2024年2月25日日曜日

ALAN WAKE2 ストーリー考察2

ヒーローズ&ヴィランズ

今回新たに「ヒーロー」の概念が登場した。そのヒーローとは、一見アランのようだが(ローズはアランだと信じ込んでランチボックスを置いた)、実はサーガである。

アランは、リターンを書き直すとき、別の登場人物を登場させないと、とてもじゃないが浮上する物語にできなかった。アラン曰く、無からものを創造することはできないそうだ。そこですでにブライトフォールズに来ていたサーガを物語に書き込んだ。ホラー小説のジャンルが変更できなかったので、サーガは過去を改変されてしまい、娘が死んだことにされてしまったのが良くなかったが。(これはリターンのエンディングがきちんと発動すれば元に戻る)

さてそれではヴィランは今回だれだったのか。

これはアランではないかと思っている。正確には、闇を脱出する物語を書けず、ループに囚われ、病んでいく自分自身。そしてスクラッチに憑依される自分。どちらかというと、自分の闇の部分。厳密にいうと自分の分身ではなく、自分の悪い部分だ。

今回明確に「ヴィラン」の言葉が使われたのはエンディングテーマだけだ。だが、この歌をきちんと聞くと、いかにヒーローやヴィランという概念があやふやなものなのか実感できる。アランは自らヴィランになろうだなんて思っていなかったし、サーガは巻き込まれただけだ。生まれつきのヴィランなどいないのである。

そしてゼインにとってのヒーローはアランである。というかこれも、ゼインがアランを「光の戦士として」書いたから、アランはヒーローとなったのだ。だがその存在は不安定で、二面性を持っていたということだ。


オーバーラップ(境界域)

今回新たに登場した概念、「オーバーラップ」。

これらはサーガの考察によると、都市伝説の類は大体闇の世界との境界域に該当するらしい。笑

境界域を実際に出現させるためには、アート(原稿もアートに入る)が必要。それによって儀式が成り立ったと判断されると闇の世界との境界域に入れる。サーガはそこで、ナイチンゲール、マリガン&ソーントン、シンシアと戦う。

闇の世界そのものには入れないらしいのだが、コルドロンレイクに人をぶち込むと簡単に入れるらしい。これは謎だ。

ところでCONTROLでは「スレッショルド」という言葉がしょっちゅう使われていたが、これは「境界値」という意味である。つまり境界域とスレッショルドは大体同じだと思われる。


クリッカー

今回はクリッカーが「天使のランプ」の部品であることが判明した。判明したが、なんでそうなってるのかさっぱりである。

天使のランプはゼインの持ち物のはずだからだ。

この切り離されたライトスイッチは、アート(音楽や原稿)をそばに置いた状態でONにするとそのアートが現実になるという凄い代物であることが今回判明した。前作ではアランのお守り程度で、そのお守りを小説に書き込んだらバーバラを倒せた、という程度のアイテムだったのに。

なおなぜかアンダーソン兄弟はクリッカーの意味を知っており、彼らに言わせると「アンプと同じ。アートの力を増大させる」とのこと。

スクラッチの原稿のエンディングはポンコツだが、それすらもクリッカーで実現できる。

あんま関係ないけどトルコで買ったトルコランプのスイッチがクリッカーみたいな形状なので、見るたびにクリッカーを思いだす。このアイテムは今でも日常に存在するのだ…(だいぶ減ってる気はするけど)


儀式(ritual)

CONTROLにもしょっちゅう出てきた「儀式」。コントロールはSFなのでいまいちわからなかったが、オカルトめいたことをしたかったのだろうか?アランウェイク2では儀式だらけだった。

アランは今回スクラッチに合わせるために、オカルトホラー小説を書いてしまっている。結構内容がグロかった。アランもやっぱり病んでいるのかもしれないが、小説というアートにしてしまうことで、闇の支配から逃れている。

また、執筆中のアランが「あいつに勝つために話を書かなければならないが、ダークであればあるほど、ストーリーはスクラッチを強くしてしまう」と悩んでいる。

今回、全編を通して壁に何度も書かれた「これはお前を導く儀式だ」というポエムからも分かるとおり、イニシエーション自体が儀式なのだと思われる。

ではこの導く儀式とは誰が行ったのか?

外部から助けてくれる人物の中にアリスがいる。儀式ポエムの筆跡は「俺のではない」とアランが言っていたので、アリスが書いたのではないかと思う。アリスは実際自分の写真を使ってアランを導いた。

そう考えるとアリスは最強だ。一体何者なのだろうか。

あと考えられるのはゼインや、ドアである。

儀式にもアートの力がありそうだ。だからカルト教団を出現させたのだろうか。


カルト教団

カルト教団はアランの創作とコスケラ兄弟の「闇から街を守りたい」意識が重なりあって出来上がったのだと思われる。どっちが先なのかはわからない。闇の世界は時間軸が存在しないからだ。

taken「支配されしもの」は心臓を抉り出したあと、クリッカーを作動させなければならないので、儀式的な手順となる。それを前作のアランの本「Departure」で読んだコスケラたちは、その通りに行い、実際にうまくいった。そしてそれが恐ろしさを感じさせることを利用して、「樹木の教団」と名乗り、森に入るなと一般人を牽制した。

アランはこの現実の教団を知ってか知らずか、断片的な記憶から「言葉の教団」を作り出した。

この二つの教団「言葉の教団」「樹木の教団」は両方とも同じ仮面をかぶっている。

また、ゼインが作ったとされる「白夜の夜」に出てくるケイシーを生贄に殺す教団も、全く同じ格好をしている。しかもイルモの役者が演じているので完全にかぶっている。

「言葉の教団」は「トーチベアラー」、前作からいるブライトフォールズを闇から守る「松明を持つ者たち」を焼き殺すという恐ろしい手段に出る。アランはなんでこんな凄惨なプロットを思いついたのか。私は、この時「アランはやっぱちょっとスクラッチの片鱗があるんだろうな」と思った。完全に切り離されていないというか。

トーチベアラーはかっこよく訳せないけど、本来は聖火ランナーみたいな意味だ。奇遇にも、私は前作で難易度の高いマップで、次の建物までシャドウが蠢く広場を突っ切るというシーンの時、複数持っていたフレアを一個ずつ点けて掲げながら広場を突っ切った。あれを掲げていれば誰もよって来れないので。当時「聖火ランナー」と自分で呼んでいたが、まさにその通りだった。


スクラッチの正体

スクラッチの正体は「白夜の夜」の歌詞で知ってしまった。「それは多くの名前で呼ばれた。オールドスクラッチ、悪魔」。調べると、オールドスクラッチってのは悪魔の別名なんだそうだ。しかも別名ミスタースクラッチ。

これは私の知識のなさが原因になるが誰がそこまで知ってるかよ。この辺はさすがアメリカ文学専攻のサムレイクの教養の力である。


「ドアを手伝う」アンダーソン兄弟とは?

