートですらアートとして扱われた。闇はアートを糧にする。そしてアートを現実にする。なので闇を制するにはアートが必要ということになる。アートの方が力が強いということだ。

クリエイティブに携わるものとして、アートとはどこからどこまでのことを言うのかが気になった。ひとつ回答として思ったのが、「ただの写真と思いを込めた写真は違う」ということだ。

宗教のようだが、思いを込めた絵、文章、写真、音楽、映像は人にその思いが伝わることによってアートと言えるのではないだろうか。(コスケラ兄弟のフロートはポンコツクオリティかもしれないが、思いが深いのだ!)

アランは最後で「リターン」のエンディングを書き換えてスクラッチに勝利しなければならなかった。しかし、1度目はそれがうまくいかなかった。この物語が、あくまでも「創作が上手くいくか」に重きを置いている証拠である。サム・レイク自体が物語に無理や矛盾がないかを非常に気にするタイプのライターだからだ。

つまりより大掛かりな現実改変を引き起こすためには、よりクオリティの高いアートが必要になるということである。実際イニシエーションでアランが適当なプロットを書くと次へ進めないことがある。リターンの1回目は安易に自分を殺したため、ループしてしまった。

これは壮大なテーマだ。

こんな物語は初めて見たかもしれない。ゲームの世界でこれをやろうというのはとんでもなく、凄い試みのように感じる。しかも、ゲームで頭を捻って考えてくれるユーザー向け限定となるのだ。

サム・レイクが「誰もやっていないことをやるのは大変なことなんだ」と言っていたのは、こういうことなのか。

2024年2月24日土曜日

ALAN WAKE2 ストーリー考察1 「イニシエーション」とはなんだったのか

イニシエーションとは

直訳すれば通過儀礼。アランは、前作で「DEPARTURE」(出発)を書き、見事にアリスを救い出したが、その続きを書かなければ自分が脱出できなかった。そこで「RETURN」(帰還)を書き始めたが、全く浮上できなかった。何度書いても失敗するので、次第にアランは諦めようと思い始めていた。何を書いても人が傷ついてしまう。もう書くのをやめようと。

アランはリターンは一旦やめて、「イニシエーション」を書いたらどうだろうかと考えた。出発と帰還の間に一つ小説を挟もうというのである。それが通過儀礼であった。 通過儀礼がないから、脱出できないのだと考えたのだ。リターンの完成は見送りとなった。

その隙にスクラッチがリターンを完成させてしまった。が、ひどい作品だった。


アランウェイクは「あきらめてはいけない」物語である。

私は、ゼインは闇の底で出ることをあきらめたのだとばかり思っていた。だが、とんでもなかった。ゼインは、おそらく話をつなぎ合わせると、

まず、アランウェイクを創造。

アランがキャラクターとして自立してくると、アランを闇の世界に引き込み、共に作品を作って闇の世界を脱出しようという流れに。

これがイニシエーション、2周目のルーム665での話だ。これは重要なので後述する。


時系列が入れ替わるのでストーリーの難易度を上げている

サーガは時系列はおかしくなっていない。現実だからだろう。過去は闇の力で改変されていたが。

問題は闇の世界だ。

ゼインは、作品の制作順番がかなりおかしい。アメリカに来る前、フィンランドで作ったはずの映画がなぜ今作ったことになっているのか?

スクラッチとアランはループの中で鬼ごっこをしていて、時間は関係なく、アランもスクラッチも神出鬼没である。現れるタイミングすらわからない。かなり自由だ。これが原因でイニシエーションをわかりづらくしている。闇の存在の形態のスクラッチは、アランに憑依したくて執拗に追いかけてくる。アランが弱る隙を狙っているのだ。

闇の存在がアランに憑依したがる理由:
西洋の悪魔は単体で行動ができない。よくエクソシストの映画にあるように、「人間に憑依しなければ言葉すら喋れない」のである。しかもアランには現実改変の強い能力がある。※でも原稿が書き上がったのでケイシーにも憑依した。 

電話の主は、2周目まではゼインだった。ゼインはアランを助け、アランと脱出したいと思っているようだ。ゼイン曰く、以前はスクラッチとも脱出する作戦を立てたのだが、ゼインは約束通り「白夜の夜」を作り上げたが、スクラッチは「リターン」を書いたあと、一人で逃げてしまったらしい。脱出したんだ、と言っていたが、時系列が狂っているため、その時点でのアランにとっては、まだ脱出していなかった。これは重要なので後述する。

また、イニシーションのわかりづらさに、アランがしょっちゅうプロットを書き換える、プロットがエコーで断片的に出てきて文字化されていない(リターンは文字化されているので後で読める)などの理由がある。なのでエコーを全部集めている自信のない私はリサーチを行わなければならなかった。しかもこのエコーの内容が詩的で小難しい。

プロットが断片的なのは、アランが散々リターンを書いた際に残した断片的なアイデアだからだろう。アランは、螺旋を描きながら進んでいるので、少しは覚えているのだが大半を忘れてしまっている。


イニシエーション ドラフト1(1〜3)

1周目。必ず周回はTVトークショーで始まるのだが、なんとこの時点でミスタードアに完成した「イニシエーション」を見せられ、アランは非常に困惑する。

これはドアによる予言であり、助言だった。イニシエーションを書け、ということである。またアーティーが、現実のローズ経由で天使のランプを贈ってくれる。これはゼインの所有物であり、シンシアから奪ったものだ。皮肉なことにそれでシンシアは闇に囚われてしまったが。

この回だけは2回TVトークショーがあり、2回目はサム・レイクがアレックス・ケイシーの役者として出てくる。アレックスケイシーシリーズでベストセラー作家になったアランは、当然の流れでイニシエーションに再度ケイシーを登場させる。まあつまりこれがイントロダクション、予告編といったところか。わかりづらいけど。しかも、アランは「サドンストップ」でケイシーを殺して、前作でシリーズを終わらせているのだ。

2章は地下鉄を、ケイシーを主人公とした物語を書きながら進むが、いなくなったFBI捜査官とはナイチンゲールのことだったらしい。現実と全く同じように死体で横たわるナイチンゲールまでたどり着く。キーアイテムは心臓で、触ろうとすると、サーガとの会話ができる。

ちなみにこの心臓だが、なんか行方がメチャクチャで、冷蔵庫にワープしたり、境界域を開けるために捧げて消えたりしている。結局今どこにあるのかよくわからないw

なお、この時壁にあるダークポエムにはすでに「第三の目」という言葉が含まれている。

これはあくまで私の考察だが、1と3はアランが直接書いたものではないんじゃないだろうか。直接本筋には関係ないし、ミスタードアはアランの小説に影響されないと言い張っているからだ。(おそらくドアはサーガを助けるためにアランを助けている)

というか、イニシエーション自体が小説とは言い難いので、本当に、闇の世界を脱出するためのツールとして使われているだけなのかもしれない。ライターとしてそれでいいのかわからないが。

問題は3章め。ここはいつも時系列が狂う。アランは撃たれて死んでいる自分を見つける。これは最後に持ってくるはずの展開だ。展開はメチャクチャだが、ここで強制的に現実に戻る。そしてループしてリセットされる。(厳密にいうとアランが死んでいる終わりの場合は、戻る)


イニシエーション ドラフト2(4〜6)

2周目。TVトークショーに戻るが、今回はミュージカルだ。これに意味があるか考えてみたものの特にないと感じた。ドアが勝手に起こしたのだろうか。アランが「こう来るとはね」と言っていたのでアラン原作ではなさそうな気がする。毎回ドアで始まるので、ドアが導入を考えているのかもしれない。

イニシエーション5章では、アランはゼインに電話で呼び出され、ルーム665で一緒に作品を作って脱出しようという感じのことを言われるが、どうもこの芸術家、私もがっかりしたのだが、詩人トムって感じでもないし、前作の潜水服がかっこいいイケボのゼインとだいぶ違ってただのド変人と化していた。いや、こっちが本性なのだろう。

ちなみにここでかかる音楽はスクラッチがアメリカンナイトメアで使う音楽と同じらしいので、ゼインはスクラッチ化している可能性が大いにある。笑顔が悪魔的だ。音楽の歌詞は「俺はサイコ」と繰り返し言っている。しかも、部屋番号665は悪魔の番号666のお隣さん。単純に解釈するとゼインは悪魔の一歩手前ということになる。また、オールドゴッズの楽屋に「665 Neighbor of the Beast」とあるが、直訳すれば野獣のお隣さん。

ここでゼインとアランが制作しているものに注意するべきである。

ここでアランはリターンを書いている。ゼインは映画を作ると言ったので、おそらく「白夜の夜」を制作した。これは、後述する「スクラッチに騙された」の内容と全く同じなのだ。ではこのシーンのアランはスクラッチなのだろうか?それとものちのゼインが嘘をついたのか。

個人的にはここで「書いている」アランはスクラッチになっていた可能性があると思う。酔っ払って書いたからかもしれない。あとでシラフで自分の駄作を見て書き換えるところなんて、リアルにありそうだw

ちなみに時系列がめちゃくちゃなので、ここで書いたわけでもないらしい。つまり、「過去に書いた」のではないか?

