2023年8月27日日曜日

炭酸系サメ映画「MEGザ・モンスターズ2」

メグことメガドロンとは、360万年前に絶滅したはずのでかいサメのことである。

私はサメが出る映画を観た後海で泳げるくらいサメのことが怖くないのだが(海の中にはもっと身近で怖い生き物がいるので)

ジェイソン・ステイサムが再度メグに挑むというなら別である。

今回のステイサムはすごいぞ。

なんと、銛を投擲してメグをやっつけるのだ。これはネタバレっぽく聴こえるが、なんか知らんけどメグが増えるのだ。何匹いるのかわからない。

メグが繁殖すると知った時のステイサムの勘弁してくれフェイスはなかなかステイサムだった。

かつて日本人が銛を投擲して集団でクジラを狩ったように。

ステイサムは容赦なく、本気でサメに投擲で勝とうとする。

リゾート「FUN ISLAND」の楽しそうな一般人に犠牲を出さないために、本人がおとりとなるのだ。

しかも、どうでもいいような変な生き物(コモドドラゴンみたいなやつ)とか、巨大なタコとか、よくわからんものまで出てくる。基本的に食物連鎖の頂点にいるのはメグなので、メグがくれば食欲があるかどうかは別として食ってくれる。

後半はリア充に恨みでもあるのかと思わせる映画になっているが、前半はうってかわって素敵な深海映画であった。

減圧症を経験している私からするとその危険度はハンパないが…(水深7000mというのは、人が存在できる深さではない)(ダイビングライセンス取得直後は15mまでしか人間は潜ることを許されていない。そのくらい水圧というのは危険なのだ)

そこでもなんと、ステイサムは特殊な訓練により数秒間だけスキンダイビングを行う(もちろん、映画のストーリー上でですよ)。まあ普通なら不可能だし、10秒くらいで目的に到達したあと、ステイサム(ジョナス)が気を失うくらいの水圧ではあるようだ。

それから海慣れしてる私から見ても、やたら何かを触ろうとしたり、きょろきょろしてビビったりしてると危険というのは同意だ。 

全体的にはステイサム鑑賞映画となっており、アクションは減ったもののまだまだ綺麗で的確なアクション、元飛び込み選手として綺麗な飛び込みや素晴らしいフォームの水泳はみどころがある。クロールってあのくらい腕を上げるもんなんだなと・・(海は平気だが泳ぐのが遅いので)

がやはり、一番の見どころはひとりでメグ3匹を殺しに行くシーンである。最後の最後はものすごい覚悟の目をしていてかっこいいぞ。

他の役者がどうしても引き立て役にしか見えないのだが

個人的には、DJがとても好きで、

ムチムチに太っているのにものすごい綺麗な回し蹴りを2回決めた上に、銃の扱いもお手の物で、ギャグも上手い。

彼がもっと出世することを祈っている。

 

全体的にさわやかなギャグパニック映画になっているのは、ステイサムの性格にもよるものなのだろうか。いくら生還したとはいえ、甚大な人的被害が起きたあとのビーチで乾杯はちょっとシュールすぎて笑ってしまった。

ほぼ常に海の中にいるので、涼しい気分になりたい人にもおすすめ。今年は特に暑いからね。

 

2023年8月16日水曜日

アダルトチルドレンの視点から観る映画「バービー」

スタッフロールで流れるビリー・アイリッシュの「What was I made for?」が心に沁みすぎる今日この頃。

すごい映画だった。

思い出すと涙が止まらない。

もしかして。もしかしたら。この映画は。

グレタ・ガーウィグが、更年期に突入してもなお道に迷い続ける、哀れな女の子である私にプレゼントしてくれたメッセージではないのか。


女性の身体の異常という成長

この映画で、バービーは開始早々身体に異常を自覚する。そして、現実の世界へイヤイヤ出発する。(予告編にもある通り、バービーは本当はハイヒールの世界にいたいのだ)

これは40代の私に生じた異変「ひざの痛み」でもあり、11歳の少女だった私に生じた異変、「月経の始まり」でもあるのだ。

女性は生涯、女性であるだけで多数の障害に悩まされる。健康な証拠でも、やはり障害と呼びたくなるほど体調の異変に振り回される。そして鈍感で粗野で頭がお花畑の男性陣には理解されがたい。