ドアは、ティムによると「稲妻に打たれていなくなった」。コールドロンレイクの辺りで。彼は、闇に選ばれし人間なのか。

ドアの役割は今回明らかにされなかった。だが何かをしているのは確かだ。ドアはいつも朗らかなので、闇の世界を根底から覆す可能性もあるなと思った。そしてアンダーソン兄弟はまるでそれが当然のように、闇の世界へ入っていったので、驚いた。アンダーソン兄弟は、「ドアを手伝う」と言っている。

ティムを引き入れた理由はなんだろう。ティムは闇の影響を本当に一切受けていない。ランプを持って、少し途方に暮れたようにしていたが、人格が捻じ曲がって支配されたりしないのだ。ティムも実はドアの助手として連れてこられた可能性はないだろうか。


オーシャンビュー・モーテル(ホテル)

CONTROLに現れた、謎のモーテル。3回の法則を実行するとテレポートできる。脱出時も3回電気の紐を引っ張れば良い。この電気のひもだがアランウェイクの方が発想が先っぽい。今作でもオーシャンビューホテルが出てくるのだが全くもってどこにもオーシャンビューがないのだが大丈夫なんだろうかww

それか、多分だけど、本当は海か湖が見えるんだけどアランの創作の中にいるから見えないのかもな〜。

ゼインが買った時は、湖が海のように見えていたんだろうか。

私としては、CONTROLのオーシャンビューモーテルとどう繋がっているのかが興味津々である。

まあとにかく、このオーシャンビューとつく宿泊施設には、何かある。現実ではもう「ヴァルハラ老人ホーム」に変えられてしまったが、闇の底では今でもゼインが住まう。


「湖じゃない。海だ」

このセリフについては多くの憶測がなされてきた。しかもそれを面白がってか、今回もミスター・ドアに「湖じゃない、海だ。って、結局なんなんですか?」などと言わせておもしろおかしく取り上げている。

これへのヒントはおそらく召喚時の歌の中にある。そもそもタイトルが「暗い海の召喚術」である。

これはいろんな取り方があると思うのだが、今回湖は、その周辺の闇を祓った時に干上がる描写が多い。今回はゲームを通してよく街が半分湖に水没していたが、イベントが終わると干上がりいけなかったところに行けるようになる。

考えてもごらんよ。海じゃあるまいし、こんなに何度も水位が変わっていいのか?つまりコルドロンレイクは、海にも湖にも変われるのではないか?

召喚する時には「暗い海」と表現され、波打ち際が嵐の海のように荒れる。海のように干上がることもなくその魔力を使い続けるが、使い切ると干上がって湖に戻る。

そんな解釈もできるかなと思った。

コルドロンレイクは湖だが、闇の世界への入り口である。

つまり、闇の世界は海に例えられている。その表面だけが湖なのだ。

全部が海だと世界に繋がってしまうから。なのだが、湖の下には深い闇の世界が延々と広がっている。どうも登場人物がいうには、深く潜ると外に出られるんだ、とか……


「ループじゃない。螺旋だ」

これはわざわざ説明があったので非常にわかりやすかった。しかもシンボルマークまでがきちんと螺旋になっている。まさか、あのドアの落書きに見えるものが意味があるとはね。

サムレイクがだいぶ優しくなったのか。笑

アランは一発で地上に戻ってこれない。螺旋を描くように、少しずつ現実を改変しながら戻ってくる。記憶は、ループの中で一度リセットされつつも少しずつ蓄積する。

「デジャヴとして」。これは2周目中で原稿でも語られている。

多くの人生のイベントがそうであるように、いきなり人は変われないのである。

しかし毎回同じマップを回るのはやはりきついので、次はループが終了してるといいな。まあ、ギリDLCまでは我慢できるが。


アートの力

今回はアランのライティングだけではなく、アンダーソンの音楽、アリスの写真などがアートとしての力を持つ。あのコスケラ兄弟の微妙なフロートですらアートとして扱われた。闇はアートを糧にする。そしてアートを現実にする。なので闇を制するにはアートが必要ということになる。アートの方が力が強いということだ。

クリエイティブに携わるものとして、アートとはどこからどこまでのことを言うのかが気になった。ひとつ回答として思ったのが、「ただの写真と思いを込めた写真は違う」ということだ。

宗教のようだが、思いを込めた絵、文章、写真、音楽、映像は人にその思いが伝わることによってアートと言えるのではないだろうか。(コスケラ兄弟のフロートはポンコツクオリティかもしれないが、思いが深いのだ!)

アランは最後で「リターン」のエンディングを書き換えてスクラッチに勝利しなければならなかった。しかし、1度目はそれがうまくいかなかった。この物語が、あくまでも「創作が上手くいくか」に重きを置いている証拠である。サム・レイク自体が物語に無理や矛盾がないかを非常に気にするタイプのライターだからだ。

つまりより大掛かりな現実改変を引き起こすためには、よりクオリティの高いアートが必要になるということである。実際イニシエーションでアランが適当なプロットを書くと次へ進めないことがある。リターンの1回目は安易に自分を殺したため、ループしてしまった。

これは壮大なテーマだ。

こんな物語は初めて見たかもしれない。ゲームの世界でこれをやろうというのはとんでもなく、凄い試みのように感じる。しかも、ゲームで頭を捻って考えてくれるユーザー向け限定となるのだ。

サム・レイクが「誰もやっていないことをやるのは大変なことなんだ」と言っていたのは、こういうことなのか。

2024年2月24日土曜日

ALAN WAKE2 ストーリー考察1 「イニシエーション」とはなんだったのか

イニシエーションとは

直訳すれば通過儀礼。アランは、前作で「DEPARTURE」(出発)を書き、見事にアリスを救い出したが、その続きを書かなければ自分が脱出できなかった。そこで「RETURN」(帰還)を書き始めたが、全く浮上できなかった。何度書いても失敗するので、次第にアランは諦めようと思い始めていた。何を書いても人が傷ついてしまう。もう書くのをやめようと。

アランはリターンは一旦やめて、「イニシエーション」を書いたらどうだろうかと考えた。出発と帰還の間に一つ小説を挟もうというのである。それが通過儀礼であった。 通過儀礼がないから、脱出できないのだと考えたのだ。リターンの完成は見送りとなった。

その隙にスクラッチがリターンを完成させてしまった。が、ひどい作品だった。


アランウェイクは「あきらめてはいけない」物語である。

私は、ゼインは闇の底で出ることをあきらめたのだとばかり思っていた。だが、とんでもなかった。ゼインは、おそらく話をつなぎ合わせると、

まず、アランウェイクを創造。

アランがキャラクターとして自立してくると、アランを闇の世界に引き込み、共に作品を作って闇の世界を脱出しようという流れに。

これがイニシエーション、2周目のルーム665での話だ。これは重要なので後述する。


時系列が入れ替わるのでストーリーの難易度を上げている

サーガは時系列はおかしくなっていない。現実だからだろう。過去は闇の力で改変されていたが。

問題は闇の世界だ。

ゼインは、作品の制作順番がかなりおかしい。アメリカに来る前、フィンランドで作ったはずの映画がなぜ今作ったことになっているのか?