正しい時系列の考察は:
1)脱出するための「リターン」を書き始めたが、上手くいかず、中断してさらに中断したことも忘れた
2)ゼインにそそのかされて、酒に酔いながらひどいリターンを仕上げた(ゼインは外に出たい)
3)あとでシラフでそれを執筆部屋で見つけたアランは、「闇の力でブライトフォールズを支配する」その内容に驚愕して大急ぎで修正し始める(消去することは不可能)

ではないだろうか。アランに何か飲ませたら、スクラッチの力を引き出せたりするんだろうか、、ここは謎だ。白夜の夜では謎の酒を飲ませるシーンがあった。

だが、私は酔っ払ってる時に描いた絵がすごく良かったり、某日本のアーティスト(C&A)はクスリをやってあの素晴らしい音楽を創り上げたというんだから、あながち酒は悪いもんではない。アランにはよくなかったのかもしれない。

というか、ここまで書いていて思ったんだが、スクラッチってのは単純に「悪い自我が暴走している自分」のことを言ってる概念なのではないかと思い始めた。闇の雲は、単純にその概念がビジュアルとして見えているだけなのかもしれない。

アランがキレ散らかす頃(それどころじゃないんで)、なんとダーリング博士とジェシーフェイデンがテレビを使って彼らを探知してしまう。だが、ゼイン的には見つかりたくないらしい。(つまりゼインはAWEで、見つかったら捕まって研究対象としてオールデストハウスに収納される。その場合アランもなのか?アランは次の殺害現場へ向かうように言われる。

闇の世界では、「殺害現場」が一番強い力を持つらしい。殺害現場を突き止めると(書くと)パーラメントタワーが現れる。そしてアランはそこへ行けば現実に帰れると信じているのだが……

この章の最後で殺害現場に辿り着くと女性がバスタブに沈められているが、シンシアにそっくりである。つまりここで現実とリンクしている。キーアイテムはレコード。

6章目でまたアランの自宅「パーラメントタワー」が出現するのだが、だんだんと、アリスのビデオの内容が進み、展示会の内容が明らかになっていく。そして執筆部屋に飛ばされると、アランは完成した「リターン」を見つける。内容は闇の存在がブライトフォールズを支配するというひどいものだったので、アランはそれを書き換えることにした。つまりあの原稿に足された走り書きはアランのものだったのだ。

この時、アランは「これはスクラッチが書いたもの」と決めつけているが、実際は自分で書いたものじゃないかと私は思っている。

時系列的には、このアランが最初に来なければならない。

そして、1周目で見た通り、アランは眉間を撃ち抜かれて死ぬ。またループ(振り出し)へ。


イニシエーション ドラフト3(7〜9)

3周目。最初のTVトークショーはもうショーではなく、ドアに文句を言われるだけだ。

もう一度ゼインに会いにいくと決めるアラン。リターンはスクラッチが書いたものじゃないか!嘘つき!とゼインを責め、最終的にはゼインを撃ち殺すが、実はそれもフィクションだった。この時ゼインに「白夜の夜」が上映されている映画館に行け、そこに殺害現場があると言われ向かうアラン。スクラッチに騙されたというゼインは、出会ったらスクラッチをためらわず殺せと助言する。

殺害現場では二人の警官が殺されていた。つまりこれがマリガン&ソーントンである。キーアイテムは現実に突然現れた、あのヘラジカの頭蓋骨である。

ちなみにグランドマスターだが、ゼインが演じているらしい。しかもスクラッチという役名でだ……

9章、外に出ると自分から電話があり(この電話をいつかけたのか、プレーヤーにはわからなかった)、アリスの写真をシューボックスに入れる(これはサーガに渡すためだ)。そしてパーラメントタワーに行くと、アリスが自殺したと思われるビデオを発見、怒り狂って執筆部屋に乗り込み原稿を書く自分の姿のスクラッチを撃ち殺したかと思いきや、それは先ほどの書き換え中の自分(6章め)であった。1周目(3章め)で見た自分は、この撃たれたアランである。多分これはスクラッチの罠みたいなものなのだろう。

ここでアランは絶望し、スクラッチに憑依され、倒れ、原稿と共に湖の岸に打ち上げられる。時間が戻ってしまったのだ。

ちなみにゲームの一番最後でも同じく眉間を撃ち抜かれて死ぬが、この解釈を誤まるとゲーム自体が全て振り出しに戻り、「最後の草稿」となるのだ。2周ゲームをクリアすれば、無事、アランは死なずに済む。それにしても、何度撃ち抜かれているんだ、アラン。ループしたあと「ものすごい気分が悪い」と言っていて、なんか同情した。


この全体像から分かる通り、ゲーム内で少なくとも3回はイニシエーションを書いている。だが、ゲーム内でも言われている通り、書き続けなければアランは脱出はできないのである。だから仕方ないのかもしれない。

もしこの話が、「スランプ」を表現したものであれば、恐ろしい話である。


自分が創造したキャラクターが意志を持って勝手に動き回ることがあるだろうか?

これは私はYESと答えられる。

アメリカで暇だったとき、私はキャラクターを作り出し自由自在に物語を描いた。このキャラクターは自分の理想や自分の一部を反映したものである。だから、ゼインとアランがそっくりなのはそういうことなのではないか。

そして、作り出したキャラクターは創造者が慣れてくると勝手にセリフを喋り出す。条件を与えれば自由に行動を始める。天然のプログラムのようなものだ。

アラン・ウェイクとはそういう事象を表した作品なのかもしれない。

ちなみにイニシエーションでサム・レイクを前に、アランが「自分のキャラクターにも意志があるので、安易に映画化したくない」と優しいことを言っていた。こないだ自殺した漫画家さんを思い出す。


かつて漫画家が「キャラクターが勝手に行動ししゃべってくれる」と言って、その発言を受けて驚いている人もいたが、実際ストーリークリエイターのほとんどはこれを経験しているはずだ。

ちなみに私の場合二次創作でも、キャラクターをきちんと読み込んでいれば私の問いにさまざまな形で答えてくれる。最近では年齢も自由自在に変更できる。10歳の坊っちゃんを連れて歩いているはずだったのに、気づいたら30歳になっていたり、場合によっては10代にも戻れる。そう、想像力の前に時間など無意味なのである。そしてゼインのように、自分の作った、愛したキャラクターは自分のイマジナリーフレンドとして助けてくれる。

これを他人への尋問に使えるサーガもある意味、クリエイターの素質がある。

2024年2月18日日曜日

ボーはおそれている の感想

※ネタバレしないと語れないため、まあまあネタバレしています。ご注意ください。




ボーはおそれている。初日から「狂気ぶっ通し」なんて感想が並んだが私に言わせればヘレディタリーやミッドサマーの方がやばい。なぜなら、今回あまり人が死なないのだ笑。

アリアスターが大好きな、「断頭」は出てくるが、電話を通して語られるだけである。今回は、死体の数がとても少ないので、その点では安心して見られる。

多くの男子にとって、母親は畏敬の対象でもあり、恐怖の対象でもあるだろう。

ボーは私より2個上、もう50になろうという年齢で、まだ母親を恐怖している。

マザコンといってもいいのだが、冒頭のセラピストとの会話からわかる通り、母を愛しているし愛したいのだが、とにかく母が怖いのだ。ほんのちょっとのミスでキレられ、行動を抑制される。なのに二言目には「愛している」と言われる。実にアメリカらしい。グレタ・ガーウィグの母親像もそうだ。アメリカ人の母親は二言目には「愛している」を免罪符のように使う。

母に束縛されて育ったボーは、ちょっとした決断ですら人に意見を聞いてしまう。食べ物を見るとそのリスクについて語ってしまう。優柔不断で臆病なおじさんに育ってしまったのだ。

実家に帰るためにお土産のマリア様を買い、その裏に何度も「ごめんなさい」を書くボー。母のことを愛しているが怖くてすぐに謝ってしまう癖がついているのがわかって、心が痛む。

だが、しかし母親の異常性について、ボーは気づいている。50近くで童貞なのも、母のかけた呪いのような嘘や、行動の抑制によるものである。

ただ、この映画には理解し難い面も多々ある。

例えば、そんなに臆病なボーがなぜ、あんなに治安の悪いところに住んでいるのか?

私はこの映画を見る前に少しだけツイッターで学習していた。どうもアリ・アスターはユダヤ系であるために、ボーの道中を「ユダヤ人のロードオブザリング」と表現したらしい。

それを当てはめると治安の悪い家のことも少し説明がつく。ぶっちゃけあれはニューヨークみたいなもんだ。ゴッサムシティだ。もちろんゴッサムより治安が悪いが、大金持ちの母がいる割に、ボーはたいした就職はできなかったのだろう。 

そして、ユダヤ人と捉えると、ボーは自分の聖域である部屋の鍵を奪われ、ついには家にも侵入され、仕方なく成り行きで裸で家を飛び出すことになる。これは、ユダヤ人が財産を根こそぎ奪われてエルサレムを追われたことを意味するのではないだろうか。

かなりギャグテイストに描かれているけどね。

確かにボーが家を飛び出してからはユダヤ人の旅と捉えると非常にわかりやすいので、それでいいと思う。逆にその説明がないとなぜボーが理不尽な目に遭っているのかちょっとわかりにくいかもしれない。

序盤は、「エルサレムを追われるところまで」。

中盤は、事故に遭い知らないご家庭に匿われるシーンで結構長い。一応現実だと思うが、ずっとカメラで監視されているらしく、しかもなぜか未来もチラ見できる。これは今でも謎だ。ボーの未来は決まっているということなのか。ちなみに夢オチはなかった。今までの映画を鑑みるに、アリアスター監督に夢オチなんてしょっぱい展開はないのだと思う。