11歳で月経が始まり、一番美しい頃はひたすら男性陣にねらわれ取り合いされ続け、どの男がいいやつかなんて判断もつかないほどだった。20代の女性に10代後半から60代の男性が群がるのだから当然である。新宿ALTA前を歩くと、10mで10人くらいに声をかけられる。キャッチセールスが大半だが、彼らは「若い子」にしか声をかけない。

40代で落ち着いたかと思えば、バツイチの男性や残り物みたいな男性に執拗にねらわれ続けた。そして、そこからも逃げたあと更年期障害が始まる。更年期障害が終わった後は、骨粗鬆症との戦い。老いとの本格的な戦いが始まる。そして資金も必要になる。私は独身なのでまず自宅を確保しなければならないかもしれない。

女性としてやっと終われる、と思いたいが、災害時の避難所で60代の女性が性犯罪に遭う時代である。性的に狙われる対象は相対的になっていて、他にいないのであれば70代でも襲われる可能性があるのだ。

私たちはそうやって、バービーには無い、女性が遭遇する厳しい現実に鞭打たれて生きてきた。だから、この映画は泣けるのだ。特にその戦争が終わりつつある更年期の女性は、まだまだそれでも生きなければならないという苦悩を抱えつつ、この映画に救われながらまたも尻を叩かれている気分になる。


「ルース」と言う母親

バービーは、自分の創造主である「ルース」と言う女性に出会う。つまりこの女性が、バービーの母親だ。

バービーには母親がいなかった。強いて言えば「変なバービー」が彼女の行くべき道を示してくれたが、母親ではない。

私はこのルースの存在が羨ましかった。

自分のアイデンティティが危機に陥った時、背中をそっと押してくれる人が母親であって欲しい。この映画では、ルースがその役割を見事に果たしている。

私の母は、月経が始まった時も、それとほぼ同時に世界に絶望を感じて塞ぎ込んでいた時も、何一つ助けてくれなかった。

月経を賛美しろと言うのではない。多くの人は間違えているが、月経には良いも悪いも無いのである。

月経がきた女性に必要なのは、先輩からの励ましである。これから、50歳くらいまで毎月このえげつない月経というのが来る。生理用品の準備を怠るな。生理中なのがバレることよりも、服を汚す方が恐ろしい。そして、異変が生じた時は病院に迷わず行けと、言って欲しかったが、母はそういうことは基本的に言ってくれず、穢らわしいものを見るように、かつ怯えながら生理用品を渡してきた。彼女は、自分が育てた娘が女になるのが恐ろしかったようだ。3人もいるのに、である。私は生理のことは全て本やインターネットなどで学んできた。あの時、学習雑誌が買い与えられていなかったら、私は月経のことを知らないまま血を流していたかもしれない。

もしかしたら、彼女の初潮の時も恐ろしいことがあったのかもしれないが、人生の先輩はそれを正さなければならないのでは無いのか?

これは、彼女の未熟さから来るものであり、恐ろしいことに彼女はまだバービーのままなのである。

アダルトチルドレンが一番泣くのは、「親からの愛情は一生得ることはない」と悟る時である。そう、一生その時は来ない。自分の方が大人になってしまったからだ。だから、たくさん泣いて、自分を自分で愛さなければならない。そして自分は愛されなかったのに他人を愛さなければならない。死ぬ前に和解しろだなんて、映画のようなことはできない。彼らはそもそも自分が悪いとは思っていないからだ。


人形遊びからの卒業

この映画は奇しくも、バービーがテーマでありながら、人形であり続けることが困難な展開をしている。つまり、人形遊びからの卒業。夢の世界からイヤイヤ叩き起こされるのがプロットである。

私は妹が2人いたので、ずいぶん長い間人形遊びをしていた。もともと現実が嫌いだし、人間が怖いと思っていたので、内向的な人形遊びで空想の「パーフェクト」な世界を「リカちゃん」で構築していた。(皮肉にもアメリカにいたのだが、バービーを買わずにリカちゃんをしつこく使用していた)

ここで面白いのが、妹が先に人形遊びから卒業してしまったのだ。

彼女は、私が作ったパーフェクトなリカちゃんワールドを物理的に破壊して強引に遊びを終わらせるのだ。

私は、妹に付き合ってるつもりだったが、彼女は先に自立してしまった。

ここで、グレタ・ガーウィグについての興味深いツイートを紹介したい。



私も11歳で突然病み始めたので、非常に興味が沸くとともに、グレタ・ガーウィグ監督は自分と似たような女性なのではないか?と思い始めた。

病むには色々な原因がある。月経もその一つに違いない。

月経が来ることで強引に大人にされる我々は、男性からしたら「妊娠可能な女性」として見られるようになり、着飾ったり化粧をするようになる。男性のためではなく、「よりまともな男性を得るために」淑女としてきちんとすることを求められるのだ。