スクラッチとアランはループの中で鬼ごっこをしていて、時間は関係なく、アランもスクラッチも神出鬼没である。現れるタイミングすらわからない。かなり自由だ。これが原因でイニシエーションをわかりづらくしている。闇の存在の形態のスクラッチは、アランに憑依したくて執拗に追いかけてくる。アランが弱る隙を狙っているのだ。

闇の存在がアランに憑依したがる理由:
西洋の悪魔は単体で行動ができない。よくエクソシストの映画にあるように、「人間に憑依しなければ言葉すら喋れない」のである。しかもアランには現実改変の強い能力がある。※でも原稿が書き上がったのでケイシーにも憑依した。 

電話の主は、2周目まではゼインだった。ゼインはアランを助け、アランと脱出したいと思っているようだ。ゼイン曰く、以前はスクラッチとも脱出する作戦を立てたのだが、ゼインは約束通り「白夜の夜」を作り上げたが、スクラッチは「リターン」を書いたあと、一人で逃げてしまったらしい。脱出したんだ、と言っていたが、時系列が狂っているため、その時点でのアランにとっては、まだ脱出していなかった。これは重要なので後述する。

また、イニシーションのわかりづらさに、アランがしょっちゅうプロットを書き換える、プロットがエコーで断片的に出てきて文字化されていない(リターンは文字化されているので後で読める)などの理由がある。なのでエコーを全部集めている自信のない私はリサーチを行わなければならなかった。しかもこのエコーの内容が詩的で小難しい。

プロットが断片的なのは、アランが散々リターンを書いた際に残した断片的なアイデアだからだろう。アランは、螺旋を描きながら進んでいるので、少しは覚えているのだが大半を忘れてしまっている。


イニシエーション ドラフト1(1〜3)

1周目。必ず周回はTVトークショーで始まるのだが、なんとこの時点でミスタードアに完成した「イニシエーション」を見せられ、アランは非常に困惑する。

これはドアによる予言であり、助言だった。イニシエーションを書け、ということである。またアーティーが、現実のローズ経由で天使のランプを贈ってくれる。これはゼインの所有物であり、シンシアから奪ったものだ。皮肉なことにそれでシンシアは闇に囚われてしまったが。

この回だけは2回TVトークショーがあり、2回目はサム・レイクがアレックス・ケイシーの役者として出てくる。アレックスケイシーシリーズでベストセラー作家になったアランは、当然の流れでイニシエーションに再度ケイシーを登場させる。まあつまりこれがイントロダクション、予告編といったところか。わかりづらいけど。しかも、アランは「サドンストップ」でケイシーを殺して、前作でシリーズを終わらせているのだ。

2章は地下鉄を、ケイシーを主人公とした物語を書きながら進むが、いなくなったFBI捜査官とはナイチンゲールのことだったらしい。現実と全く同じように死体で横たわるナイチンゲールまでたどり着く。キーアイテムは心臓で、触ろうとすると、サーガとの会話ができる。

ちなみにこの心臓だが、なんか行方がメチャクチャで、冷蔵庫にワープしたり、境界域を開けるために捧げて消えたりしている。結局今どこにあるのかよくわからないw

なお、この時壁にあるダークポエムにはすでに「第三の目」という言葉が含まれている。

これはあくまで私の考察だが、1と3はアランが直接書いたものではないんじゃないだろうか。直接本筋には関係ないし、ミスタードアはアランの小説に影響されないと言い張っているからだ。(おそらくドアはサーガを助けるためにアランを助けている)

というか、イニシエーション自体が小説とは言い難いので、本当に、闇の世界を脱出するためのツールとして使われているだけなのかもしれない。ライターとしてそれでいいのかわからないが。

問題は3章め。ここはいつも時系列が狂う。アランは撃たれて死んでいる自分を見つける。これは最後に持ってくるはずの展開だ。展開はメチャクチャだが、ここで強制的に現実に戻る。そしてループしてリセットされる。(厳密にいうとアランが死んでいる終わりの場合は、戻る)


イニシエーション ドラフト2(4〜6)

2周目。TVトークショーに戻るが、今回はミュージカルだ。これに意味があるか考えてみたものの特にないと感じた。ドアが勝手に起こしたのだろうか。アランが「こう来るとはね」と言っていたのでアラン原作ではなさそうな気がする。毎回ドアで始まるので、ドアが導入を考えているのかもしれない。

イニシエーション5章では、アランはゼインに電話で呼び出され、ルーム665で一緒に作品を作って脱出しようという感じのことを言われるが、どうもこの芸術家、私もがっかりしたのだが、詩人トムって感じでもないし、前作の潜水服がかっこいいイケボのゼインとだいぶ違ってただのド変人と化していた。いや、こっちが本性なのだろう。

ちなみにここでかかる音楽はスクラッチがアメリカンナイトメアで使う音楽と同じらしいので、ゼインはスクラッチ化している可能性が大いにある。笑顔が悪魔的だ。音楽の歌詞は「俺はサイコ」と繰り返し言っている。しかも、部屋番号665は悪魔の番号666のお隣さん。単純に解釈するとゼインは悪魔の一歩手前ということになる。また、オールドゴッズの楽屋に「665 Neighbor of the Beast」とあるが、直訳すれば野獣のお隣さん。

ここでゼインとアランが制作しているものに注意するべきである。

ここでアランはリターンを書いている。ゼインは映画を作ると言ったので、おそらく「白夜の夜」を制作した。これは、後述する「スクラッチに騙された」の内容と全く同じなのだ。ではこのシーンのアランはスクラッチなのだろうか?それとものちのゼインが嘘をついたのか。

個人的にはここで「書いている」アランはスクラッチになっていた可能性があると思う。酔っ払って書いたからかもしれない。あとでシラフで自分の駄作を見て書き換えるところなんて、リアルにありそうだw

ちなみに時系列がめちゃくちゃなので、ここで書いたわけでもないらしい。つまり、「過去に書いた」のではないか?