後半の前半(笑)は美しい演劇の世界だ。そこでボーは、理想的なユダヤ人の生き様みたいなものを夢見る。これはおそらく、「ボーがまともに生きられていたら」見れた人生なのだろう。ホアキンフェニックスの演技はここが真骨頂だった気がする。夢想しているのに窓からスマホで写真を撮られるあたりが、現代人だなと思う。ここもギャグか。

この演劇の世界は本当に美しいし、このままでも映画にはなるかもしれない。ただ内容があまりにもありきたりだし、所詮、演劇は夢なのだ。これは比較対象というところだろう。

後半の後半は、ついにやっと実家に辿り着き、ここからはユダヤ人云々は関係なくなる。ボーは最初から対峙しなければならなかった母との戦いが始まるのだ。

だが、母と殴り合いをするわけにもいかない。

この映画はファンタジーだ。きっと色々なメタファーが詰まっていて、例のジブリ映画みたいになっているのだろう。

例えば屋根裏。アリアスターの大好きな屋根裏部屋にはやはり、恐ろしい秘密が隠れていた。というか、ボーはどうも一部の記憶が欠損している気がするのだ。

さてここまで「母」の話ばかりであったが結局「父」とは何だったのか。

母は優秀だったが、父はやはり邪魔だったのだろうか?父のようなものを2回見ているのだが、結局父は化け物として扱われて終わりだった。現実だとは思えないので、まあ、離婚したとかのメタファーなのだろう。

結局信じられるのは、母の口から出る恐ろしい言葉の数々だ。あれは本当かもしれない。もしアリアスターが自分の母をモデルにしていたのだったら、とんでもなくヒステリックだが、あり得る。

これがアリアスターの母親への復讐なのではないだろうか。プレミアに母を連れて行ったと言っているし……

おそらく、母は自分の労力を無駄にする息子が結局嫌いなのだ。息子も、何をしても反対してくる上に好きな女とも付き合わせてくれない母のことが、本当は嫌いなのだ。だけど、親子の縁を切ると不利益が出る。と思う。まあ、縁を切るのもありだけど、縁は切らない方がなんだかんだとお得ではあるのだ。それに、本当は好きでいたかった。それはわかる。


この映画が評価できないのは、ラストシーンだ。

結局息子と母どっちが悪いのか?裁判のようなものが行われるが、息子はずっと不利だ。母は息子の発言をいちいち勘繰ってくるので、ボーがポンコツで正直に話していても信じてくれない。それに母はやっぱり強い。これは理不尽だ。

確かにアリアスターの映画って理不尽が描かれるし、バッドエンドばかりだけどこれはちょっと、どう受け止めていいのかよくわからなかった。

それにこれでは、ボーがいつまでも優柔不断なポンコツおじさんで自立できずに終わりである。

どうも他人様の解釈を見ていると、最後は罪悪感で自殺したのでは?という方もいるのだが、エンディングとしてはそれでもいいのだが、ボーは本当にそれで良かったんだろうか。そこまで自分の「イノセンス」を守る必要があったのだろうか。その純真さが今回のテーマなのだろうか。

私は子供は親に反抗してこそ親から自立できると思っている。親を恨むのではなく、恨む暇もないくらいに反抗するべきなのだ。決して彼らを恨んで妙な繋がりを残してはいけないのだ。映画にある通り、「足枷」を切って、次に進まなければならない。


テーマはとてもわかりやすいし、なんなら話もわかりやすい。

私は、気の狂った退役軍人キャラ「ジーヴス」がものすごい好きで、出てくるたびに大爆笑だった。特に、ボーが真面目に電話してる時に後ろでぴょこぴょこ顔出したりしてるのが楽しかった。そういうコメディの才能がありながら、ちょっと中途半端かな。

できれば大爆笑変態コメディホラー映画にしてほしかった。上のような、妙なキャラクターや斜め上の展開はゴールデンカムイみたいですごく楽しいので。


なお、アランウェイクとの共通点は結構多く、アランウェイク慣れしてる私には特に違和感がなかった。

むしろ、ボーが気を失ってから気が付くまで同じ場所にいるのが不思議に感じた。アランウェイクなら別世界に飛ばされることが多い。

「これは俺の物語だ!」はアランウェイクと全く同じセリフだ。



2024年2月11日日曜日

「白夜の夜」(アランウェイク2)精一杯の考察

このショートムービーはアランが劇場で観るもので、見なくてもクリアできる。ショートだが、15分以上ある。

全編がフィンランド語で、字幕で内容を理解するほかない。

主人公はアレックス・ケイシーだが、アレクシ・ケサとなっている。もちろんサム・レイクが演じている。

あとはバーバラ・ジャガー。

アラン・ウェイクを、トーマスゼインが演じている。

アーティーは端役だがセリフも多い。


ケイシーはずっと初恋の「バーバラ」が忘れられないという設定になっている。だが、バーバラはアランの未亡人となっているのだ。ここは注意。

ケイシーはアーティーに「俺は呪われているのか。ループにハマっているのか。この町に戻ってきてしまった」とぼやく。そしてバーバラに、「今回は一緒に来てくれ」と頼むのだが、バーバラは待ち合わせた井戸で謎の酒「白夜の夜」を飲ませる。

そして例のカルト教団に生け贄として殺されるのだが……

もう一つ気になるのは、「ケイシー、お前がマスターに選ばれた」というフオタリ(ヤッコが演じてる)のセリフである。

このあと、井戸からアランが神のように登場。

なんとこの時の字幕が日本語と英語で違うのだ。

英語「Thank you, my love.」

日本語「ありがとう、アリス」

日本語では「アリス」と言ってしまっている。

このセリフはエンディングともろかぶりしているので、この映画が伏線になっていると言ってもいい。


しかもこの劇場で「実際の」アランは「グランドマスターに会わなくては」と言っている。実際ミッションにもそう出るのだ。だが会った記憶がない。おそらく誰も、会ってないのでは。(生け贄はいた)

このゼインの映画通りに解釈すると、マスターはバーバラとアラン。もしくはバーバラ。バーバラの目的はアランを呼び戻すことだが、代わりにケイシーをあの「執筆部屋」に閉じ込めなければならないらしいのだ。

この映画の正しい解釈はなんだろうか。

  • トーマス・ゼインはこの映画を作る時に自分そっくりのアラン・ウェイクというキャラクターを思いついた。
  • バーバラは本当にゼインの恋人である。なので「アリス」はちょっと飛躍した翻訳になるが、「愛した人が助けてくれる」のは本編と同じ筋書きであり、アランもゼインの物語通りに動いている。
  • アレックス・ケイシーはこの時からキャラクターとして存在していた。アランが生み出したキャラクターではないということになる。

もし、本当にこの映画がトーマス・ゼインの作品だとすると、今のアランはやはりトーマスの筋書き通りに生きてしまっている感じがする。それはケイシーもである。

ゲームの中ではケイシーはおそらくループから抜け出している。それは、トーマスが「書かなかった」サーガというキャラクターが登場したからだ。

トーマスの作品にヒーローはいない。

アランが今回目覚めたのは、「ヒーローを書こう」と思ったからではないのだろうか。前作は、かろうじてアランがヒーローではあったが、もしトーマスが彼のためにろくな出口を用意していないのであれば、アランが自力で、闇に影響されないヒーローを書かねばならなかった。

そう考えると、サーガの登場は必至だった、ということになる。

2024年2月8日木曜日

ALAN WAKE2 キャラクター考察

ネタバレ度が低いキャラクターの順で行きます。下に行けば行くほどネタバレします。

ですが、全体的にネタバレしていると思ってください。(クリア後の閲覧を推奨)

考察が追いつかないため(特に白夜の夜がまだ理解不能)修正更新するかもしれません。


闇に囚われない(強めの)人たち

サーガ・アンダーソン

最初なぜこのキャラクターを主人公に持ってきたのかわからなかったが、どうもサム・レイクの説明を聞いていると、「2からプレイする人も、FBI捜査官の話なら入りやすいと思ったから」だそうで、それなら納得だ。

1のサラ・ブレイカーのような、強気で闇の人にも怯えず戦えるタイプの女性である。

サム・レイクはおそらく強い女性が好きなのだろう。ジェシーなんかもめちゃくちゃ強いし顔立ちもきつい。バーバラ・ジャガーも美人というよりすごく気が強そうで笑顔も優しくはなかった。

サーガの特技は内面世界で物事を整理して推理する力だが、割と最初から霊的な予感はしていた。そもそも、「死んだ人」に尋問して答えが返ってくること自体がおかしい。なので最初「イタコ」と呼んでいたが、ほぼ本当だった。

だがアランウェイクの世界では人々が詩のような答えを返す。単純でわかりやすい回答をしてくるのはせいぜいローズくらいのものだ。つまりローズはアンポンタンなのだろう。でもとてもわかりやすい。トランプにあっさり騙されそうな性格だ。だけど美人なんだよ。アホは可愛く描くのかもしれないね。

そしてジェシーと同じく、サーガは自分の内面世界で鮮やかに自信を取り戻し、闇の誘惑を追い払う。これこそが、サーガの本質的な能力の真骨頂。強い軸、ぶれない信念である。

これはCONTROLでいうところのジェシーの「ポラリス」ではないだろうか。

ポラリスに関しては明確な説明はなかったようだが、個人的には、ジェシーの信念だと思っている。最初母親の魂みたいなものかと思っていたが、遠くない。母親から自立した後、人の中に残るのは、自分を守るもう一人の自分自身だ。


アンダーソン兄弟

今回は高解像度、しかもバンドの演奏もバッチリ見れるし、ミュージカルパートでは実写である。実写は若い人が演じるのでちょっと違和感はある。

トールは暴力的で問題児と描かれていたが、私はあまりそこは気にしていないつもりだ。もちろん、オーディンの方が優しいには違いないが、トールはそれほど間違ったことは言っていない。毒舌なだけだ。

