2024年4月21日日曜日

エイリアン4は素晴らしきレズビアン映画だと言いたい

先日エイリアンの4部作が全てアマプラで公開された。また、相変わらずエイリアンコヴェナント、プロメテウスも公開されているようだ。見ていないのは「エイリアンVSプレデター」のみ。プレデターがちょっと苦手なので、おそらく見ないと思う(第9地区みたいにギャグにしてくれればいいんだが)。

私は別にレズビアン映画が好きなわけではないのだ。だがエイリアン4は色々な観点から同性愛的なものを汲み取れる。実際何故か最後に男性同士のキスシーンがある(が、おまけか?)。

この回に出てくるリプリーはクローンである。複数のクローンの中の成功実験体であり、意志と記憶、そして素晴らしい能力がある。

リプリーは自分の階級も覚えているが実際はもはや普通の人間ではない。

もう一人のヒロインが私が絶賛してやまない「コール」、ウィノナ・ライダーの全盛期ではないかと思う美しいボーイッシュなアンドロイドだ。

彼女は見た目はボーイッシュな女性だが、彼女も人間ではない。が、意思がある。

この二人のキャラクターは惹かれ合う。そしてなぜ、お互い生きるのかを確認し合う。コールはリプリーを最初は敵視しているが、最終的には味方になる。彼女の実験体としての悲しみに同情したのだ。この時点でアンドロイドよりはおよそ人間らしい。

リプリーは最初に正義感溢れるコールの発言を聞いて心惹かれる。ミステリアスでクールでありながら、彼女を助けると提案するが、最初はコールは信じない。だがリプリーは気づいていた。「人間にしては優しすぎる」と。

エイリアン4の面白さはリプリーの存り方にある。彼女はクローンとはいえ、エイリアンを子宮から産み出した。エイリアンの母になったのである。ここで「孫」にあたるニューボーンエイリアンが、リプリーを母と慕う。不思議なもので、リプリーもニューボーンが孫であることを肌で理解している。そして、母性を示すのだ。

この二人は自分の存在を持て余している。コールは破棄されるはずだったアンドロイド。リプリーは自分が兵器として利用されるクローン。が、コールよりは大人で、その状況をなんとなく受け入れている。

この二人の行く宛のない旅、そして、コールがリプリーを殺すはずだった運命が良い意味で捻じ曲がっていくこと、この切なさが絶妙である。コールはリプリーのトラウマを心配し同情、リプリーはコールの正直な正義感に感心し、放っておけず何かと世話を焼く。

レズビアンは必ずしも肉体関係が必要だと私は思っていない。この映画の監督は、その微妙な人間の心の機微をよく理解されていて、無理のない、奇妙な人間関係の展開を興味深く描写している。

それに何よりも私はこの映画でウィノナ・ライダーの真骨頂を知った。彼女は発声も物腰も少年っぽく、華奢な体つきも女というより男の子っぽさがある。そこにこの正直で純粋な性格をつけたのだから最高に可愛らしい。そして対するリプリーはミステリアスで大人の完璧な女性。人間の形をとりながら自分の子孫であるエイリアンの母を呼ぶ姿には母性を溢れさせてしまう。 男女でも、親子でも、姉妹でもない、不思議な愛がそこには存在していると思う。

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