正しい時系列の考察は:
1)脱出するための「リターン」を書き始めたが、上手くいかず、中断してさらに中断したことも忘れた
2)ゼインにそそのかされて、酒に酔いながらひどいリターンを仕上げた(ゼインは外に出たい)
3)あとでシラフでそれを執筆部屋で見つけたアランは、「闇の力でブライトフォールズを支配する」その内容に驚愕して大急ぎで修正し始める(消去することは不可能)

ではないだろうか。アランに何か飲ませたら、スクラッチの力を引き出せたりするんだろうか、、ここは謎だ。白夜の夜では謎の酒を飲ませるシーンがあった。

だが、私は酔っ払ってる時に描いた絵がすごく良かったり、某日本のアーティスト(C&A)はクスリをやってあの素晴らしい音楽を創り上げたというんだから、あながち酒は悪いもんではない。アランにはよくなかったのかもしれない。

というか、ここまで書いていて思ったんだが、スクラッチってのは単純に「悪い自我が暴走している自分」のことを言ってる概念なのではないかと思い始めた。闇の雲は、単純にその概念がビジュアルとして見えているだけなのかもしれない。

アランがキレ散らかす頃(それどころじゃないんで)、なんとダーリング博士とジェシーフェイデンがテレビを使って彼らを探知してしまう。だが、ゼイン的には見つかりたくないらしい。(つまりゼインはAWEで、見つかったら捕まって研究対象としてオールデストハウスに収納される。その場合アランもなのか?アランは次の殺害現場へ向かうように言われる。

闇の世界では、「殺害現場」が一番強い力を持つらしい。殺害現場を突き止めると(書くと)パーラメントタワーが現れる。そしてアランはそこへ行けば現実に帰れると信じているのだが……

この章の最後で殺害現場に辿り着くと女性がバスタブに沈められているが、シンシアにそっくりである。つまりここで現実とリンクしている。キーアイテムはレコード。

6章目でまたアランの自宅「パーラメントタワー」が出現するのだが、だんだんと、アリスのビデオの内容が進み、展示会の内容が明らかになっていく。そして執筆部屋に飛ばされると、アランは完成した「リターン」を見つける。内容は闇の存在がブライトフォールズを支配するというひどいものだったので、アランはそれを書き換えることにした。つまりあの原稿に足された走り書きはアランのものだったのだ。

この時、アランは「これはスクラッチが書いたもの」と決めつけているが、実際は自分で書いたものじゃないかと私は思っている。

時系列的には、このアランが最初に来なければならない。

そして、1周目で見た通り、アランは眉間を撃ち抜かれて死ぬ。またループ(振り出し)へ。


イニシエーション ドラフト3(7〜9)

3周目。最初のTVトークショーはもうショーではなく、ドアに文句を言われるだけだ。

もう一度ゼインに会いにいくと決めるアラン。リターンはスクラッチが書いたものじゃないか!嘘つき!とゼインを責め、最終的にはゼインを撃ち殺すが、実はそれもフィクションだった。この時ゼインに「白夜の夜」が上映されている映画館に行け、そこに殺害現場があると言われ向かうアラン。スクラッチに騙されたというゼインは、出会ったらスクラッチをためらわず殺せと助言する。

殺害現場では二人の警官が殺されていた。つまりこれがマリガン&ソーントンである。キーアイテムは現実に突然現れた、あのヘラジカの頭蓋骨である。

ちなみにグランドマスターだが、ゼインが演じているらしい。しかもスクラッチという役名でだ……

9章、外に出ると自分から電話があり(この電話をいつかけたのか、プレーヤーにはわからなかった)、アリスの写真をシューボックスに入れる(これはサーガに渡すためだ)。そしてパーラメントタワーに行くと、アリスが自殺したと思われるビデオを発見、怒り狂って執筆部屋に乗り込み原稿を書く自分の姿のスクラッチを撃ち殺したかと思いきや、それは先ほどの書き換え中の自分(6章め)であった。1周目(3章め)で見た自分は、この撃たれたアランである。多分これはスクラッチの罠みたいなものなのだろう。

ここでアランは絶望し、スクラッチに憑依され、倒れ、原稿と共に湖の岸に打ち上げられる。時間が戻ってしまったのだ。

ちなみにゲームの一番最後でも同じく眉間を撃ち抜かれて死ぬが、この解釈を誤まるとゲーム自体が全て振り出しに戻り、「最後の草稿」となるのだ。2周ゲームをクリアすれば、無事、アランは死なずに済む。それにしても、何度撃ち抜かれているんだ、アラン。ループしたあと「ものすごい気分が悪い」と言っていて、なんか同情した。


この全体像から分かる通り、ゲーム内で少なくとも3回はイニシエーションを書いている。だが、ゲーム内でも言われている通り、書き続けなければアランは脱出はできないのである。だから仕方ないのかもしれない。

もしこの話が、「スランプ」を表現したものであれば、恐ろしい話である。


自分が創造したキャラクターが意志を持って勝手に動き回ることがあるだろうか?

これは私はYESと答えられる。

アメリカで暇だったとき、私はキャラクターを作り出し自由自在に物語を描いた。このキャラクターは自分の理想や自分の一部を反映したものである。だから、ゼインとアランがそっくりなのはそういうことなのではないか。

そして、作り出したキャラクターは創造者が慣れてくると勝手にセリフを喋り出す。条件を与えれば自由に行動を始める。天然のプログラムのようなものだ。

アラン・ウェイクとはそういう事象を表した作品なのかもしれない。

ちなみにイニシエーションでサム・レイクを前に、アランが「自分のキャラクターにも意志があるので、安易に映画化したくない」と優しいことを言っていた。こないだ自殺した漫画家さんを思い出す。


かつて漫画家が「キャラクターが勝手に行動ししゃべってくれる」と言って、その発言を受けて驚いている人もいたが、実際ストーリークリエイターのほとんどはこれを経験しているはずだ。

ちなみに私の場合二次創作でも、キャラクターをきちんと読み込んでいれば私の問いにさまざまな形で答えてくれる。最近では年齢も自由自在に変更できる。10歳の坊っちゃんを連れて歩いているはずだったのに、気づいたら30歳になっていたり、場合によっては10代にも戻れる。そう、想像力の前に時間など無意味なのである。そしてゼインのように、自分の作った、愛したキャラクターは自分のイマジナリーフレンドとして助けてくれる。

これを他人への尋問に使えるサーガもある意味、クリエイターの素質がある。

2024年2月18日日曜日

ボーはおそれている の感想

※ネタバレしないと語れないため、まあまあネタバレしています。ご注意ください。




ボーはおそれている。初日から「狂気ぶっ通し」なんて感想が並んだが私に言わせればヘレディタリーやミッドサマーの方がやばい。なぜなら、今回あまり人が死なないのだ笑。

アリアスターが大好きな、「断頭」は出てくるが、電話を通して語られるだけである。今回は、死体の数がとても少ないので、その点では安心して見られる。

多くの男子にとって、母親は畏敬の対象でもあり、恐怖の対象でもあるだろう。

ボーは私より2個上、もう50になろうという年齢で、まだ母親を恐怖している。

マザコンといってもいいのだが、冒頭のセラピストとの会話からわかる通り、母を愛しているし愛したいのだが、とにかく母が怖いのだ。ほんのちょっとのミスでキレられ、行動を抑制される。なのに二言目には「愛している」と言われる。実にアメリカらしい。グレタ・ガーウィグの母親像もそうだ。アメリカ人の母親は二言目には「愛している」を免罪符のように使う。

母に束縛されて育ったボーは、ちょっとした決断ですら人に意見を聞いてしまう。食べ物を見るとそのリスクについて語ってしまう。優柔不断で臆病なおじさんに育ってしまったのだ。

実家に帰るためにお土産のマリア様を買い、その裏に何度も「ごめんなさい」を書くボー。母のことを愛しているが怖くてすぐに謝ってしまう癖がついているのがわかって、心が痛む。

だが、しかし母親の異常性について、ボーは気づいている。50近くで童貞なのも、母のかけた呪いのような嘘や、行動の抑制によるものである。

ただ、この映画には理解し難い面も多々ある。

例えば、そんなに臆病なボーがなぜ、あんなに治安の悪いところに住んでいるのか?