なおシンシアに誘惑され、シンシアに毎日のようにハート型のチョコレートを贈っていたらしく箱がたくさん散らばってゴミ箱から溢れていた時は、ちょっと泣きそうになった。トールはああ見えて純真な男なのだ。どこの世界にピンクのハートの箱を毎日届ける男がいるね。絶滅危惧種だぞ。

2周目はぜひプレイしていただきたい。アンダーソン兄弟は多分死なずに闇の世界で生き続けるんだと思う。そうしてくれれば嬉しい。彼らなら、苦しいと思うこともないだろう。

そう、アンダーソン兄弟はシンシアには騙されたものの、それ以外ではほとんど影響を受けていないのだ。サーガの現実改変だけは、少しかまされていたようだが。

トールのセリフで今回好きなのは「アーティーのフィンランドタンゴなんか聞いてたら頭が変になっちまう、陰気くさすぎて」みたいなことを言っているシーン。ちょっと聞き逃しやすい。


ティム・ブレイカー

とても可愛らしい顔で一度見たら忘れることはない。サラ・ブレイカーの従兄弟と知ってますます好感度大。

鼻歌を歌うのが好き。うっかり闇の世界に召喚されたが、さすがサラの従兄弟だけあって闇に一切影響を受けず、ずっとミスター・ドアの推理をしている。彼に言わせると、「自分を召喚したのはミスター・ドア」なんだそうだ。

しょっちゅうアランの前に姿を現し、地図やアイテムをくれる。ティムの確保した部屋は闇人が入ってこない。これも特殊能力なのでは。サラも全然影響されなかったしな。


コスケラ兄弟

たまにマジでうざいと思っていたのに最終的にはなんか大好きになってしまう変人兄弟だ。

この二人はすごい。特に兄のイルモは積極的な性格とみた。

  • 違法なコールドロンレイク周辺の山岳ガイド。
  • 遊園地「コーヒーワールド」の経営。
  • コーヒーやアーマビールのCM作成(低予算すぎて逆に笑える)。
  • バイクショップの経営。
  • ディアフェストのフロート作成と販売。

全て彼らが行なっている。つまり起業家。積極的にブライトフォールズ周辺の地元おこしをしているのだ。極め付けが、カルト教団として闇の存在と戦う、「樹木の教団」である。だが、彼らは宗教をするのではなく、単純に闇が送り込んでくる闇の人たちを捕まえて心臓をくり抜いてクリッカーで葬っていたのだ。ま、確かにやってることはグロいが、彼らは心臓抜いただけでは死なず、サーガも殺されかけた。

結局最後に残るのはイルモのニヤニヤ笑顔である。あれの影響は強烈。なんかこっちに伝染するニヤニヤ笑顔、で覚えてしまったくらいだ。笑顔だけで笑わせにくる、強い能力の持ち主だ(?)。

ヤッコはテンション低いが怒るとハイテンションになる。全く違う性格の兄弟だが、実は俳優が同じ人である。双子の設定だそうで。

彼らのおかげでフィンランド文化に少し詳しくなった気がする。(フィンランドのコーヒー消費量は世界で2番目と言われている。サム・レイクもぶっちゃけコーヒー中毒である)


ローズ

闇に囚われそうで囚われない。相変わらずちょっとアホっぽくアラン推しでシンシアと同じ役割を果たしているが、まだ若いみたいだ。

アランには完全に恋をしていてファンアートでは超イケメンのアランを描いている(結構うまい)。

アホだけど、案外闇が何をしているのかは理解している模様。それにしても美人なのにアラン推しすぎて、恋人とかいなさそう。


パット・メイン

なんと老人ホームからラジオを発信している。が、ボケてきているのが切ない。


闇に囚われる人たち

ナイチンゲール

前作でバーバラに一瞬で闇送りにされた人。13年の時を経て、闇の底より現実に送り込まれた。本人にどのくらいの意思が残っているのかはわからないが、完全に闇の力を示すサンプルとして序盤で扱われている。一瞬だが彼を冒頭で動かせるのがちょっと切なかった。

ナイチンゲールは元々、同僚が闇に囚われる前は普通のFBI捜査官だったらしいので、なんかこれでいいのかな?という気分になった。全裸だし(一応ゲームではパンツ履いてるが、設定画ではちん○が見える)、心臓取られてるし、肋骨をぼきぼきにしながら襲ってくるし。


マリガン&ソーントン

冒頭に出てくる少々だるそうなブライトフォールズの警官たち。序盤から無線のやり取りがすでにイチャイチャしているというか、仲が良すぎて気持ち悪い。

彼らはうっかり関係のない人間を殺してしまい、死体を井戸に隠したのが原因で同時に二人とも闇に落ちるが、まさか井戸から仲良く出てくるとは。マリガンは比較的普通なのだが、ソーントンが結構ウザめの性格。


シンシア・ウィーバー

「ランプレディ」として、前作で大量の光や発電所を用意しアランを成功に導いたおばちゃんだが、それは全てトーマス・ゼインのためであり、彼の忠告に従ったまでだった。ローズよりさらに異常な執着をトーマスに示しており、彼が闇から帰ってこないため、彼の形見である「エンジェルランプ」をローズに取られてから完全に狂い、トールを巻き込んで闇の世界へ突入し、ボスキャラと化す。

正直このキャラクターは可哀想すぎるが、推し活は分散しなければならないという世に溢れる忠告の具現化がこれじゃないかと思う。こないだGACKTと結婚したと言い始めた女性がいたが、それを思い出した。彼女が面白いのは、「結婚証明書あります」と偽造の画像まで出してきたことだ。果たして彼女が本気でやっているかはわからないが、シンシアなら本気でやりそうである。

シンシアが生み出す「闇の塊」はトーマスと結ばれない彼女の怨念だと思う。それのダメージがすごい。シンシアにはどうか安らかに眠っていただきたい。


アレックス・ケイシー

超強面のFBI捜査官。サーガの相棒である。サーガは既婚者なので恋愛関係は皆無。ケイシーは離婚歴あり。かなり落ち込んだらしい。

顔がめっちゃ怖いのだが、モデルはサム・レイクである。サムは普段はもう少しふわふわニヤニヤした顔をしているのだが、わざわざ怖い顔をして演じているらしい。

私の最初の印象は「ヴァンパイアの末裔」だった。色素が薄く、オールバックの紳士で目つきが険しかったため。

こいつラスボスだろと思っていたら、なんとほぼ当たっていた。ギリギリアランによって助けられ、ケイシーが殺されることはなかった。

ケイシーは雰囲気は実にFBIだが、才能はサーガには勝てない。サーガは例のイタコ能力があるし、ケイシーの意見や推測はどうも的外れなパターンが多かった。

サム・レイクが望んだことかはわからないが、アランの小説の中で殺されるし、映画の中でも滅多刺しにされていた。どういう願望持ってんだ。

なおTVに出る時と、ミュージカルで踊る時はとてもいい笑顔をしている。


神の領域の力を持つ人たち

スクラッチ

前作でちらっと悪意に満ちた笑顔を見せてきたが、こいつが続編の「アメリカンナイトメア」で暴走するらしく、そっちもプレイしたかった。

どうも海外サイトの情報などを繋ぎ合わせると、1で闇の世界で原稿を描くアランの代わりに現実で活動するアランがやはりスクラッチだったようだ。推測は当たっていた。そりゃそうだ、原稿書きながら活動できるわけがない。

最初は原稿の通りに行動していたスクラッチが意思をもち、アランの原稿に書き加えたり自分で小説を書くようになったらしい。

しかしスクラッチの書いたエンデイングは本当にポンコツである。エヴァンゲリオンアニメ版のポンコツっぷりとちょっと似ている。でもあれはまだいい方だ。

ディアフェストが延々に続く世界なんて、まともに続くわけがないと思うんだが一体どうしたかったんだろうかw意外と明るい性格なのかもしれない。あと多分承認欲求がすごい。下手すると5歳児。「ママ見て!褒めて!」系の幼い欲望を感じる。

スクラッチの正体は闇の存在であり、人間に取り憑いていない時は倒せない。

この塊、「余剰次元生命体」に似てませんか。気のせいでしょうか。余剰次元生命体も絶対倒せないのですよ。まあ、次元が一緒じゃないからかもしれませんが。


ミスター・ドア(ウォーリン・ドアー)

ティム・ブレイカーの調査によると、1988年までブライトフォールズに住んでいたが、コルドロンレイク付近で稲妻に打たれ消えたという。

サーガの父親である可能性は大らしい。トールはぼかしながら「お前の父は面倒なことになっていた。だから引き離そうとして、お前の母に嫌われた」等と語っていた。

面倒なこととは何なのだろうか。

アランと直接真面目に話すシーンがあるが、「お前は私の大切な人を巻き込んだ」と言っている。

また、「私の邪魔をしないでくれ」と言っているので、単独行動なのか。とにかくアランのことをよく思っていないのは伝わってきた。おそらくアランの小説にも左右されてなさそう。

ティムブレイカーを闇に引き摺り込んだのは彼で間違いないので、能力者である。


アーティ

彼もまた能力者だが、もしかしたらすでに人間ではない可能性がある。CONTROLで周りが狂う中、真実を語り続ける。ヒスに影響を受けず、闇にも囚われないが、闇の底にも現実にも自在に存在する。仕事はいつも清掃人である。