グレタ・ガーウィグ監督は、バービーの強烈なスタイルの良さ(リカちゃん人形の2倍はグラマラスかもしれない)や最初から与えられているキャリアを批判しているのだろう。

あんなものを理想像として置かれたらたまらない。私も子供の時バービーはいらんと思っていた。あまりにもかけ離れているからだ。もちろん夢を見るのは勝手だが、それは女性にとってとてつもなく重荷になることがある。

例えば、恐ろしいことに、私が12歳くらいの時林間学校でダンスパーティーが行われた。アメリカの林間学校である。

全員参加だ。

男性が誘う側になる時は本当に恐ろしかった。男子が一人ずつお気に入りの女の子を無料で選んでいくダンスパーティー。

ルックスで選んでいるに違いなかった。私は、最後から2番目だった。おぞましい、と思った。最後に残ったのは黒人の女の子。完全なる人種差別が行われていた。しかしその前に、美醜で選ばれているに違いなかった。

ディズニーのアニメ映画のように、美しい王子様が踊ってくれませんか?なんて言ってくるのは既に遠い夢。おとぎ話は12歳で無惨にも破壊されてしまった。

つまり、思春期は男性の目を気にしたり、魅力的でなければならないというプレッシャーが突然襲いかかってくるのである。胸も大きくなってくるが、胸の大きい子はそれだけで苦しむ。胸が小さい子は大きい子が理想だと思っているので同じく苦しんでしまうのだ。


つまり、グレタ・ガーウィグが言いたいのはそこなのだ。

美しい?美しくない?胸が小さい?メガネかけてる? キャリアがある、ない?

そんなことはどうでもいいと。

もっと自分を大切にしてくれと。

そんなの、誰も言ってくれなかった。

私はこれからも男性の好奇の目に晒されるだろう。中には皮肉にも、私の英語力やキャリアに恋する変態的な男性もいるのだ。かと思うと、ビキニでビーチを歩けば立ち止まってずっと眺めていたり、ノースリーブから出る私の腕をジロジロと見る人もいる。きっと気持ちいいんだろうな。

でもそんなこと気にしなくていい。あなたはあなたのままでいい。

そう、ルースに言われるたびに、アダルトチルドレンの私は泣くのだろう。

2023年8月14日月曜日

問題作「Barbie」を紐解く

この映画はCMやビジュアルを観てから大変期待していましたが、思っていたよりはシビアな内容だったと思います。

まず日本人男性で40代以上だとこれはきついかもしれません。一緒に見に行くのは避けたほうが無難でしょう。日本人男性にはこの映画は刺激が強すぎると思います。

かつて「プロミシングヤングウーマン」を見た時もそう思ったのですが、あれは明らかに怪しいからダメな人は避けると思うんです。でもバービーは難しいんじゃないかなとちょっと思ったので。

以下、ざっくりを感想をまじえながらどの辺がヤバかったかまとめようと思います。

個人的にはとても勇気づけられる映画ではありましたが、絶賛しようとは思いませんでした。

 

バービーは、なんにでもなれる。女の子は、なんにでもなれる。というのが、バービーのコンセプトでした。

バービーはそれを信じて疑いませんが、身体に異変が生じたため、原因を探りに「リアルワールド」(カリフォルニアのどっか、ロスの近く)に旅に出ます。

冒頭の世界説明の時点で、ケンが思ったよりかなり不安そうにしているのが印象的です。彼は、本気でバービーを愛している(ということになっている)のですが、バービーは友人としてしか見ていません。

ですが正直うざキャラになっているケンは、印象自体があまりよくありません。また、かなりの依存症であることも示唆されます。

このタイプの男性は、病気に近いですが、現実世界には腐るほどいます。


バービーは現実世界で女性のステレオタイプとして扱われ、セクハラされまくります。この辺ですでに気分の悪い方もいらっしゃることでしょうw

バービーが女の子に「バービーはファシストよ」とすごい悪口を言われ、嘆き悲しんでいるところに、ケンは別行動で「バービーのおまけではない、男性が中心の世界」を見て感動します。 