私はこの映画を見る前に少しだけツイッターで学習していた。どうもアリ・アスターはユダヤ系であるために、ボーの道中を「ユダヤ人のロードオブザリング」と表現したらしい。

それを当てはめると治安の悪い家のことも少し説明がつく。ぶっちゃけあれはニューヨークみたいなもんだ。ゴッサムシティだ。もちろんゴッサムより治安が悪いが、大金持ちの母がいる割に、ボーはたいした就職はできなかったのだろう。 

そして、ユダヤ人と捉えると、ボーは自分の聖域である部屋の鍵を奪われ、ついには家にも侵入され、仕方なく成り行きで裸で家を飛び出すことになる。これは、ユダヤ人が財産を根こそぎ奪われてエルサレムを追われたことを意味するのではないだろうか。

かなりギャグテイストに描かれているけどね。

確かにボーが家を飛び出してからはユダヤ人の旅と捉えると非常にわかりやすいので、それでいいと思う。逆にその説明がないとなぜボーが理不尽な目に遭っているのかちょっとわかりにくいかもしれない。

序盤は、「エルサレムを追われるところまで」。

中盤は、事故に遭い知らないご家庭に匿われるシーンで結構長い。一応現実だと思うが、ずっとカメラで監視されているらしく、しかもなぜか未来もチラ見できる。これは今でも謎だ。ボーの未来は決まっているということなのか。ちなみに夢オチはなかった。今までの映画を鑑みるに、アリアスター監督に夢オチなんてしょっぱい展開はないのだと思う。

後半の前半(笑)は美しい演劇の世界だ。そこでボーは、理想的なユダヤ人の生き様みたいなものを夢見る。これはおそらく、「ボーがまともに生きられていたら」見れた人生なのだろう。ホアキンフェニックスの演技はここが真骨頂だった気がする。夢想しているのに窓からスマホで写真を撮られるあたりが、現代人だなと思う。ここもギャグか。

この演劇の世界は本当に美しいし、このままでも映画にはなるかもしれない。ただ内容があまりにもありきたりだし、所詮、演劇は夢なのだ。これは比較対象というところだろう。

後半の後半は、ついにやっと実家に辿り着き、ここからはユダヤ人云々は関係なくなる。ボーは最初から対峙しなければならなかった母との戦いが始まるのだ。

だが、母と殴り合いをするわけにもいかない。

この映画はファンタジーだ。きっと色々なメタファーが詰まっていて、例のジブリ映画みたいになっているのだろう。

例えば屋根裏。アリアスターの大好きな屋根裏部屋にはやはり、恐ろしい秘密が隠れていた。というか、ボーはどうも一部の記憶が欠損している気がするのだ。

さてここまで「母」の話ばかりであったが結局「父」とは何だったのか。

母は優秀だったが、父はやはり邪魔だったのだろうか?父のようなものを2回見ているのだが、結局父は化け物として扱われて終わりだった。現実だとは思えないので、まあ、離婚したとかのメタファーなのだろう。

結局信じられるのは、母の口から出る恐ろしい言葉の数々だ。あれは本当かもしれない。もしアリアスターが自分の母をモデルにしていたのだったら、とんでもなくヒステリックだが、あり得る。

これがアリアスターの母親への復讐なのではないだろうか。プレミアに母を連れて行ったと言っているし……

おそらく、母は自分の労力を無駄にする息子が結局嫌いなのだ。息子も、何をしても反対してくる上に好きな女とも付き合わせてくれない母のことが、本当は嫌いなのだ。だけど、親子の縁を切ると不利益が出る。と思う。まあ、縁を切るのもありだけど、縁は切らない方がなんだかんだとお得ではあるのだ。それに、本当は好きでいたかった。それはわかる。


この映画が評価できないのは、ラストシーンだ。

結局息子と母どっちが悪いのか?裁判のようなものが行われるが、息子はずっと不利だ。母は息子の発言をいちいち勘繰ってくるので、ボーがポンコツで正直に話していても信じてくれない。それに母はやっぱり強い。これは理不尽だ。

確かにアリアスターの映画って理不尽が描かれるし、バッドエンドばかりだけどこれはちょっと、どう受け止めていいのかよくわからなかった。

それにこれでは、ボーがいつまでも優柔不断なポンコツおじさんで自立できずに終わりである。

どうも他人様の解釈を見ていると、最後は罪悪感で自殺したのでは?という方もいるのだが、エンディングとしてはそれでもいいのだが、ボーは本当にそれで良かったんだろうか。そこまで自分の「イノセンス」を守る必要があったのだろうか。その純真さが今回のテーマなのだろうか。

私は子供は親に反抗してこそ親から自立できると思っている。親を恨むのではなく、恨む暇もないくらいに反抗するべきなのだ。決して彼らを恨んで妙な繋がりを残してはいけないのだ。映画にある通り、「足枷」を切って、次に進まなければならない。


テーマはとてもわかりやすいし、なんなら話もわかりやすい。

私は、気の狂った退役軍人キャラ「ジーヴス」がものすごい好きで、出てくるたびに大爆笑だった。特に、ボーが真面目に電話してる時に後ろでぴょこぴょこ顔出したりしてるのが楽しかった。そういうコメディの才能がありながら、ちょっと中途半端かな。

できれば大爆笑変態コメディホラー映画にしてほしかった。上のような、妙なキャラクターや斜め上の展開はゴールデンカムイみたいですごく楽しいので。


なお、アランウェイクとの共通点は結構多く、アランウェイク慣れしてる私には特に違和感がなかった。

むしろ、ボーが気を失ってから気が付くまで同じ場所にいるのが不思議に感じた。アランウェイクなら別世界に飛ばされることが多い。

「これは俺の物語だ!」はアランウェイクと全く同じセリフだ。



2024年2月11日日曜日

「白夜の夜」(アランウェイク2)精一杯の考察

このショートムービーはアランが劇場で観るもので、見なくてもクリアできる。ショートだが、15分以上ある。

全編がフィンランド語で、字幕で内容を理解するほかない。

主人公はアレックス・ケイシーだが、アレクシ・ケサとなっている。もちろんサム・レイクが演じている。

あとはバーバラ・ジャガー。

アラン・ウェイクを、トーマスゼインが演じている。

アーティーは端役だがセリフも多い。


ケイシーはずっと初恋の「バーバラ」が忘れられないという設定になっている。だが、バーバラはアランの未亡人となっているのだ。ここは注意。

ケイシーはアーティーに「俺は呪われているのか。ループにハマっているのか。この町に戻ってきてしまった」とぼやく。そしてバーバラに、「今回は一緒に来てくれ」と頼むのだが、バーバラは待ち合わせた井戸で謎の酒「白夜の夜」を飲ませる。