フィンランド移民で歌がとてもうまいが全部フィンランド語である。個人的にフィンランドのノリは結構気に入った。テンションも癒し系である。

彼のバケツから溢れる水はサーガやアランを闇と表、両方の世界を行き来させる媒介物質である。

アーティーは常にサポート役なので、創造者ではないだろうが、エンディングへの扉は彼しか開けない。


バーバラ・ジャガー※考察不足

今回は「白夜の夜」という短編映画に登場。実写で美人だが、どこかきつい印象がある。トーマス・ゼインの恋人だというのだが、彼女に何があったのかいまいち定かではない。前作では湖で溺れ、死んだところをトーマスが生き返らせたらもうバーバラではなかったらしい。心臓がなくなっていたのだ。

ただここで注意しなければならないのは、日本語で「心臓」と「心」は別の言葉だが、英語だと両方「Heart」であるところだ。

つまり「心臓がない」は「心がない」にかかっていて、バーバラは心を無くしたということだと思う。

この伝説により、樹木の教団では湖から這い上がってきた者は心臓を抜いてクリッカーを中で作動しなければならないとされている。実際それで退治できるようだ。冒頭でそれをナイチンゲールにやったので気持ち悪すぎた。しかしクリッカーを作動させるのに失敗したため、心臓がないまま動き回ったのだ。


トーマス・ゼイン

信じられないが今回実写で出てきたのに、なんとアランと同じ顔であった。同じ役者なのだ。だが手抜きであるわけがない。とても重要な人物なのだから。ここから推測されることはいくつかある。

  • 実はアランはトーマスが生み出した存在である説。
  • 逆にトーマスはアランが生み出した存在である説(これは厳しいかもしれない)
  • トーマスとアランは同一人物で、闇から戻ってきたのがアラン?
  • アランが今回会ったトーマスはスクラッチで、偽物
海外サイトで調べたところ、「1番」説が濃厚。最初に現実化する能力を手に入れたのはトーマスゼインのようだ。そう考えると確かに色々納得する。また、サーガに影響を与えたように、アランが生まれたあとでちょうどいい人物として、ゼインが使用した可能性もある。(アランは実在する人間を小説に組み入れて現実を捻じ曲げることが多い)
また、同じ顔、周りがやたら「トム」と呼んでくるところからも、生み出されたコピーである可能性は高め。

アラン・ウェイク

今作は「ループ」がテーマの一つであり、一周めで「ループではない。螺旋だ」とアランが気づく。これはすなわち、ループを繰り返すごとに少しずつ事象が改変して、上昇できるという概念。

2周目のエンディングで「ループさせないように」アランが気を遣った結果、見事にスクラッチだけを消し去って、アランは息を吹き返す。

この事象をよく注目してほしい。

アランは眉間を「光の弾丸」で撃たれる。光がどう?はさておき、眉間が大事だと思う。眉間というのは第三の目の場所である。

西洋でそれがどう扱われているかわからないが、ヨガではよく第三の目を開けと言われる。ヒンドゥー教や仏教などに出てくる概念である。

第三の目が開くとどうなるかというと、今まで視覚で見えていたもの以外も見えるようになると言われている。

つまり鬼太郎の父が言っていたような、「目で見るものだけ見ようとするから見えんのじゃ」と言っている「見えないもの」が見えるようになるということだ。

最後にアランが「あまたの世界の主になった」と呟く。作家なので何を言っているかわからないと思うが、いくつかの次元・マルチユニバースを行き来し、現実を改変できる能力が身についた可能性がある。それが、第三の目が開眼した結果ではないだろうか。

ほぼ神に近い。

どうでもいいがアランが生まれた年が私と同じだった。驚愕だ。私はアランと共にこのストーリーを歩んでいる。

まだ晩年ではない。もう何作か、アランは書かねばならないだろう。今度こそ、歴史に残る作品を、アランは残したいのではないかと思っている。それはアランを現実に引き戻す作品となるのだろうか。


アリス・ウェイク

アリスは前作で湖に引き摺り込まれ、アランによって救い出されたが、戻ってきたアランがスクラッチであることを知り、アランを助けるために再度湖に自ら飛び込んだ。それを自殺としてアートにしたため、アランは一旦は死んだものと受け止め非常に怒っていたが、それこそがスクラッチの思う壺であった。

アリスが本当にアランを助けるために飛び込んだことは後ほど明らかになる。

そして実際に2周目でアランを導いたのだ。

さてアリスは闇のどこにいるのだろうか?

ネットでは諸説あり、次のラスボスはアリスではないかとの説まで出回っている。

夫婦ともに現実に帰れる日は来るのだろうか。その時、一体何歳なんだ。


アリスの問題は「アランより稼げないフォトグラファーであること」。それが新たに浮き彫りになり、なんだか切なくなった。しかし、アリスの撮った写真は今回アランとサーガを救った。アランにも「この写真の撮り方はアリスだ」と言われている。もしかしたらアランが甘やかした結果こうなっているのかもしれない。

アリスが自立したフォトグラファーになれたらいいなと思う。

 

2024年2月2日金曜日

ALAN WAKE2 バトル動画

バトル動画を撮っていたのですがとても良い出来でした。普通にプレイしているのに完全にホラー映画のクライマックスみたいです。

ぜひヘッドフォンでお聞きください。

今回もサウンド設計が素晴らしいです!

ただ、カッカして眠れなくなるかも…

マリガン&ソーントンについて

このコンビは冒頭でケイシーに「あいつらいいコンビだな」と言われていたのが、伏線でした。また署内メールで借金返さないだのなんだのとイチャイチャしていたキモいほどの仲の良さです。そりゃ一緒に井戸から出てくるわな。

で、私の現在の流行語大賞は「なんてこったソーントン」なのですがw

「What the hell, Thornton?」

これは直訳したら「一体どうしたってんだよソーントン」って感じだと思うので、何かをやらかして「なんてこった」ではないと思うんですよ。

文脈的には合ってそうですけどね。

このバトルは、ひたすらコンビがお互いを呼んで答えてるだけです。

「I got it Mulligan!」は「大丈夫だマリガン」というよりは、「まかせろマリガン」だと思いました。 

また、マリガンがいびきをかいているような音を立てていますが

前作も至るところでいびきの音が使われていました。

これはすなわち、Takenは「悪夢を見ている状態」と理解して良いと思います。


そしてナイチンゲールがひたすら喋っている内容も、アランの原稿を読み上げているだけ。

彼らはアランの原稿に操られている。

アランの能力は神がかっていますね。


次回の投稿では、その辺を掘り下げたいと思っています。

(アランウェイクは考察しなければ意味がない)


サムが楽しそうにエアロビしている動画も撮りました。


2024年1月28日日曜日

哀れなるものたち

今年のアカデミー賞は日本人の快挙だと思う。

国際長編映画賞にノミネートされたのは2022年に引き続きだが、ジブリ映画のヒット(これは主にジブリというブランドが海外にも浸透していることの表れだと思う)、また視覚効果賞にゴジラ-1.0がノミネートされていることに驚きだ。

VFXはてっきり米国のものだと思っていた、アニメ大国の日本としては快挙ではないだろうか。

しかも日本の映画でスケールの大きいものを作ろうとするとどうしてもゴジラに頼りがちであり、ゴジラは米国でも映画化されているが元々日本のコンテンツである。そのコンテンツで見事アカデミー賞がとれれば、いうことないのだが…。

もちろん洋画も重要なので、私はリストにディカプリオやグレタガーウィグの名前がないことに驚きつつも、「哀れなるものたち」が高評価なところに目をつけた。独特のポスターやチラシのビジュアルで一体エマ・ストーンは今回何をやらかすのか気になっていたので、あらすじと予告だけ見て観ることにした。

18禁だし、グロいかエロいかのどちらかである。

結論からいうとセックスのシーンが非常に多く、主人公のベラは性欲が旺盛なため、劇中で10回くらいはセックスシーンがある。

と言っても、主題がセックスなわけではない。

セックスはあくまでツールであり、メッセージを伝える手段の一つである。

ベラのセックスシーンは、「女性が男性に支配されることからの解放」を示している。

ベラが冒頭で自殺をすることの理由は最初はあえて伏せてある。

最後にその理由が明かされる一連の構成が素晴らしかった。

ベラはセックスが大好きだが、本来男たちにとってそれは喜ばしいものであるに違いない。実際ダンカンは彼女の奔放なところに目をつけて、愛人のごとく彼女を旅に連れまわし、彼女に「俺に恋をするな」とまで言っていた。

なのに、自由奔放なベラに、ダンカンは夢中になってしまう。これは男性の不思議なところである。自分でも、「愛人を支配したいなどというバカな男になりたくなかった」と言いながらその通りになる。

「バービー」とはまた違った視点で、ある意味かなり「性的に」男性の本性を描ききる本作は、これもまた男性に見せるのはなかなか辛いものがある。日夜Xで激しい論争が交わされている通り、男性はわがままなのである。成人男性は力や衝動が強いので、彼らの機嫌を損ねると殺されかねない。だから我々は仕方なく成人男性を優遇しているのであり、機嫌を損ねるのを恐れて指摘することも避けていた。それを昨今の映画は生々しく描き切ってしまうのである。

今のところバービーのせいで殺人事件が起きたなどという話は聞いていないので、大丈夫だと思うが…。そもそも映画館に行ってこのジャンルを見る男性が殺人衝動を持っているとは考えにくい。そういう人は多分エクスペンダブルズとかを見ていることを祈る。(ちなみにエクスペンダブルズ ニューブラッドではステイサムが「女性に敬意を払え。」と言っていた)