悪夢の始まりです。

ケンは一足先にバービーランドに帰り、なんとバービーランドを男性優位の世界に洗脳してしまいます。

ここの描写も極端ですが、印象的だったのは、今までキャリアウーマンだったバービーが「頭使わなくてよくなったから楽だわ!」と言っているシーン。このセリフ、実は私たち女性にも突き刺さります。

男性優位の社会では、重い責任や面倒な仕事は男に任せておけば楽ができます。30年前くらいまではそうだったかもしれません。この怠惰な発想が、女性の自立を妨げてきたのです。

しかし、いくらケンが頭悪くてセンスがないからといって、この世界はどうしたことでしょうか。男性は偉そうにしているだけで、ごりごり働いているわけでもなさそうです。工事のシーンだけがあり、そこでは「KEN AT WORK」というギャグな看板が立っています。工事しかできんのかい!

他のケンは女にビールを持ってこさせるか、それっぽくサンドバッグ殴ったりしているだけです。

リアルワールドを一通り体験して目が覚めかけているバービーは洗脳されず、ケンから世界を取り戻すために一計を案じ、ケンたちを騙して同士討ちを誘発します。

(この作戦会議のシーンでリアルワールドの女性が数分間ぶちまける「女の苦悩」は首がもげそうなくらいうなずきました)

この辺のシーンは「プロミシングヤングウーマン」と同じで、目を覆わんばかりの「男のバカさ」が描かれております。これ、さらに気分が悪くなること、うけあい。

特に笑ったのは、「ゴッドファーザー」のよさを男性に語らせれば夢中になって隙ができる、という作戦。ひどいですねww

私が女性だからかわかりませんが、ゴッドファーザー観たとき、全然頭に入ってこなくて、唯一覚えているのが、女性がブチギれて家じゅうの食器を割るシーン。

男性向けの映画なのかもしれないですね。

 

私は、ちょうど先週体調を崩しており、「真の男女平等はお互いに助け合うことだ」という結論に至っていました。ひとりで生きていくのは苦しいかもしれない。だけど、依存関係は正しい関係ではない。ましてや、お互いの性欲を満たすためのパートナーというのも違う。

ケンはどうしても手に入れることのできないバービーを前に泣き崩れますが、彼に必要なのは自立だったのでした…。


私は、この映画は多くの真実を突いていると思います。

まず、バービーランドでは、女性が自立していますが、男性は脇役として飾りのようにおかれていました。バービーは政治に学問に大活躍しているのに、男性が表彰されるシーンがありませんでした。この時点で、この世界は不平等ということになります。

不平等ではかならず軋轢が起こり、反乱が起きます。

ですが、哀れな男たちは、「女性に認められたい」という承認欲求で生きているため、女性を殴ったり殺すことができないのです。

我々女性が権力を握れば握るほど、男性側にもストレスがかかる。

「どうしたら平等になれるのか?」それは、お互いに依存しない生き方を見つけ出すこと。

男性の自立は、女性と平等な土俵で戦い同じくらいの成績を出すことなのかもしれません。

またもう一つのテーマがあります。それはバービー自身のテーマです。

マーゴットロビーのバービーは「ステレオタイプ」のため、特技がありません。 キャリアもありません。絶望して泣くバービーは、下手すると笑っているときより全然かわいいのですが。

「でも、それでもいいんだ」というのがメッセージです。

もちろん、可愛ければなんとかなる、みたいな話ではありません。

別に、「大統領」「弁護士」「看護婦」などの大層な職業につかなくても、落ち込まないで!ということなんだと思います。

「普通のバービー」で、いい。

そして、恋をしたりケンと結婚をしなくてもいい。

でも、ケンが自立してしっかりしたら、対等な話ができるようになるかもしれません。

ライアン・ゴズリングの役どころは大変だったと思います。ケンは元来悪いキャラクターではないのです。そんな「もとはイイ子」でも、抑圧され自分の使命を間違えると悪党になってしまい、似合わない毛皮のコートを羽織って、無駄にサングラスを二個もしています。

甘えん坊な自立できてない男性なら「女性が相手にしないのが悪い」というかもしれませんが、優秀な遺伝子を選ばなければいけない我々としては、子供に子供をつくらせるわけにはいかないのです。