そして例のカルト教団に生け贄として殺されるのだが……

もう一つ気になるのは、「ケイシー、お前がマスターに選ばれた」というフオタリ(ヤッコが演じてる)のセリフである。

このあと、井戸からアランが神のように登場。

なんとこの時の字幕が日本語と英語で違うのだ。

英語「Thank you, my love.」

日本語「ありがとう、アリス」

日本語では「アリス」と言ってしまっている。

このセリフはエンディングともろかぶりしているので、この映画が伏線になっていると言ってもいい。


しかもこの劇場で「実際の」アランは「グランドマスターに会わなくては」と言っている。実際ミッションにもそう出るのだ。だが会った記憶がない。おそらく誰も、会ってないのでは。(生け贄はいた)

このゼインの映画通りに解釈すると、マスターはバーバラとアラン。もしくはバーバラ。バーバラの目的はアランを呼び戻すことだが、代わりにケイシーをあの「執筆部屋」に閉じ込めなければならないらしいのだ。

この映画の正しい解釈はなんだろうか。

  • トーマス・ゼインはこの映画を作る時に自分そっくりのアラン・ウェイクというキャラクターを思いついた。
  • バーバラは本当にゼインの恋人である。なので「アリス」はちょっと飛躍した翻訳になるが、「愛した人が助けてくれる」のは本編と同じ筋書きであり、アランもゼインの物語通りに動いている。
  • アレックス・ケイシーはこの時からキャラクターとして存在していた。アランが生み出したキャラクターではないということになる。

もし、本当にこの映画がトーマス・ゼインの作品だとすると、今のアランはやはりトーマスの筋書き通りに生きてしまっている感じがする。それはケイシーもである。

ゲームの中ではケイシーはおそらくループから抜け出している。それは、トーマスが「書かなかった」サーガというキャラクターが登場したからだ。

トーマスの作品にヒーローはいない。

アランが今回目覚めたのは、「ヒーローを書こう」と思ったからではないのだろうか。前作は、かろうじてアランがヒーローではあったが、もしトーマスが彼のためにろくな出口を用意していないのであれば、アランが自力で、闇に影響されないヒーローを書かねばならなかった。

そう考えると、サーガの登場は必至だった、ということになる。

2024年2月8日木曜日

ALAN WAKE2 キャラクター考察

ネタバレ度が低いキャラクターの順で行きます。下に行けば行くほどネタバレします。

ですが、全体的にネタバレしていると思ってください。(クリア後の閲覧を推奨)

考察が追いつかないため(特に白夜の夜がまだ理解不能)修正更新するかもしれません。


闇に囚われない(強めの)人たち

サーガ・アンダーソン

最初なぜこのキャラクターを主人公に持ってきたのかわからなかったが、どうもサム・レイクの説明を聞いていると、「2からプレイする人も、FBI捜査官の話なら入りやすいと思ったから」だそうで、それなら納得だ。

1のサラ・ブレイカーのような、強気で闇の人にも怯えず戦えるタイプの女性である。

サム・レイクはおそらく強い女性が好きなのだろう。ジェシーなんかもめちゃくちゃ強いし顔立ちもきつい。バーバラ・ジャガーも美人というよりすごく気が強そうで笑顔も優しくはなかった。

サーガの特技は内面世界で物事を整理して推理する力だが、割と最初から霊的な予感はしていた。そもそも、「死んだ人」に尋問して答えが返ってくること自体がおかしい。なので最初「イタコ」と呼んでいたが、ほぼ本当だった。

だがアランウェイクの世界では人々が詩のような答えを返す。単純でわかりやすい回答をしてくるのはせいぜいローズくらいのものだ。つまりローズはアンポンタンなのだろう。でもとてもわかりやすい。トランプにあっさり騙されそうな性格だ。だけど美人なんだよ。アホは可愛く描くのかもしれないね。

そしてジェシーと同じく、サーガは自分の内面世界で鮮やかに自信を取り戻し、闇の誘惑を追い払う。これこそが、サーガの本質的な能力の真骨頂。強い軸、ぶれない信念である。

これはCONTROLでいうところのジェシーの「ポラリス」ではないだろうか。

ポラリスに関しては明確な説明はなかったようだが、個人的には、ジェシーの信念だと思っている。最初母親の魂みたいなものかと思っていたが、遠くない。母親から自立した後、人の中に残るのは、自分を守るもう一人の自分自身だ。


アンダーソン兄弟

今回は高解像度、しかもバンドの演奏もバッチリ見れるし、ミュージカルパートでは実写である。実写は若い人が演じるのでちょっと違和感はある。

トールは暴力的で問題児と描かれていたが、私はあまりそこは気にしていないつもりだ。もちろん、オーディンの方が優しいには違いないが、トールはそれほど間違ったことは言っていない。毒舌なだけだ。

なおシンシアに誘惑され、シンシアに毎日のようにハート型のチョコレートを贈っていたらしく箱がたくさん散らばってゴミ箱から溢れていた時は、ちょっと泣きそうになった。トールはああ見えて純真な男なのだ。どこの世界にピンクのハートの箱を毎日届ける男がいるね。絶滅危惧種だぞ。

2周目はぜひプレイしていただきたい。アンダーソン兄弟は多分死なずに闇の世界で生き続けるんだと思う。そうしてくれれば嬉しい。彼らなら、苦しいと思うこともないだろう。

そう、アンダーソン兄弟はシンシアには騙されたものの、それ以外ではほとんど影響を受けていないのだ。サーガの現実改変だけは、少しかまされていたようだが。

トールのセリフで今回好きなのは「アーティーのフィンランドタンゴなんか聞いてたら頭が変になっちまう、陰気くさすぎて」みたいなことを言っているシーン。ちょっと聞き逃しやすい。


ティム・ブレイカー

とても可愛らしい顔で一度見たら忘れることはない。サラ・ブレイカーの従兄弟と知ってますます好感度大。

鼻歌を歌うのが好き。うっかり闇の世界に召喚されたが、さすがサラの従兄弟だけあって闇に一切影響を受けず、ずっとミスター・ドアの推理をしている。彼に言わせると、「自分を召喚したのはミスター・ドア」なんだそうだ。

しょっちゅうアランの前に姿を現し、地図やアイテムをくれる。ティムの確保した部屋は闇人が入ってこない。これも特殊能力なのでは。サラも全然影響されなかったしな。


コスケラ兄弟

たまにマジでうざいと思っていたのに最終的にはなんか大好きになってしまう変人兄弟だ。

この二人はすごい。特に兄のイルモは積極的な性格とみた。

  • 違法なコールドロンレイク周辺の山岳ガイド。
  • 遊園地「コーヒーワールド」の経営。
  • コーヒーやアーマビールのCM作成(低予算すぎて逆に笑える)。
  • バイクショップの経営。
  • ディアフェストのフロート作成と販売。