話を戻すがこの映画は「コメディ」である。

私が笑ったのは、ベラがセックスに一時期興味を失い、哲学の本に夢中になっていたとき、ダンカンがそれが気に食わず、本を勧めてきたおばあちゃんを「殺す!」と言った時のことである。

まず「殺してやる!」と部屋を出ていくダンカンを、大急ぎで追うベラが、てっきり殺人を止めるのかと私は思っていたのだが、どうも違うことにすぐに気づいた。

ベラは、興味津々の笑顔を浮かべていた。これからサーカスでも見る時の目つきだ。

ベラは、殺人が行われると聞いて大興奮し、是非とも自分の目で目撃したいと思っていたのである…。

これだけでも笑えるのだが、車椅子ごと海に放り出そうとするダンカンを尻目におばあちゃんが「おほほほ」と笑っているのもとても可笑しい。当然ながら白昼堂々の殺人未遂は船員によって止められた。その間、ベラはずーっとおもしろそうにそれを見て大喜びである。

このベラの残忍さはおそらくGOD(ウイレム・デフォーのこと。確かに神っぽい)の影響である。彼女は割とウザい人に対して残忍なのだが、貧困に喘ぐ一般市民を見た時は胸が張り裂けんばかりに泣き叫んでいた。

つまりベラにとって、「彼女を縛りつけようとするウザい成人男性」は殺害対象なのだろう。

これは正直に言おう。ベラは私の普段の鬱憤を晴らしてくれる優れた代弁者なのである。

また、ベラは始終ロジカルに自分の置かれている状況をテキパキと説明し分析する。(これもおそらくGODの影響である)この時、ベラは美しいイギリス英語で話すのだがそれが彼女のきつい外見にマッチしていて素晴らしいし、意志が強そうに聴こえる。彼女は胎児の脳を移植されているので、大人がオブラートに包むこともそのイギリス英語でハキハキと言ってしまうのだ。

またこの映画の素晴らしいところは衣装や美術にもあると思う。

確かにセックスシーンは多いものの、ベラが入れ替わり立ち替わり着替えてくる衣装はどれも独特で芸術点が高い。なぜかエマの生脚を出すデザインになっているのは、おそらくエマの脚がとても綺麗だからだと思うが、これをセクハラと呼んでいいのかいまいちわからなかった。芸術的であれば、それはセクハラとは言い難いのかもしれない。あと日本の文化だと、やはり胸元をギリギリまで開ける方がエロいだろうし、アニメを見ても巨乳好きなのがわかるがエマは胸があまり無いのだ。

それから、すけべな男性にとっては非常に辛い現実になるかもしれないが、ベラが一番気持ちよさそうにしているのは女性とのセックスシーンである。


全体的に変態で気の狂った内容だし、結末が割とホラーなところすらあるが、女性を男性の性的な束縛から解放するというテーマは素晴らしかった。「バービー」の方が上品ではあるが、上品だからこそ男性はネチネチやられてる気分になるかもしれない。「哀れなるものたち」はやることが豪快なので、すっきりした気分になれるし、特にダンカンが振り回されるさまは見ていて爆笑であることは間違いない。

2024年1月20日土曜日

ゴールデンカムイ実写、よかったのでお勧めしたいです!

ゴールデンカムイ実写は前からとてつもなく心配されつつ、とてつもなく期待されていたと思う。私としてはやはり「百聞は一見にしかず」。それにファンなら観てからものをいえと思うので、ど真ん中とって観に行ってきた。

私はこの作品を映画としてかなり高く評価したいと思う。

まず冒頭の日露戦争のシーン。かなりたくさんの戦争映画を観て、戦争ゲームを経験して目が肥えている私でもとても頑張っていると思えた。

それに何より、杉元が不死身であることを、この冒頭で示さなければならなかった。

山崎賢人さんは童顔だし、体格も大きくないけれど、だからこそロシア兵に突っ込んでいく姿が無謀すぎて説得力があったかもしれない。

あとアクションが、この映画、全編を通してとてもよくできている。これも散々、ステイサム映画を観た私が言うので結構信ぴょう性あると思っていただければ。

ゴールデンカムイは原作だとよく「人が吹っ飛ぶ」シーンがあるけれど、普通にワイヤーアクションで再現されていた。実写なので結構迫力がある。

キャラクターもよく再現されており、原作の持つ特徴をそれぞれの役者が独自に噛み砕いて命を吹き込んでくれていたと思う。特に気になった順に感想をば。

鶴見中尉。

ゴールデンカムイで最強の男。それは権力やカリスマ性、知能や戦闘力を含めて全てだけれど、彼の軸は「狂気」にある。彼はスパイの事件の後ネジが外れて狂ってしまっているのだ。

それを実写でやるのだから初対面から何か異様な目つきをしていなければならない。というか映画、ずーっと玉木さんの目つきが異様だった。演技力半端ない。

それから玉木宏さんは昔から声が特徴的だったけれど、それがとても効果的だった。鶴見中尉は張りのある声で第7師団を束ねなければならないのだから。

体格はもう少し大きいイメージがあるけれど、スタイルがいいのであまり気にならなかった。シュッとしてた。

あと、例の「ターミネーター走り」をちゃんと実写でやってくれたのには恐れ入った。あれ怖いんだよね。

白石

白石はできる人多そうだけどイメージにかなり近かった。それから独自の解釈でスキップしながら移動したり、原作にさらに演出を加えた感じも良かった。

ネズミ男のライト版といったところか・・。実写でやられると、なんか笑える。

土方歳三

舘ひろしさんは、土方をやりたかったができると思っていなかったそうで、大変このキャスティングを喜んでいたらしい。舘さんはスタイルがいいので、原作にかなり近いものを感じた。いわゆる「かっこいいおじいちゃん」であった。

永倉新八

いやこれ、実写が先じゃないの?!!!くらい似ていてなんか奇妙な感覚を受けた。アランウェイクみたいに、「いや、この人、漫画が先だよね?あれ??」ってなるやつw

月島

基本「はい。」しかセリフがないのだがなぜかガッツリ月島だった。口数少ないのがすごくいい。あの地味さ、ファンは絶対惚れる。鯉登少尉が楽しみ。

尾形

メイクのせいか意外にも尾形っぽかった。まだそんなに喋るシーンはないが・・。

谷垣

大谷亮平さんのセクシー(名詞)がしっかり役割を果たしており、まだ脱いでいないがすでにこのマタギ、スケベすぎるッ!状態であった。声も合ってる。

牛山

脱いでると「なんか違う」と思っていたが、白石を追っかけ回す姿は確かに牛山。

二階堂

どうしてこんなにしっかり原作に似せてしまったのかwwこれも実写だと笑えるが確かに実写化したらこんな感じだろう。

フチ

フチは写真が出た時から似すぎだろと言われていて、この人も、「あれこの人に合わせて漫画描いたんだっけ?」となった。

アシリパ

個人的に満点。アシリパは媚びたかわいさは全て排除されていなければならず、できればメイクもしないほうがいい。

また、「ザ・クリエイター」のアルフィーのような、中性的なアジアンな雰囲気が最高だった。色が白くて、少し頬が赤いのがちょうどいい。

強いて言えば、カラコンはもうちょっと考えた方がいい。カラコンで縁を青くしても、ライティングで茶色の目であることがバレてしまっているからだ。これは難しいけど、CGで後処理するか、本当に目の青いアジア人を連れてくるか。いないかな。見たことない。

杉元

杉元のキャストが一番懸念されていたと思う。山崎賢人くんだと確かに体格的には小さいと思うんだけど、演技力はかなり高いと思った。彼が色々な映画に起用される理由がわかった。

杉元は血の気が多く少し狂気じみているところもよく出ていた。鶴見と同じで、目に狂気を感じる事が結構あった。


ゴールデンカムイは基本軸に「狂気」があり、それを知らないで観に行った人はなんか怖い、と思うかもしれない。だけど、この作品のキモは狂気だ。

それをシリアスにしすぎず、程よく、いや、少し過剰な時もあるが、ほのぼのとしたシーンと、ぶっ飛んだギャグを差し込んでいくのがゴールデンカムイである。

その点で言うと、今回の映画は「もうちょっとギャグのシーンはメリハリつけてかっ飛ばしても良かったのでは」と思った。

一応ギャグのシーンはあるのだが、まだちょっとぎこちない。

とはいえ、アシリパさんの役者さんがそこそこの変顔作ってくれたのでよしとしたいと思う。

熊とレタラのCGも悪くなかった。極端にCGという感じでもなく、でもCGだとわかる感じw

ロケ地は本物の網走監獄使ってると思う。半年前に見たのでおそらく間違いない。
にしても、日本を舞台として日本の歴史をベースにしているから、海外展開も良いのではないだろうか、この映画。アクションもキレッキレだし戦争シーンも刀戦闘も爆発も熊もあるから、絶対ウケると思う。

客層は、ゴールデンカムイ展の時も思ったけど本当に幅が広く、定年退職したようなご夫婦から若い層まで本当にバリエーションがあって、ちょっと感動した。

2024年1月13日土曜日

ALAN WAKE2(3)一周目クリア(&ボス攻略)

アランウェイク2をクリアしたのですが、「あっさり終わったなあ」と思っていたら、驚いたことに、どうもループしたらしいのです。

今回は、闇側の攻撃は「ループさせる」ことでした。

その名の通り、ゲーム内には序盤から結構ループの表現が多いです。

これは、制作側も結構楽ができるので、相変わらず省エネで頭いいなあと思いましたw

何度かループさせながら、少しずつ変化するマップの変更点を調べることによりループから脱出するギミックが仕込まれています。

(最近ではCoDでも洗脳された主人公がループから脱出するべくウロウロするシーンなどがありました)