かっこつけているよりは、素直に自分の問題点を語ってくれたほうが我々も寄り添える。映画はまさにそういうことを言っているように感じました。

ですが、正直映画自体が男性の問題まではしっかり解決していないので、男性が不満を持つか、メッセージを受け止められるかで、感想が変わって来そうですね。 

マーゴット・ロビーが面白いなと思ったのは、

彼女、泣いている時のほうがかわいくて美しいんですよね。

すごく不思議でした。

冒頭のハッピーなマーゴットもいいのですが、どうしても笑顔が張り付いているような印象を受けました。

途中から、なんども涙を流すバービーが、口調も変わり、だんだん大人になっていくのが、とてもよかったです。 


決してハッピーな映画ではないし、結婚に夢を見る女性には絶望を抱かせ、依存している女性は夢の世界からたたき起こされ、独身女は「もっとしっかりしろ!」と叩かれているような、厳しい内容だと思います。

と同時に、現実だからこそ、みんな苦しいから完璧でなくても、落ち込むなと励まされているようにも思えます。

2023年8月11日金曜日

歴代ブルース・ウェインを比較する

本日アマプラでバットマンVSスーパーマンが見られるようになったので、一通り実写は見たことになるので、まとめたいと思う。

私が子供の頃は、キートン版が大流行しており、またジョーカーがとにかく人気だった。

しかし、マイケルキートンは実はあんまり好きではない。顔立ちがキツく感じるのである。

彼の出演した2作品はティム・バートンの実力が遺憾無く発揮されており、世界観やビジュアルは本当に素晴らしかったのだが。

3作品目に差し掛かって、私は感動した。

正直、あまりイケメンとは思わなかったが、見れば見るほど惹きつけられるブルース・ウェインであった。

ヴァル・キルマーというのは不思議な役者である。

3作目は、リドラーとトゥーフェイスがタッグを組んで悪さをやらかす回なのだが、

なんとリドラーはウェインエンタープライズの研究員である。社員なのだ。

冒頭で社内視察を行うブルースのところに、自己中なエドワードが直談判にやってくる。マインドコントロール装置を会社から発売しないかと。ここのブルースが素晴らしいのだ。

最初はとても礼儀正しく、温かい笑顔で社員と握手を交わすが、一旦秘書に預けるようにいう。婉曲に断ろうとしているのだが、エドワードが気が短いため、即答を要求すると、ブルースは声をそれほど荒げるでもなく、「答えはノーだ」ときっぱり告げる。

この一連のシーンが素晴らしかった。ヴァル・キルマーこそ、理想のブルース・ウェインであるように感じた。

ヴァル・キルマーは声も素晴らしい。皮肉なことに彼は声を病気で失ってしまったが、おそらく歴代ブルースの中で一番声のイメージが合っている。上品で、暗い響きのある綺麗な声だ。

また、この映画はアクション映画に見せかけて、ブルースが過去のトラウマに苛まれており、きちんと自分の過去を思い出せないという可哀想な設定がついている。その設定が不安定で繊細なブルースを作り出しており、実に味わい深い。ヴァル・キルマーが演じるとなんとも危うげな雰囲気が出るのである。リアリティがあった。

また、相棒である「ロビン」が加担するのだが彼にまつわる一連のシーンも素晴らしい。まずロビン自体がすごいイケメンなのもいい。ロビンを自宅に引き留めたいブルースのそっけない勧誘の仕方もかっこいいし、ロビンが孤児になった原因はバットマンだと思い込んでいて、ブルースの胸をドカドカ叩きながら泣くところもいい。あの時のブルースの慰め方も素晴らしかった。

しかし一番良かったのは、ロビンが一緒に戦いたいと言った時のブルースの断り方だ。劇中で一番真摯であり、一番ちゃんと怒っていた。

このブルースは感情表現が少なめなのにも関わらず、抑え込んだ感情が滲み出るのを見落としたくなくて、一生懸命に見入ってしまう。ブルースは恋愛も繊細で、初めての恋だと言い切っているが、それによって騒ぐでもなく、静かに思いを成就させていく。