全て彼らが行なっている。つまり起業家。積極的にブライトフォールズ周辺の地元おこしをしているのだ。極め付けが、カルト教団として闇の存在と戦う、「樹木の教団」である。だが、彼らは宗教をするのではなく、単純に闇が送り込んでくる闇の人たちを捕まえて心臓をくり抜いてクリッカーで葬っていたのだ。ま、確かにやってることはグロいが、彼らは心臓抜いただけでは死なず、サーガも殺されかけた。

結局最後に残るのはイルモのニヤニヤ笑顔である。あれの影響は強烈。なんかこっちに伝染するニヤニヤ笑顔、で覚えてしまったくらいだ。笑顔だけで笑わせにくる、強い能力の持ち主だ(?)。

ヤッコはテンション低いが怒るとハイテンションになる。全く違う性格の兄弟だが、実は俳優が同じ人である。双子の設定だそうで。

彼らのおかげでフィンランド文化に少し詳しくなった気がする。(フィンランドのコーヒー消費量は世界で2番目と言われている。サム・レイクもぶっちゃけコーヒー中毒である)


ローズ

闇に囚われそうで囚われない。相変わらずちょっとアホっぽくアラン推しでシンシアと同じ役割を果たしているが、まだ若いみたいだ。

アランには完全に恋をしていてファンアートでは超イケメンのアランを描いている(結構うまい)。

アホだけど、案外闇が何をしているのかは理解している模様。それにしても美人なのにアラン推しすぎて、恋人とかいなさそう。


パット・メイン

なんと老人ホームからラジオを発信している。が、ボケてきているのが切ない。


闇に囚われる人たち

ナイチンゲール

前作でバーバラに一瞬で闇送りにされた人。13年の時を経て、闇の底より現実に送り込まれた。本人にどのくらいの意思が残っているのかはわからないが、完全に闇の力を示すサンプルとして序盤で扱われている。一瞬だが彼を冒頭で動かせるのがちょっと切なかった。

ナイチンゲールは元々、同僚が闇に囚われる前は普通のFBI捜査官だったらしいので、なんかこれでいいのかな?という気分になった。全裸だし(一応ゲームではパンツ履いてるが、設定画ではちん○が見える)、心臓取られてるし、肋骨をぼきぼきにしながら襲ってくるし。


マリガン&ソーントン

冒頭に出てくる少々だるそうなブライトフォールズの警官たち。序盤から無線のやり取りがすでにイチャイチャしているというか、仲が良すぎて気持ち悪い。

彼らはうっかり関係のない人間を殺してしまい、死体を井戸に隠したのが原因で同時に二人とも闇に落ちるが、まさか井戸から仲良く出てくるとは。マリガンは比較的普通なのだが、ソーントンが結構ウザめの性格。


シンシア・ウィーバー

「ランプレディ」として、前作で大量の光や発電所を用意しアランを成功に導いたおばちゃんだが、それは全てトーマス・ゼインのためであり、彼の忠告に従ったまでだった。ローズよりさらに異常な執着をトーマスに示しており、彼が闇から帰ってこないため、彼の形見である「エンジェルランプ」をローズに取られてから完全に狂い、トールを巻き込んで闇の世界へ突入し、ボスキャラと化す。

正直このキャラクターは可哀想すぎるが、推し活は分散しなければならないという世に溢れる忠告の具現化がこれじゃないかと思う。こないだGACKTと結婚したと言い始めた女性がいたが、それを思い出した。彼女が面白いのは、「結婚証明書あります」と偽造の画像まで出してきたことだ。果たして彼女が本気でやっているかはわからないが、シンシアなら本気でやりそうである。

シンシアが生み出す「闇の塊」はトーマスと結ばれない彼女の怨念だと思う。それのダメージがすごい。シンシアにはどうか安らかに眠っていただきたい。


アレックス・ケイシー

超強面のFBI捜査官。サーガの相棒である。サーガは既婚者なので恋愛関係は皆無。ケイシーは離婚歴あり。かなり落ち込んだらしい。

顔がめっちゃ怖いのだが、モデルはサム・レイクである。サムは普段はもう少しふわふわニヤニヤした顔をしているのだが、わざわざ怖い顔をして演じているらしい。

私の最初の印象は「ヴァンパイアの末裔」だった。色素が薄く、オールバックの紳士で目つきが険しかったため。

こいつラスボスだろと思っていたら、なんとほぼ当たっていた。ギリギリアランによって助けられ、ケイシーが殺されることはなかった。

ケイシーは雰囲気は実にFBIだが、才能はサーガには勝てない。サーガは例のイタコ能力があるし、ケイシーの意見や推測はどうも的外れなパターンが多かった。

サム・レイクが望んだことかはわからないが、アランの小説の中で殺されるし、映画の中でも滅多刺しにされていた。どういう願望持ってんだ。

なおTVに出る時と、ミュージカルで踊る時はとてもいい笑顔をしている。


神の領域の力を持つ人たち

スクラッチ

前作でちらっと悪意に満ちた笑顔を見せてきたが、こいつが続編の「アメリカンナイトメア」で暴走するらしく、そっちもプレイしたかった。

どうも海外サイトの情報などを繋ぎ合わせると、1で闇の世界で原稿を描くアランの代わりに現実で活動するアランがやはりスクラッチだったようだ。推測は当たっていた。そりゃそうだ、原稿書きながら活動できるわけがない。

最初は原稿の通りに行動していたスクラッチが意思をもち、アランの原稿に書き加えたり自分で小説を書くようになったらしい。

しかしスクラッチの書いたエンデイングは本当にポンコツである。エヴァンゲリオンアニメ版のポンコツっぷりとちょっと似ている。でもあれはまだいい方だ。

ディアフェストが延々に続く世界なんて、まともに続くわけがないと思うんだが一体どうしたかったんだろうかw意外と明るい性格なのかもしれない。あと多分承認欲求がすごい。下手すると5歳児。「ママ見て!褒めて!」系の幼い欲望を感じる。

スクラッチの正体は闇の存在であり、人間に取り憑いていない時は倒せない。

この塊、「余剰次元生命体」に似てませんか。気のせいでしょうか。余剰次元生命体も絶対倒せないのですよ。まあ、次元が一緒じゃないからかもしれませんが。


ミスター・ドア(ウォーリン・ドアー)

ティム・ブレイカーの調査によると、1988年までブライトフォールズに住んでいたが、コルドロンレイク付近で稲妻に打たれ消えたという。

サーガの父親である可能性は大らしい。トールはぼかしながら「お前の父は面倒なことになっていた。だから引き離そうとして、お前の母に嫌われた」等と語っていた。

面倒なこととは何なのだろうか。

アランと直接真面目に話すシーンがあるが、「お前は私の大切な人を巻き込んだ」と言っている。

また、「私の邪魔をしないでくれ」と言っているので、単独行動なのか。とにかくアランのことをよく思っていないのは伝わってきた。おそらくアランの小説にも左右されてなさそう。