つまりですね、結論を言うと

「もう一度アランウェイク2を最初からプレイしなければ、真のエンディングに辿り着けない」らしいのです。

ネタバレは見たくないので、どうやらそういうことらしいというところまでは調べました。

「最後の草稿」"Final Draft"と言うタイトルで2周目が用意されていたので、これは単なるやり直しではないと確信したので、必ず変化があることを信じてプレイしています。ちなみに武器とチャームは引き継ぎされていたので少し楽です。

あの強烈なミュージカルシーンを見た後、ネットの記事などを調べていたらGAME AWARDSの動画に辿り着きました。

アランウェイク2は2部門で受賞。1回目はしっかりしていたサム・レイクも2回目の受賞では感極まって涙声になっていてちょっと可愛かったです。

というか、ゲーム内のアレックス・ケイシーが最後らへんに見せる可愛らしさでやられますね。顔が怖いのでギャップが激しい。2周目だとさらにそれが沁みてきます。コワモテのケイシーに対しサーガの娘が「もっと笑いなよ」みたいなことを言っていて、初対面だとそれが普通のセリフに聞こえますが、2回目だと「彼も笑うことができる」ことを知った後なので2周目の必要性を感じました。

話を戻すとサム・レイクがディレクター賞を受賞した時に言った「信じることは大事なこと」が本編をやり直すことに繋がるのが重要で、彼の中では軸が非常にはっきりしているのだなと感じました。

アランウェイクはファンタジーだしアランが書いたことは現実に起きてしまいます。

だからこそ慎重にならなければならないということを、前作からサムは強調しているのです。今回も最後まで、「誰もが救われるエンディングを考えなければ」とアランは必死でした。これは、前作の感想でも書きましたが多くのストーリーテラーに共通することなのです。クリエイターは制作物の結果に責任を持つことが求められる。だからエンディングは非常に難しいものだと私も思います。

エンディングで映画の評価が分かれると言っても過言ではないでしょう。

例えば「テルマ&ルイーズ」のエンディングは客観的に見たら絶望的なので、一見ひどい映画にも思えるのです。ぶっちゃけ救いはありません。でもその世知辛さの表現が非常に巧かったのではないか?と感じたので私の中では高評価になりました。妙な話ですが絶望を肯定的に捉えるといった内容とも言え、令和の今であれをハイテンションで表現するとクレームが殺到するのではないか?とも思えます。経済成長が著しい明るい時代だったから実現できたのかもしれません。

アランウェイク2をゲームとして捉えると問題点は多くあります。

例えばクアンテック・ドリーム社のようにマルチシナリオで緻密な選択の分岐により、ユーザーがストーリーを選択できるといった内容でも良かったはずです。その代わりクアンテックドリーム社のゲームはアクションや戦闘がほぼありません。あってもそれも選択制になっています。

アランウェイクはアクションゲームとしては少し弱いし、今回は特にボス戦以外は戦闘を極力避けることもできたし、かと思うと闇に囚われた人が集団でリンチしに襲いかかってくることもあります。(集団で来た場合は逃げられないのなら閃光手榴弾で一括でやっちゃうのがいいです)

びっくりするほど戦闘が少なくてかなり拍子抜けでした。

そしてストーリーを自在に操れるアランですが、選択肢はせいぜい3つくらいしかなく(それでも前回は全く選択がなかったので今回はかなりアランウェイクらしくなっていたのですが)その少ないプロットからストーリーを組み立てて道を切り拓くという内容でした。

これはクアンテックドリーム社に比べると相当弱いということになります。

ではなぜアランウェイクが評価されるのか?

これは恐らくですが、ストーリーや設定のオリジナリティと奇想天外な展開などが面白いから、だと思います。

そして前述しましたがサム・レイクの主張は一貫性があり、軸がブレることもなく、前作から13年経っているにも関わらず、設定を綺麗に引き継ぎ一部の謎を明かしてくれています。ユーザーは前作から考察することでこのシリーズを楽しんできました。私の考察も大半が当たっており、そういう深い楽しみ方をするユーザー向けだと感じます。

コールドロン・レイクの持つ「水としての力」の説明も私が思っていたものがセリフに反映されていました。流れる水や移動する水は浄化や変化の力を持ちますが、溜まっている水は毒素を溜め込んだり、日本では特にボウフラの巣になったりもする。水には驚異的な力があることが示唆されています。

また、今回はアランのダークサイドも比較的明確に描かれていました。アランにはあまり自覚がないのかもしれませんが、やはり自分がベストセラー作家であることに執着はあったと思います。彼が焦っていたのは、スランプに陥り、その栄誉を手放しかねないと思ったからなのでしょう。スクラッチが描き出す「アランの真の欲望」の世界はアラン本人が「???」と驚くほどイカれています。でもきっと多くの人はその欲望を、大事に隠して生きているのだと、サムレイクは言いたいのだと思います。

アンダーソンのじいちゃんたちがなぜ強いかも明確に描かれており、さらに深層心理下でなぜ彼らが闇に囚われにくいのかも克明に描かれておりました。このクライマックスは圧巻だと思います。(アンダーソンじいちゃんではなく、その血を受けついだとされているサーガの深層心理ですけどね。でもじいちゃんは、マジで強かったです。トールは一度は諦めかけましたが孫に救われました)


さてとても少ないボス戦ですが、なぜかボスだけが異様に強いので簡単に攻略を書いておきたいと思います。このボスたちのせいで何度も詰んだと思いましたが、攻略を理解するとそれほどでもないです。

ナイチンゲール

ノーマルでやってみましたがこの人は冷静に対処するしかないと思います。長期戦になります。怖いですが時間をかけてじっくり倒しましょう。最初のボスのくせにかなり強いです。

奴が追いつく前に物資を補給して振り返って待ちますが、瞬間移動しやがるので避けるスペースを空けておきましょう。右に寄っておくとやりやすいです。

物資はどんなに怖くても補給しないと多分勝てないです。序盤なので2周目でも物資自体が足りません。


井戸から出てくる奴ら

貞子じゃねーか!と思いますがこいつらなんと井戸から無限湧きしますwww

片方は地面で、片方は崖の上から撃ってきます。しかも無茶苦茶攻撃力が強くバッチリ狙撃してきます。定期的に二人とも倒した方がいいかもしれません。また出てくるまで時間が少し稼げるからです。これも長期戦です。

闇の塊みたいなのをきちんと潰さないと無限湧きが止められないのですが、そっちばかりやってても難易度低でもやられてしまったのでバランスを取る必要があります。


シンシア・ウィーバー

前作でアランを助けてくれた人なのに闇のトーマスゼイン(多分スクラッチ)に取り憑かれて完全に闇の幽霊と化しています。首根っこ掴まれると半分命を持っていかれます。格好がネグリジェなので完全に西洋幽霊です。ひどいです。

彼女は前作の考察にも書きましたが「推しに狂わされた熱狂的なファン」。その末路がこんな幽霊だなんてね。このキャラクターに関しては推し活を皮肉っているとしか言えません。しかもローズがそれを引き継いでしまっています。シンシアやローズの日記や記録は、彼女らの心境を克明に綴っています。客観的に見ても恥ずかしい内容なのではw

シンシアも一撃がかなり大きいので、当たらないようにするのが攻略になりますが、幸い大きな柱がステージのど真ん中にあるのでそれを盾にしてぐるぐる回りながら攻撃を当てていきます。対面したまま何もしないのが一番危険です。

最初の位置から動かないで攻撃してたら毎回やられたので、柱の影に移動するようにしたら勝ちやすかったです。


スクラッチ

こいつに関しては倒せないので、例の光を放つ機械を起動させるまで時間を稼ぎながら攻撃するしかないと思います。うおーって叫んでる時は攻撃して来ないので起動メーターを進めておきます。最初倒せるのかと思ったりしたのですが基本は倒せないです。


それにしてもアランはなんでこんなにダークなものを抱え込んでいたのか?ストレス溜まってるんですかねぇ・・。

スクラッチはアランのダークサイドを糧にしているとしか思えないので、この物語はアランの自身との戦いになるんだと思います。そう考えると闇が深いですね。まあいわば厨二病で、40代でもそれを引きずっているんだと思いますが、人のことは全く言えませんw

最初なぜサーガを主人公として連れてきたのかわからなかったのですが、アンダーソン家の助力を得ないと今のアランでは負けっぱなしになるのかもしれないです。


おまけ:サム・レイクが満面の笑みで踊るGAME AWARDSのライブステージ

やっぱこれがやりたかっただけなんじゃとか思わせるほど嬉しそうである。
それにしてもバンドのじいちゃん役もアランもミスタードアもゲーム内の本物の役者連れてきてるから、豪華だ。


2024年1月8日月曜日

ALAN WAKE2 (2)アランウェイク・ザ・ミュージカル

ついにヘヴィメタルのシーンまで来た!