こういうヒューマンドラマの描き方が結構良かったのに、なんとなくチグハグになってしまうのがバットマンという素材の悲しいところである。

その次の作品は、バットマンスーツに絶望を覚えたキルマーが降板してしまい、ジョージ・クルーニーにお鉢が回ってきた。

さてこの回が最悪だと言われているが私もそう思う。

単純にブルースらしくないブルースなのである。何一つブルースらしさが感じられない。

ジョージ・クルーニーは大好きな役者だが、全く向いてないと思った。

悲壮感が全く感じられないのである。金持ち感はあるしイケメンだが、コミュ障でも陰キャでもない。

またヴィランにポイズンアイビーが入ったことで、色恋沙汰が発生して余計品格を下げてしまった。

Mr.フリーズは完全に脳筋だし、バカすぎて感情移入できない。

そもそもだがジョージ・クルーニーが髪の毛を綺麗に刈ってしまってるのもかなりおかしかった。

ブルース・ウェインは前髪長めが正解。あれが、危機に陥るとばらけてくるのがセクシ〜なのである。

さてこのあとはクリスチャン・ベール3部作。作品として完成度が高いし、今の若い人、同世代はみんなこっち派かもしれない。でも私はクリスチャン・ベール版はあまり好きではない。

(余談ではあるが、妹が激ハマりしていたので血は争えないと思うが、私はやはり繊細ちゃんブルースが好きである)

ノーラン版ではブルースの悲壮感は出しているが、ブルースの内面には迫っていないと感じるのである。

外見は素晴らしいし、バットマンになっていく過程もよく説明されているが、私は感情移入できなかった。

その次はベン・アフレック。

冒頭からしっかり社長をやっており、社員を助けるシーンが出てくる。どちらかというとブルースの話なのかもしれない。が、このブルースにはいくつか問題があり、それはよく世間でも言われていることだ。

彼は完全にやさぐれ切っているようなところがあり、結婚もせず、悪い奴らを拷問するし、銃も撃つ。多分何人か殺しているかもしれない。会社の運用はしっかりやっているようなのだが、なんとも荒廃感漂う哀れなブルースである。(しかし普通に考えたらこうなるかもしれない)

一番きついなと思ったのは、スーパーマンに吐くセリフである。これがこのブルースの全てを表していると思った。

「お前の両親は、お前は目的を持って生まれてきた、と教えただろう。だが俺の両親は違った。

路上でいきなり人が死ぬ、ということを教えてくれた」

セリフこそ淡々としているが、激しい怒りが秘められているのを感じる。

またこのバージョンのバットマンは私に言わせればもはやターミネーターや殺戮マシーンの類であり、美しさや妖しさ、ミステリーなどどこにもなく、全く惹かれるものがなかった。


荒れ切ったバットマンが作り出されたあと、まるでそれにリセットをかけるようにして生まれたのが、我らがパティンソン版バットマンである。

マット・リーヴスの表現はどこまでも地に足がついており、改造車はあるものの空飛ぶ飛行機などブルースは所持していない。普段の移動は普通のバイクである。スーツは防弾だがそれ以外の特殊な加工はなく、空を滑空するウイングもお手製の危険な代物である。

そして何よりブルースが脆弱で不安を煽るような存在であった。

これは、ゴッサムシティそのものを表しているのかもしれない。

私たちの住む日本という国も、なんだかこれに近いような気がしてならない。

マット・リーヴスは、お金持ちでもどうしようもない現実的なブルースを描くことで、世界の危機感を示している。ブルースは疲弊しているが、焦っている。ヒーローになろうとすら思っていないが、とにかく過去のトラウマを克服するためには、悪党をぶん殴りたかった。悪党が、怖くなって街を徘徊できないようにしたかっただけなのだ。

ブルースは哀れな精神病の青年で、その目と精神は10歳から成長していない。

だが、今までで一番惹きつけられたのがこのブルースであったことは間違いない。


映画にはヒロインが何人も出てくるが、みなブルースに惹かれる理由はその繊細さや危うさである。「何を隠しているのか」が気になって、毎回ブルースを質問攻めすることになる。そして毎回ブルースは困ってしまう。キートン版でも緊張して自分の正体を話せない。キルマーはもっと大変だ。トラウマを引き出すものを見ると会話が止まってしまうくらい深刻である。キルマー版は女性がブルースのトラウマを助けるような展開で、ほっこりして終われる。パティンソン版は、セリーナに興味を持たれると恥ずかしそうに俯くのだが、全身で愛されたがっているのがかわいい。寂しがり屋のブルースである。

妹は脳筋なので、クリスチャンベールのスーツ姿萌え!!しか言っていないのだが、私は女性ファンを増やすならやはりブルースのもつ危うさは描いた方がいいと思っている。それだとヒーローとしてはあまりにも不安なのでは?と思われるかもしれないが、トラウマを抱え苦悩しながら戦うブルースの姿に、おそらく多くの男性も勇気づけられているのではないかと、私は推察している。