ティムブレイカーを闇に引き摺り込んだのは彼で間違いないので、能力者である。


アーティ

彼もまた能力者だが、もしかしたらすでに人間ではない可能性がある。CONTROLで周りが狂う中、真実を語り続ける。ヒスに影響を受けず、闇にも囚われないが、闇の底にも現実にも自在に存在する。仕事はいつも清掃人である。

フィンランド移民で歌がとてもうまいが全部フィンランド語である。個人的にフィンランドのノリは結構気に入った。テンションも癒し系である。

彼のバケツから溢れる水はサーガやアランを闇と表、両方の世界を行き来させる媒介物質である。

アーティーは常にサポート役なので、創造者ではないだろうが、エンディングへの扉は彼しか開けない。


バーバラ・ジャガー※考察不足

今回は「白夜の夜」という短編映画に登場。実写で美人だが、どこかきつい印象がある。トーマス・ゼインの恋人だというのだが、彼女に何があったのかいまいち定かではない。前作では湖で溺れ、死んだところをトーマスが生き返らせたらもうバーバラではなかったらしい。心臓がなくなっていたのだ。

ただここで注意しなければならないのは、日本語で「心臓」と「心」は別の言葉だが、英語だと両方「Heart」であるところだ。

つまり「心臓がない」は「心がない」にかかっていて、バーバラは心を無くしたということだと思う。

この伝説により、樹木の教団では湖から這い上がってきた者は心臓を抜いてクリッカーを中で作動しなければならないとされている。実際それで退治できるようだ。冒頭でそれをナイチンゲールにやったので気持ち悪すぎた。しかしクリッカーを作動させるのに失敗したため、心臓がないまま動き回ったのだ。


トーマス・ゼイン

信じられないが今回実写で出てきたのに、なんとアランと同じ顔であった。同じ役者なのだ。だが手抜きであるわけがない。とても重要な人物なのだから。ここから推測されることはいくつかある。

  • 実はアランはトーマスが生み出した存在である説。
  • 逆にトーマスはアランが生み出した存在である説(これは厳しいかもしれない)
  • トーマスとアランは同一人物で、闇から戻ってきたのがアラン?
  • アランが今回会ったトーマスはスクラッチで、偽物
海外サイトで調べたところ、「1番」説が濃厚。最初に現実化する能力を手に入れたのはトーマスゼインのようだ。そう考えると確かに色々納得する。また、サーガに影響を与えたように、アランが生まれたあとでちょうどいい人物として、ゼインが使用した可能性もある。(アランは実在する人間を小説に組み入れて現実を捻じ曲げることが多い)
また、同じ顔、周りがやたら「トム」と呼んでくるところからも、生み出されたコピーである可能性は高め。

アラン・ウェイク

今作は「ループ」がテーマの一つであり、一周めで「ループではない。螺旋だ」とアランが気づく。これはすなわち、ループを繰り返すごとに少しずつ事象が改変して、上昇できるという概念。

2周目のエンディングで「ループさせないように」アランが気を遣った結果、見事にスクラッチだけを消し去って、アランは息を吹き返す。

この事象をよく注目してほしい。

アランは眉間を「光の弾丸」で撃たれる。光がどう?はさておき、眉間が大事だと思う。眉間というのは第三の目の場所である。

西洋でそれがどう扱われているかわからないが、ヨガではよく第三の目を開けと言われる。ヒンドゥー教や仏教などに出てくる概念である。

第三の目が開くとどうなるかというと、今まで視覚で見えていたもの以外も見えるようになると言われている。

つまり鬼太郎の父が言っていたような、「目で見るものだけ見ようとするから見えんのじゃ」と言っている「見えないもの」が見えるようになるということだ。

最後にアランが「あまたの世界の主になった」と呟く。作家なので何を言っているかわからないと思うが、いくつかの次元・マルチユニバースを行き来し、現実を改変できる能力が身についた可能性がある。それが、第三の目が開眼した結果ではないだろうか。

ほぼ神に近い。

どうでもいいがアランが生まれた年が私と同じだった。驚愕だ。私はアランと共にこのストーリーを歩んでいる。

まだ晩年ではない。もう何作か、アランは書かねばならないだろう。今度こそ、歴史に残る作品を、アランは残したいのではないかと思っている。それはアランを現実に引き戻す作品となるのだろうか。


アリス・ウェイク

アリスは前作で湖に引き摺り込まれ、アランによって救い出されたが、戻ってきたアランがスクラッチであることを知り、アランを助けるために再度湖に自ら飛び込んだ。それを自殺としてアートにしたため、アランは一旦は死んだものと受け止め非常に怒っていたが、それこそがスクラッチの思う壺であった。

アリスが本当にアランを助けるために飛び込んだことは後ほど明らかになる。

そして実際に2周目でアランを導いたのだ。

さてアリスは闇のどこにいるのだろうか?

ネットでは諸説あり、次のラスボスはアリスではないかとの説まで出回っている。

夫婦ともに現実に帰れる日は来るのだろうか。その時、一体何歳なんだ。


アリスの問題は「アランより稼げないフォトグラファーであること」。それが新たに浮き彫りになり、なんだか切なくなった。しかし、アリスの撮った写真は今回アランとサーガを救った。アランにも「この写真の撮り方はアリスだ」と言われている。もしかしたらアランが甘やかした結果こうなっているのかもしれない。

アリスが自立したフォトグラファーになれたらいいなと思う。

 

2024年2月2日金曜日

ALAN WAKE2 バトル動画

バトル動画を撮っていたのですがとても良い出来でした。普通にプレイしているのに完全にホラー映画のクライマックスみたいです。

ぜひヘッドフォンでお聞きください。

今回もサウンド設計が素晴らしいです!

ただ、カッカして眠れなくなるかも…

マリガン&ソーントンについて

このコンビは冒頭でケイシーに「あいつらいいコンビだな」と言われていたのが、伏線でした。また署内メールで借金返さないだのなんだのとイチャイチャしていたキモいほどの仲の良さです。そりゃ一緒に井戸から出てくるわな。

で、私の現在の流行語大賞は「なんてこったソーントン」なのですがw

「What the hell, Thornton?」

これは直訳したら「一体どうしたってんだよソーントン」って感じだと思うので、何かをやらかして「なんてこった」ではないと思うんですよ。

文脈的には合ってそうですけどね。

このバトルは、ひたすらコンビがお互いを呼んで答えてるだけです。

「I got it Mulligan!」は「大丈夫だマリガン」というよりは、「まかせろマリガン」だと思いました。 

また、マリガンがいびきをかいているような音を立てていますが

前作も至るところでいびきの音が使われていました。

これはすなわち、Takenは「悪夢を見ている状態」と理解して良いと思います。


そしてナイチンゲールがひたすら喋っている内容も、アランの原稿を読み上げているだけ。

彼らはアランの原稿に操られている。

アランの能力は神がかっていますね。


次回の投稿では、その辺を掘り下げたいと思っています。

(アランウェイクは考察しなければ意味がない)


サムが楽しそうにエアロビしている動画も撮りました。