否応なしに上がるテンション。

サーガが電話で「一曲頼む」と言っただけで、じいちゃん達は車に機材を乗っけて駆けつける。途中大量のtaken(支配された者)を轢き殺していた。ロックンロールすぎる。ちなトールは先ほど死を覚悟していたはずだがww

いつの間にか作ったとっておきのヘヴィメタルを披露してくれる中(今回はじいちゃんがちゃんと演奏してくれるぞ!しかも演奏は至って真面目だ)アランを闇から召喚する儀式を行うw(今回ちょっと悪魔系の話が多い)

ここで、アランがなかなか出てこないのでアランの話に切り替わるのだが・・・

本物のアランは闇に囚われたまま。

なお、何故かTVショーに何度も出されるのだが

至るところに「アランウェイク、ミュージカルになる」というポスターや記事がゲーム内に貼ってあり、既に伏線は貼られていたのだ。(トーマスゼインは映画監督になっているポスターがある)

次のミッションはまさかの「ミュージカルに出る」であった。

なんだそりゃ。

実は攻略サイトを検索していたときに、「爆笑必至のシーンがある」と皆が言っていたのだが、これかw

唐突に始まる歌や音楽。そしてパネルがステージ内に張り巡らされており、そこに実写のミスター・ドアー、アラン、エキストラの皆さん、オールドゴッズオブアズガルド(じいちゃんバンド)などが映し出される。

歌の冒頭は「ママにクリッカーをもらった」。アランは歌が上手い。本当に上手い。ちゃんとストーリーがあり、「注目されすぎて疲れたので制作から離れた」「人生を壊すとは思わなかった」などの歌詞が続く。

そして始まるのが恐ろしくダサいダンスだ。

みんな踊れているのだが、ジャンルとしては、ラジオ体操と盆踊りとエアロビを混ぜたようなクソダサい振り付けであるw

なぜこうなったのか?色々考察してみたのだが、

・アランはダンスの知識がない

・アランは作家だしカッコよく踊っちゃいけないと制作側が思っている

・予算が不足しているのであえてダサくして笑いをとることにした

などの理由が考えられた。

CONTROLでダーリング博士が踊っていたのがウケたので調子に乗ってくれたのに違いない。(ダーリング博士とアランは同じ俳優が演じている)

注目すべきはクライマックスである。

困惑しながら踊り続けるアランの横で、サム・レイクが満面の笑みで踊っている。ものすごい楽しそうであるw

公式が病気だ。

なぜ私はいつもカオスを呼び寄せてしまうのか。

サビの歌詞が「チャンピオン・オブ・ライト」(光のチャンピオン)になっておりこれまた恐ろしくダサい。


終わった時のアランのコメント

「まさかこう来るとはね」(didn't see that coming)

に爆笑したw



アランのシナリオは闇の世界にいるので、訳がわからないことになっており、せっかくトーマスゼインが顔を出してくれたのに明らかに詩人のトムではない。

おそらくトムのスクラッチなのだろう。


それにしても2シーン連続でサムレイクの奇妙すぎる世界にあてられて音楽が頭を離れなくなってしまった。こわ〜。

2024年1月5日金曜日

鬼太郎6期の感想

私は鬼太郎3期を観て育ったおばちゃんなんだけど、映画を見てから「その後」を観たくなり、とりあえず6期完遂した。

福岡の会社のCDは鬼太郎や銀河鉄道999の話をふるとめっちゃ喜ぶので6期の話は少し彼から聞いていた。(ちなみにガンダムもめっちゃ勧められたんだけど、あれはどうしても女性の私には頭に入ってこない)

その時チラッとdアニメストアで観たのが、たまたま、本当に偶然猫娘が幼児化していて「これ萌え追求?」と思ってちょっと引いたのを覚えている。

6期の感想:

鬼太郎がクール美少年風

声の影響もあるけど、ウルフカット風なのは陰キャをかっこよく見せる演出なのだろう。
なのに、相変わらず鬼太郎がポンコツやらかすのがすごく好きで、やっぱり鬼太郎はちょっとうっかりしてる方がいい。

  • 尻子玉抜かれる鬼太郎
  • 完徹恋愛ゲームやらされて指鉄砲打てない鬼太郎
    • なぜ、徹夜させたのか父に聞きたい。
    • 親父さん、自分の恋愛がよかったから同じ思いをさせたいのかなw
  • なぜかかまぼこにされる鬼太郎(その前段階もなんかおかしい)
  • 恋愛脳にされて色んな女性を口説き回る鬼太郎(セリフが一応紳士的なのがいい。しかし顔がアレw) 
  • 猫娘に旅行に誘われて「家にいる方がいいなあ〜〜」とか言っちゃう鬼太郎
  • ババ抜きで一切表情が変わらないのを指摘されて「僕は元々こういう顔だよ」w
鬼太郎のデザインや性格は少しずつ変わっているものの、どれも基本私好みなところがすごい軸のしっかりしたキャラデザなんだろうなあと思う。

鬼太郎の父が基本強い

6期の父は強い。
あんなに小さいのに指鉄砲が核爆発レベルだったw
そして何かとしっかりしている。
あとイケメンの父が出てきた時はやはり笑ったw w w w

砂かけババアを大尊敬

  • なんと総資産一億一千万を超えている。それをあっさり鬼太郎取り戻すのに使った。
    • 妖怪なのに財力・・・
    • いや、それより思い切りの良さが半端ない
  • なんと最終回でコマンドプロンプトで動画配信を、デュアルモニタ使って行っていた。
何者・・・・・・?????????
本当にどっかの姫だったらいいのに。
同じ女性として大尊敬すぎる。

一反もめんが九州出身だった

あの方言なら長崎出身のはずなんだが
なぜか鹿児島から出てきたことになっている。
鹿児島出身の場合、鯉登少尉のような意味不明な難しい方言(失礼)を喋るはずなんだが。
鹿児島の方言がわかりにくすぎて、私はタクシー捕まえるのやめたんすよw(会話が理解できないので)
今5期を消化中だけど、以前の方がもっと九州っぽい。子供の時は九州弁がわからなかったので、今見ると色々腹落ちする。九州弁のまったりした感じは私も嫌いではない。

子泣き爺が最悪だ

これは前からそうだったんだろうけどマジで最悪だ。
砂かけババアは一億を超える資産を彼から守らなければならなかったんだろうなあw
この世界男が基本ダメで女性しっかりしすぎw

ねずみ男はさらに最悪だ

子供の時は理解できてなかったが、この人、起業家だったんだな。
にしても、ビルを建てるほど儲かったあとどうして貧乏に戻ってしまうんだw
うーんやっぱり砂かけババアをみんな尊敬するべきなんだろうなあ。
あと九州いた時のセクハラおじさんにものすごい似てて腹たつのでどうしても好きになれない。口八丁に見せかけて、ものすごい浅いんだよなあ・・・
あと倫理的にまずいビジネスをしょっちゅうやらかして、鬼太郎に永遠に退治されないのが不思議なくらいだ・・・

それにしても鬼太郎以外が女性に弱すぎてキモいw
そして鬼太郎はセクハラの現場に颯爽と現れてセクハラ野郎を退治するのでそれは惚れるわけですよね・・・w
幽霊族の男子だけ紳士なのかなあ。

猫娘の新しいデザインはあんまり好きじゃないです

なんか病んでるな〜と思った・・・
あと身長高いのはなんか違う気がしてるんだ。ずっと。


現在5期を消化中ですが、ゆるゆるふわふわしてていまいち頭に入らない時があるのですが
多分5期が一番しっくりきてる感じがする。

2024年1月4日木曜日

ALAN WAKE 2 (1)

PS5をやっとこさ購入しましたのでセットアップ後すぐにアランウェイク2を購入してインストールしました。

相変わらずのサムレイク節ですが、グラフィックは段違いに良くなりました。

CONTROLよりはわかりやすいと思いたい、あとCONTROLよりはやはり情緒がありますね。

今回面白いのが

すごい怖い顔のおじさんがずっとバディでついてくるよと思ってたら

サム・レイク本人でしたwwwww

結構このおじさんが喋るんだ・・・・・・声も怖いんだ・・・サム・・・

自分をゲームに出しちゃう人はいるけどメインキャラだぞw今回w

それから、しょっちゅうFBC(Federal Bureau of Control)が出てきます。やはりアランの件はAWEとして調査されている模様。

なのに、主人公の片割れは、FBI。FBIもじってFBCだと思ってたのでちょっと笑っている。

アランは解像度上がったら可愛くなりました。おめめが大きい。

難易度は高めです。

最初っからナイチンゲール激強すぎ。

ナイチンゲール攻略は、距離を取りながらライトと銃で攻撃し、「逃げよう」と言われたら右方向に逃げて、その間に物資は必ず補給します。物資補給しないと詰みます。

それからマップがさっぱりわからないのですがとりあえず突き進みます・・・。

その次に難しかったのが、トンネルから出てくる闇の存在なのですがとても強いので戦ってはいけません。ひたすら逃げて、隠れていると何故かいなくなります・・・。 


アーティーのみが癒しですねw解像度の上がったアーティーが何故か、地元のカラオケ大会でフィンランドタンゴ(のようなもの、多分)歌ってくれるのですが上手いです。

上手いけど北欧の歌詞むっちゃ怖い。


あと、アンダーソン兄弟高解像度で酒飲みまくりです。老人ホームの名前が「ヴァルハラ」でした・・・ww


おまけ:PS5でUHD映画を見る件:

ザ・バットマンディスク入れてみました。

うーんやっぱり良い!4Kのぼっちゃん美しいです。映画館で見てた色にかなり近づきました。嬉しいです。特に暗い部分の黒みが良くなりました。

サウンドだけ何にも用意してなかったのが悔やまれるか、、しかし今までパーソナルビエラだったんでだいぶ変わりましたwww

PS5でUHD観たい人には大変お勧めできると思います。あとはサウンドの出力だけがちょっと何がいいのか私もわかりかねまするw